【小説】行燈に灯火を

こちらも過去作!

2015年のもの。


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クレジット(瀬尾時雨)は任意です。



行燈に灯火を 瀬尾 時雨

 行燈に紙を貼る仕事、そしてそれを見て楽しむちょっとお偉い身分の人。
 売買というその行為でしか関わることのないその姿はまさに月と鼈。
 俺は今日も一つ一つ、少しでも何をするでもなくお金が入ってきて慕われる人たちの目に留まるような我楽多を作る。そして、それは明日も、明後日も、何年先も変わらないんだろう。
 俺、木山 銀矢はそんな明治の世、時代遅れの行燈を売る日々を生きていた。
  *
「――わあ、素敵な行燈!この朝顔の置行燈、おひとつくださいな!」
 夏の暑い時期。心太を食い乍ら新しい行燈の模様を考えていると、ふと聞いたことの無い声が弾んできた。俺は顔を上げることもなく応じる。
「いらっしゃいやせ。お買い上げありがとうございやす」
 目の端に映った服の裾から見て、結構いいところのお嬢さんだと推測できた。
 そういや、最近可成りの財力を持った貿易商が、このあたりに越してきたと聞いた。この町はそれほど大きくないし、俺の店に来る客は決まっているから、もしやその娘さんなんかが気まぐれで来てくれたんだろうか。
「こちらですね」
「ええ。……これでぴったりだと思うのだけど」
「ええ、毎度」細い、綺麗な手。俺は何かに促され、客の顔を見た。
「ああ、素敵な行燈!今時こんな行燈売ってないでしょう?でも、私この行燈が大好きなの!母様が持っているのだけれど、最近火皿が壊れてしまって。夜寝るときにこれがついていると安心しませんか?」
「そうですね」 

 俺はそう答えた。肯定以外に正解が無い気がした。
  *
「お菊」
 それから暫く――実際は刹那だったのかも知れない、その娘の話を聞いていると、優しい顔の男性がやってきた。立ち上がって愛想をすると、男性は、これはどうも、と頭を下げ返してくれた。
「父様、見て見て!この行燈、とても素敵ではありませんか?」
 お客さん――お菊さんは、俺の行燈を父に見せた。男性はお菊さんから行燈を受け取ると、一つ息を吐いた。
「娘が買わせていただいたのですね。……ほう、この御時分に行燈とは。なかなか珍しい。――いや、驚きましたな。一から総て作っていられるのですか?」
「ええ。半ば趣味ですが。時間ばかりあって出来ることはこれくらいですから」
「教えは何方から?」
「亡くなった祖父に。俺は祖父に育てられたので、その育つ過程で自然と」
 そう答えると、男性は暫く唸っていた。お菊さんはそれを黙ってみている。
「ほう……。これは素晴らしい。――どうぞ、これは少しのお礼です」
「え……」
 唐突に手に握らされたのは、俺の行燈がニ、三個買えるほどの金額。俺が慌てて返そうとすると、男性はそれを見越して頭を振った。
「娘共々よいものを見せてもらいましたし、お近づきの印に。あなたの商売に幸あらんことをお祈りしています。これはよい縁だ」
 男性は一礼すると美しい所作で歩き出した。お菊さんも続いていく。
 俺は、気付いた時にはお菊さんに叫んでいた。
「お母様の行燈、俺で宜しければ修理させていただきます!」
 お菊さんはふふっ、と笑った。「よろしくお願いします!」
  *
 俺は今日も一つ一つ、行燈という我楽多を作る。それは明日も、明後日も、何年先も変わらないんだろう。そして、あの時の朝顔の行燈と、お菊さんのお母様の行燈は、今はうちで灯っている。毎晩、寝静まる頃までに消えるくらいの菜種油を火皿に入れて、灯心に火をつける。これも何年先も変わらないんだろう。
「貴方」
「ああ」

 俺はもう一度行燈を見て、延べられた床の、お菊さんの隣に入った。
 行燈は、今日も灯る。幽かな光に安寧を宿しながら。

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2015/03/08 瀬尾時雨

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