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地球は子孫から借りているもの

この投稿は、今治での3日間の経験に対する私なりの一つの答えを記したものである。

地球は子孫から借りているもの

しまなみアースランドの学習棟に入ると正面に掲げられているこの言葉。もとはネイティブアメリカンの言葉らしい。

倉本聰さんが主宰されている富良野自然塾というものがある。そこにはこの言葉の石碑があったり、「46億年地球の道」という、地球の歴史を460mの道に示したものがあったりするそうだが、岡田武史監督がその志を受け継ぎ、愛媛県今治市にあるしまなみアースランドでも同じ体験ができる。
https://s-earthland.com/program/#environmental

私は、Green Innovator Academyというプログラムの一環で、今治での3日間のフィールドワークに参加した。
そこで私が感じたことは、「地球にとって人間は悪者なのではないか」ということと、「効率とは本来、長く生き延びるための知恵である」ということだ。

46億年の地球の歴史を460mの道に表した地球の道。歩いていくと、これまでの気候変動は道の上で数メートル、すなわち数億年単位で温暖化したり、寒冷化したりしていることがわかる。しかし、人類が誕生してから現在まで、その道の中では、たったの2cmしかないのだ。産業革命以後では0.1mm。
これまで数億年単位だったはずの気候変動が、数百年で起こっている。明らかに人間の仕業だと思わざるを得ない。
人為的に変えてしまった分、せめて元に戻す義務が人間にはあるのではないかと私は感じた。
この道の最後にはさきほどの「地球は子孫から借りているもの」という石碑がある。このときは、道とこの言葉とのつながりにまだ気づいていなかった。

そのあと、ぼうしろの森という電波の届かない山の中で、薪を割り、焚き火をしながら一夜を過ごした。食材も、用意した薪も限られており、なるべく捨てるところが少ないように食材を使ったり、薪の組み方を工夫し、なるべく少ない薪で火を維持したりすることが求められた。
インストラクターの方の「自然の中では、いかに効率的に過ごすか」という言葉が印象に残っている。効率というのは本来、便利になるためでも、成長速度を早めるためでもなく、限られた資源でより長く生きるためのものなのではないか、と感じた。

3ヶ月近く経ってもいまだ鮮明に思い出せるほど充実した経験だったのだが、私はこの3日間で、ゆとりのある、ゆったりとした時間の流れを感じたのもまた事実である。
夏以降、毎日予定でいっぱい、やるべきことに追われ続ける生活をしていた自分にとって、五感を噛み締め、目の前のことに向き合うこの三日間は、普段と時の流れが違うように感じた。

新年に「ゆとりのある生活を心がける」という抱負を掲げたにもかかわらず、相変わらず毎日忙しくしている自分を俯瞰して、生き急いでいる感覚、自分で自分の人生を凝縮しているように感じることがあった。持続可能な社会を目指すために行動したいと言っている自分が、全然持続可能じゃないギリギリの生活を送っている矛盾にモヤモヤしていた。

ある時、夜景を見ながら、「電気が発明されたことで時間を選ばず働けるようになった」という友人の言葉を聞いたとき、私の中で全てがつながった感覚があった。

かつては活動していなかった夜にも働くことができるようになって、人類は今、未来の分の時間を使ってしまっているのではないか。

経済成長、といえば聞こえはいいが、本質的には、未来の時間を奪って凝縮しているだけなのではないか。

産業革命以後の数百年は、数億年分の未来を奪って生きてきたのではないか。

地球は子孫から借りているもの。だけど近現代の人類は子孫から借りすぎている。石碑にはそういうメッセージが込められていたのではないか。


本当の意図はわからないが、私はそう感じた。

これ以上借りすぎてはいけない。より長く人類が幸せに暮らすために、長く生き延びるための効率を求めていかなくてはならない。
自分の人生においても、今しかできないと思ってあれもこれもと欲張りすぎずに、本当に欲しい経験だけを選び、先の長い人生を見据えて生きていきたい。そう思った。

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