【短編】Re:



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クレジット(瀬尾時雨)は任意です。

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 昔から、どうにも狙い撃ちされやすい性質だった。

 どこか反応が面白いのか、よくいじられて楽しまれて。でもみんなとは差障りのない関係にしか落ち着かず、結局そこに友達は出来ずじまい。趣味も大してないので、成長するに連れてますますになじめなくなっていくばかりだった。

 そうして、気付けば学生時代はあっという間に過ぎ去り、今こうして新卒の社会人になっていたわけだ。

 周りの同級生たちに比べれば割と小さな会社なので、流石に今度こそは一人くらい、プライベートで連絡を取り合える同僚を作りたい、なんて意気込んでみたものの、いざ入ってみると同部署に同期は自分を含めて3人。そのうち2人は異性で、しかも同じ大学出身の仲良しさんだというからそうそうに肩を落としたことは記憶にまだ新しい。

 まあこれだけ人が少なければ今度は誰にいじられることもないだろう。漸く仕事に専念できる。

 そうだ、しばらく真面目に働いてお金がたまったら、慣れないけれど新しい趣味を探しになんて行ってみよう。遠出して、秘密の隠れ家のようなお店の美味しいものとか、心が落ち着くきれいな景色とか、探してもいいかもしれない。

 なんて考えていたのだが。

「おい、またここ間違えてるぞ!」

「すみません……あの、この手順ちゃんとまだ教わって無くて、どうすればいいか聞いても」

「そんなの前年度の資料と見比べればすぐだろうが。ほら、早く動け!」

 私は毎日課長の理不尽な喚きを浴びている。

 ああ、今度はこういう狙い撃ちだったのか。もうこうなると諦めまでは早かった。

 せっかく色々と楽しみにしていたのに、あっという間に途方もなくなってしまった。

 あーあ。また、今までと同じなんとなく流して耐える毎日になるのかな。仕方がない。何とかなってきたんだ。頑張るしかない。

 そういい聞かせた言葉は、入社一月ほどで消えた。


 世情の副産物だ、入って間もなく会社の業務がテレワークに移行した。

 それからのリモート会議で、毎回毎回。そしてそれ以外でも。

 ずっとネチネチと課長からの呵責が飛んでくる。

 会議では毎度狙い撃ちにされ、その前後の書類の不備をプライベートのメッセージアプリにもずらり。

 入社初日にあった歓迎会で、その場に流されてアカウント情報を交換してしまったのが運の尽きだった。

 ―― いいか、会社のアプリでやり取りしてもいいが、そうすると全部上にばれるぞ。管理されているからな。俺はそれをばらさないように、わざわざこちらでやり取りしているんだ。わかるな? ――

 はあ。こういわれてもう何度目だ。自分からパワハラしているのをばれないようにプライベートアカウントに来ているんだ、と言外に記してあるのに、どうしても逆らいきれない。

 これまでのいじられなれた体質が、無性に無力であると実感を叩き込まれた。

 こちらから送る文言は、すみません、かしこまりました、やります、確認をお願いいたします、宜しくお願い致します……等の定型文。

 それが、きっと今回は果てしなく課長にとって面白くないのだろうか。段々当たりが強くなっていった。


 そうしてまた何回目かの会議。開始時間の3分前。着信を知らせるポップアップが出る。

 私はもうこの頃にはすっかり憂鬱になってしまっていて、服は寝間着ではないものの、適当に手櫛で髪を均し、先日手遊びに作った無粋な手作りマスクをつけただけの格好だ。

 胃から滲みだす鈍痛に気付かないふりをして、数回のコールののち、通話に出る。

「お疲れ様です」

「出るのが遅い。時間、決まってるだろうが。5分前行動を知らないのか」

「……すみません」

 見るとメンバーは課長と私だけ。

 ああ、わざわざこれを言いたかったのだなと辟易した。通話の内容はメッセージ上では残らないから。

「お前は一番下っ端で容量悪いんだから、先に呼んでやったんだ感謝しろ」

 そんなこと言われても……そう思いつつ逆らえずにお礼を言い、その後の会議の流れに乗った。

 会議中は案の定。先輩方や同期が相応の仕事を提出したり思案したりしている中、私はまたなじられるばかりだ。

 同期の2人は2人で助け合いながらやっているのだろう。私の出来なさをどう思っているのかは知らないが、課長からは褒められることも叱られることもなかった。

 そうして数件、なんとか仕事をこなしていた……いや、ぎりぎりでその怒りをいなしていたような私だったが、なんだか急に耐えきれない瞬間が来た。

 すべてを投げ出していなくなってしまいたい衝動。これは人生で初めてだった。

 わずかに残った理性がそれを押しとどめたものの、右手は音もなくマウスに伸びてゆく。

 しばらく休んでいたカーソルをゆっくり動かし、通話切断ボタンの傍に誘っていく。

 頓に、画面越しの会話が耳から除外され、自室の静寂と自分の鼓動に包まれた。

 ああ、これをこのまま切ってしまったらまたどやされるのだろうか。わざとじゃない、なんて言えば環境が良くないんだとかお前は陰湿だからそれが機械に移ったんだとか言われそうだと考え着いた瞬間、マスクの裏に妙な笑みが浮かんだ。

 静かに息を吸って吐いて、やってやろうとカーソルをそこに合わせた、その瞬間だった。

「その仕事は此方で引き受けます」

 急に戻ってきたテノールが心を鎮めた。

「え……」

 思わず声を漏らすと、画面の一番右下。いつも静かな先輩がまた同じ声で言う。

「その件はまだやり方を伝達していないので。流石にそれをやらせるのは酷だと思いますけど」

「いやね、しかしこれはやらないと覚え無いでしょ」

「けど、俺はこれは今の時期出来ませんでしたよ。直接何度か教えてもらいましたし。それに今はテレワークですし余計に。……何かあってカスタマーに迷惑が掛かってからじゃあ遅いですよ。まあ、もう少し様子見しませんか」

 課長は押し黙る。議題はそのまま、次に移ってゆき……気付けばそのまま、会議は終わっていた。



 その後、いつもよりゆっくり夜飯と入浴を済ませて帰ってくると、また課長からメッセージが来ていた。

 いつもはすぐにトーク画面を開くのだが、今日はそれをスルーして、財布を探る。

 確かここに、確か。

 ……そうして探し当てたのは、先ほどかばってくれた先輩の名刺。

 いつもスマートに仕事をこなす人だと思っていた。寡黙だけど丁寧で、入社した日に聞いたわからないことを、わかりやすく、すっと教えてくれた。

 だから覚えていた。歓迎会の時に聞いたその名前。


 もう夜は遅いけど、非常識になる気はするけど、思わずメール画面を立ち上げて文を打っていた。

 先ほどの通話終了間際の勢いをここに持ってきてしまったのだろうか。そうすることに迷いは微塵もなかった。

 とにかく、お礼が言いたかった。

 送信ボタンを押してスマホの電源を落とし、ベッドに体を投げる。

 妙にすがすがしい気持ちで、そのまままどろんで眠りに沈んだ。


 そうして私は、人生で初めてプライベートで人にメッセージを送ったのだということに、翌朝返ってきていた先輩のメールとともに気付いたのだった。

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2020.05.10

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