サーカス実験場 セルフアフタートーク

 先月出演したサーカス実験場vol.3でのアフタートークで色々話せなかったこと。というか、アフタートークが初めての経験でトークそのものが全然上手くできず、勿体無いものを感じてしまったのでここに書き残します。

実験について

 よし作品を作ろう、となってから「はて、いったい私は何を実験するのだろう」と思いました。それはそうで、これまでの出演歴もそんなに無く、 何か積み重ねてきたものがあるわけでもなく、もはや出演そのものが実験なのではないかと。
 なのでとりあえず、実験的だ!と思ってもらうことは捨てて、自分の中でやってみたいことを詰め込んだ闇鍋をしてみようかという気持ちになりました。

作品

 タイトルを『Liberation』としたのですが、直訳で解放という意味です。
 普段から「気になってしまうけどとりあえずスルーしているもの」というのが結構ありまして。今回で言えば衣装の裾とか、赤ちゃんの声とか、壁のポスターとか、まあそういうものです。
 舞台上では、というかこの作品上ではそういう「気になり」をLiberationして、その様子をお客さんに「観察」してもらおう、という感じです。
 先日、秘密基地vol.10で山村佑理さんの『REACTION RINGS』を見たのですが、その中の技の多くは2回に1回は失敗することを前提に作っているそうです。その時々の失敗、あるいは成功に対するリアクションをお客さんと繋げていく演目らしく、実際そう感じます。まるで対話のようだなぁという風です。
 実は空転劇場で同じ演目を見ていまして、その時に「あ、こういうのやってみたいな」と思ったんですね。

無名なので

 では何でそのまま「対話」ではなくて「観察」されようとしたかという話なのですが。
 オムニバス公演の時、「この人、初めて見るなあ」って出演者が一人はいると思うんですよ。今回で言えば、多くの人にとってそれは僕だろうと。
 知らない人の演技を見る時どう見るかって、いつもみてる人より注意深くなる気がするんですよね。少なくとも僕はそうです。
 良くも悪くも注意深く見られるというか、ある程度の期待に満ちた視線を向けられると思っていて、要するに「観察」されるわけです。
 その「観察」をそのまま作品にするのは、結構面白いんじゃあないかと思ったんです。
 めっちゃ見られるし、一挙一動が深読みされそうな空気感のなかで、「気になり」センサーをフルに解放した僕がなんかわちゃわちゃやるの、めっちゃ面白いんじゃないか、みたいな。

カタルシス

 一方で、僕がわちゃわちゃするだけではこちらが受動的すぎるというか、お客さんが能動的「観察」をしてくれない限り全然面白くならないだろうな、というのもありました。
 例えばこの『Liberation』をこの先もやっていくとして、見るのが2回目3回目のお客さんが出てきたとして、毎回衣装の裾やらなんやらを直してるのを見るのは、「見るだけ」になっちゃうんだろうなぁ、という漠然とした想像が生まれてきました。
 なのでこちらから何か歩み寄りのようなことができないかと考えまして、『REACTION RINGS』を思い返す事にしました。「観察」という形を崩す事なく何か上手いこと繋がりを作れないかなぁ、と考えました。
 それで思いついたのが「満足すること」です。
 当日のアフタートークでは「カタルシス」という言い方を使いました。全くその通りで、「気になり」が解消された時に人は「カタルシス」を得るんだと思います。
 僕が自身の「気になり」を解消して、カタルシスを得る。それはお客さんとの繋がりを生むのではないか、というわけです。
 人は多かれ少なかれちょっとした「気になり」があると思っていて、まぁ5分くらい僕が「気になりの解消」をしていたら1個か2個は被るというか「あぁ、それ気になるよね。わかる」というのがあって、そういう人と繋がれるんじゃないかという気がしました。
 逆に1個も被らなくても、満足そうにしてるのが伝われば「なんかあいつ楽しそうだな、笑」みたいな感じでそれも一種の繋がりだなぁ、みたいな楽観的な考えも持ちつつ。

リフレイン

 リフレインというか、同じことずっとやるのが好きなんですよね。ジャルジャルのコントみたいな。
 同じことを、同じように、ずっと繰り返すとそこにはある種の気持ちよさみたいなものが生まれてくると信じていて、それは迫り来る眠気と表裏一体でもあると思うのですが、確かに心地よい何かが湧き上がってくる感覚は共通しているんじゃないでしょうか。
 それは多分、演じている側の「繰り返すことによって生まれる慣れ=動きの定着」と観客側の「繰り返されることによって生まれる慣れ=眼前で行われる動きとそのリズムの定着」によって生まれるのではないかと最近考えています。
 「気になり」を解消して、その都度めっちゃ満足げになる、カタルシスを得るっていうのを繰り返して行ったら何か良い感情が生まれてくるのではないかなあ、という考えになりまして、前半の部分はそういう即興をしようという感じになりました。

・「気になり」を解消する。
・解消したらめっちゃ満足する。いつもより満足する。

という二つのルールだけ決めて、本番までは特に何かを練習することもなく、といった感じでした。まぁとりあえず、前半の即興パートの話はこれくらいでしょうか。

「なんかするたび満足するやつ」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?