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自分からの手紙

自分宛にお手紙を書いたことはあるだろうか。

きっと何かしらで書いたことがある人は多いような気もするし、私も昔遊びごころで書いたことがあるんじゃないかと思う。幼稚園で作ったタイムカプセル、中学の時に遠足で書いて出した手紙、何を書いたか全く覚えてないし、タイムカプセルに関しては20歳になって明けてみたけれど自分へのメッセージなんてなくて入れたいものをたくさん詰めてた。お母さんとお父さんのお手紙が可愛かったのと、自分の自己紹介カードの怖いもの お姉ちゃん 宝物 いし と書いてたことしか覚えていない。

つい先日、母の誕生日に手紙を出そうと思って便箋のある棚を漁っていた。すると見覚えのある封筒が視界に入る。

「25歳のわたしへ」

ああそうか、私、去年の誕生日、1年後の誕生日の自分宛に手紙を書いていたらしい。お陰様でまんまと忘れて、さらには誕生日もとうにすぎている。忘れてサプライズにできるだろうということは予測できていたが、誕生日をすぎても忘れている、ということは想定していなかった。恐るべし忘れっぽい自分。

封筒の中身は、自分で全部したことなのにもかかわらず、手紙に貼ってあるシールとか、入ってるプレゼントとか、覚えてたり覚えてなかったりするから面白い。

一年前の自分はちょうど精神的に参っていた時期から抜け出しつつあるらしく、どこまで元気にやっていられているのか、当時付き合っていた人との未来はどうなっているのか、その時にできる妄想の限り綴られていた。答え合わせをしていくような感覚と、人生というのは本当に良くも悪くも予想通りにはいかないということを渋々と感じた。一年前想像していたものとはだいぶ違うかもしれないけど、何も謝る気なんてないし、むしろとってもいい感じに生きてるからね、と過去の自分に想った。

今日自転車を漕ぎながら、銀杏並木で「くさっ!」て大声出してしまった。銀杏の匂いって赤ちゃんのうんちの匂いにそっくりだということに最近気づいた。でも去年も何回も通ってるはずなのに気付かなかったんだよな、そういえば星を見る癖や自然を楽しむ癖がなくなったことに嫌気がさしてたな、職場に家が近いことが原因だと思って引っ越ししたいと喚いてたけど、結局引っ越しせずとも星を眺めたり自然に触れて心が安らぐ生活は戻ってきているのだよな。ようは自分に余裕がなかったんだよな、と今振り返ると本当に思う。当時は全く気づいていないのも怖い。

脱線したな。来年の自分に手紙でも書きたい気持ちなのだけど、何を書けばいいのか、もうちょっと生活を整えて心も整ってから書きたいのでいまは書かない。とか言ってたら26歳になっちゃってそうだなー。終わり。


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