【ウテナ感想】七実ちゃんが学園を出るところも見たかったな
先日、ウテナのアニメ版と、劇場版を見ました。
まだまだ消化しきれておらず混乱中なのですが、一旦劇場版はなかったことにしてしまってもよろしいでしょうか。
七実推しなので、悲しかった……。とても……。
あと、ウテナとアンシーの関係性を捉え違いしてしまっている気がするので、なるべく主観的になりすぎずきちんと読み取り直したいな。
まだちょっとしか先行研究(考察記事とか)を読めていないんですけど、アニメ版の結末は飲み込めても、劇場版の改変をまだ受け止めきれていないです……
アニメ版感想
アニメ版についてはわからないなりに、
「ウテナとアンシーは、他人に依存する感情(恋愛、執着)に振り回される子どもたちの世界=鳳学園から抜け出したんだな」
「自分たちをお姫様という鳥籠に押し込める恋人よりも、10年後もお茶したいねって言い合える友だちを選んだんだな」
「アンシーはウテナからの掛け値なしの愛(アンシーを一人の人間として扱い、友だちになろうって言ったこと)をもらって、だから一人の人間としての自我を持てるようになって、自分の意思でウテナを探しに出かけたんだな」
みたいな風に解釈して、なんとなく腑に落ちた感じがしていました。輪るピングドラムの影響もある感じの解釈になっちゃってる気もしますが。
散々アンシーのことを振り回してきた暁生を冷たくあしらって、はればれとした表情で「今度は私が探しにいくよ、ウテナ」って言うアンシーがとても好きで。アニメ版途中まで「ウテナ様」「天上さん」って明確に線を引いて隷属関係であることを示して、自分から動こうとする事なんて無かったのに。
だから、アニメ版は「細部はよく分からないけどとても好きなアニメだな」って印象でした。
ただ、あんなにいいお友達だった若葉ちゃんも、色々あったけどなんとなく絆っぽいものが生まれていたはずの生徒会の面々も、あんな風にウテナのことを忘れちゃうものなんだろうか?って悲しくなってしまいました。
もしやまどマギのまどかみたいに上位存在になっちゃったの?と思ったんだけど、影絵の女の子たちも「ああ、いたよねそんな子も」的な話ぶりだったから、存在自体は消えてないはずなんだよなあ。
劇場版をみるきっかけ
劇場版のレビューを見ると、なかなか高評価&ウテナもアンシーと一緒に鳳学園を出るって書いてあって、
じゃあ「ウテナがいないラスト」に対するこのモヤモヤも補完されるかもしれない!と思い、劇場版を観てみることにしました。
劇場版感想
……劇場版って、観終わるまで知らなかったんですけど、アニメの続編でも総集編でもなく、パラレルワールド的なお話だったんですね。
間違って解釈してるからかもしれないですが、私は劇場版のことをあんまり好きにはなれませんでした。改変箇所によって、自分が好きだったウテナという作品像からずれが生じてしまってて……
ウテナとアンシーがレズ関係であることそれ自体は全然いいんだけど、私のアニメ版についての解釈としてあった
・他人に依存する感情から抜け出して、一人の人間として自立できたときに学園の外に出られる
・10年後もお茶しようね、っていうのは、自立した対等な人間同士でした約束
というのが根本から崩れてしまって。なんかウテナとアンシーがレズだったら、どっちもお姫様のままだしどっちも王子様のままじゃん、対等なんだろうかそれはって気がして……。
王子様に恋するんじゃなく、憧れて王子様になろうとするウテナがかっこよくて好きだったので、ウテナに恋人がいるのが、しかもそれが冬芽やアンシーっていうのがうまく消化できなかったと思われます。
あと、推しである七実が学園から出る時はどんななんだろうと想いを馳せたということもあって、彼女の存在自体がなかったことになっちゃったのがかなりショックでした。
・性虐待を受けていた
・実はもう死んでいた
というキャラクターになった冬芽に、妹という存在は必要なかったし、ストーリー上都合悪かったのは勿論わかる。
まったく出さないのはかわいそうだから、じゃあ牛として出そう(?)という制作側の愛(愛?)なのもわかる。
でもじゃあアニメ版39話もかけて描かれた、お兄様を愛し、悩み、怒り、もがいてた桐生七実っていう可愛い女の子の存在や感情はどうなるの?この子が学園を出ることは永遠にないの?とか思ったら悲しくなってしまって。他の生徒会メンバーは学園を出ることが示唆されていたので余計に……😂
こういう、考察が必要になるような作品において、過度に特定のキャラに入れ込むと、作品全体への感想まで偏っちゃうな〜という学びを得ました。
考察記事など拝読して
こちらの記事の考察がすごく腑に落ちたので、リンク貼らせていただきます(拙い感想記事での紹介すいません。なにか問題があれば消します)
というのが、主題として本当にしっくり来て。
そうすると、ロリコンクソ野郎ぐらいにしか思えなかった暁生をはじめ、冬芽、西園寺など男性陣が抱えていた生きづらさが一気に見えてきたような気がしました。
「暁生が王子様だった頃、ボロボロになってしまって、見兼ねたアンシーが民衆から王子様を隠してしまう」
っていうお話も、今見返したら結構わかりやすい暗喩なのに、見てた時は全然わからなかった。
「役割」っていうワードを中心に見ていくと、今までよく分からなかった部分も読み解けるなぁって思いました。
アンシーが夕飯にかき氷出してきた時につい抱いてしまった「お前そのキャラで料理出来ないんかい!」って感想、知らない間にアンシーに役割を押し付けてしまっていた事の証拠だなって。
先に書いた自立、自我ってワードは作品全体を見通せるワードじゃないにもかかわらず、私がアンシーの変化の理由を「自分の意思を手に入れたから」っていうふうに見たかったから拘っちゃったんだな〜、と反省。
解釈は間違ってるし、七実に肩入れし過ぎだしで拙いにも程があるけれども、その時持った自分の感想をそのまま残しておきたいなぁと思い。
恥ずかしい!消そう!ってなるまではこの記事を残しておこうかなと思います。
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