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場末の楽しさは喪失の楽しさかもしれないと思った

キャバクラが好きです。
何もない僕でも居ていい場所だから。
人界とは思えない薄暗さも、まぁおまけして75点かな?みたいな女の子も、定価の何倍なのかわからない安酒も全部好きです。
 
「キャバクラの何が面白いの?」と問われれば即答できない。
女の子がいて、お酒を飲めればそれだけで楽しいような気もするし。
「キャバクラは疑似恋愛を楽しむところ」と言われれば、なるほどあと納得するし。
「純粋に人恋しいだけだろ?」と言われれば多分それも答えなのだと思う。
いつだって行けば迎えてもらえる。お金を払えば。
俺は何が楽しくてキャバクラに行くんだろう。

夜遊びを覚えてから、何年経ったか忘れる程の時間が過ぎていったけれど、何をしにキャバクラに行くのか、明確な答えは出ていない。
でも、ぼんやりと思うのは、俺は「喪失」を楽しみたくてキャバクラに通っているのかもしれない、ということだ。
何かを失うことが楽しいのかもしれない、と。
 

中毒になってみないとわからない領域というものがあって、そこに向かっている人間は、恐らく周囲には滑稽に映ったり、ひどく非生産的な行為をしているように見えたりする。
ギャンブル中毒の気持ちは俺には一生わからないだろう。ギャンブルで身を滅ぼす彼らを哀れに思う気持ちもある。
でも、彼らには彼らにだけ見えているものがあるのだろう。
アル中にはアル中なりに見えている景色があるのだろう。
 破滅に向かっていくことの楽しさみたいなものは確かにある。

わからない奴には一生わからない。
 
俺には一生わからないものがある。お前には一生わからないものがある。
それがわかるのは中毒になったことがある奴だけなのだ。
中毒になってまで何かを求めること、「世間的に見て愚かな行い」を、それでもやってしまうのは愚かなことなのだろうか?
それを愚かだと断ずる合理性は俺にはない。あったらこんな文章を書くこともないだろう。
 
 
すごく好きだったキャバクラ嬢がいた。
社会人になって、キャバクラに通うようになるきっかけになったのはあの子だったように思う。
純粋に顔が好きだったし、口の悪い喋り方が好きだったし、何もないところが好きだった。

典型的なキャバクラ嬢というのはあの子みたいな子の事を言うんだと思う。18歳からキャバクラで働いていて、ホストの彼氏と同棲していて、それが生活の全てのような女の子だった。
「束縛がすごいんだ」って、眉間に皺をよせながら嬉しそうにするような、よくいる女の子。
 
あっけらかんと、彼氏がいることを隠さないような子だったが、そんなの関係なしに俺は店に通ったし、控え目に言ってもかなり傾倒していた。
今思えば、疑似恋愛の範疇では済まないくらいのめりこんでいたのは間違いない。中毒というのはああいう状態の事を言うんだろう。
「キャバ嬢にハマる客」なんてのはよくある話だが、俺もその1人だった。
本当に、思春期みたいな熱量で彼女に夢中だった。
 
そんな「キャバ嬢にハマる客」の立場から見ても、キャバ嬢と客の関係以上に仲はよかったように思う。
毎日連絡していたし、よく遊びにも行ったし、俺に彼女が出来ても、彼女が店を辞めてからも、関係が途切れる事はなかった。
「もう無理、別れる」何度聞いたかわからない彼氏の愚痴に付き合わされるたびにキスもしたし、一緒に寝たことだってある。
そして彼女はいつも「ありがとう、もう少し頑張ってみる」って言って帰っていく。
そしてまた眉間に皺を寄せて、「ねえ聞いて」って嬉しそうに彼氏の愚痴を吐き、俺は笑いながらそれを聞くのだ。
「営業だろ」って言われてしまえばそうかもしれないが、それを判別できる程の知性は俺にはなかったし、それは今もそうだ。
 
 
「仕事やめてからほとんど家にいるんだよね、仕事以外だとあんまり外に出してもらえないからさぁ」
またいつもの愚痴が始まり、それならばと、友達の経営するスナックを彼女に紹介して、彼女はそこで働き始めた。
「これで友達のお店もお金入るし、いつでもあたしに会えるね」
そう言って笑う彼女にまんまと乗せられ、友達が呆れるくらいの頻度で店にかよう日々が続いた。
彼女への思春期のような情熱はいつしか失っていたが、この距離感がちょうどいいのかもしれないと思うようになっていた。
酒と、見飽きる程見た顔を楽しみ、軽口をたたいて、じゃあって言って手を振って帰る。
深夜に酔っぱらって送ってきたであろう彼女のメールを朝になってから読み、苦笑しながらベッドから出る。
そういうもので毎日が満ち足りていたし、幸せだった。
やっと疑似恋愛をすることができるようになったのだ、俺は。
 
 
 
でも、ある日突然、彼女は音信不通になってしまった。
連絡も取れなくなり、家も空っぽになっていて、本当に誰にも何も告げずにいなくなってしまった。
あの時の喪失感を今でも鮮明に覚えている。
「こちらの電話番号は現在使われておりません」
繰り返す女の声を覚えている。
 
 
「そういうこともあるでしょ、キャバ嬢なんだから」
そういうこともあるのかもしれない。
どこまで行ってもキャバ嬢と客であることに変わりはなかったのかもしれない。
彼女が俺に対してどんな感情を持っているのか、知りたくなかったと言えば嘘になるが、本心を知るのは恐ろしかった。なにせ、キャバ嬢と客だから。
色恋営業の範疇だったのかもしれない。キャバ嬢と客なんてそんなものだから。
今となってはわからないし、もはや確かめる術もなくなったが、確かめる必要はなかったと思う。

別に友達でも恋人でもないし、でもどこか友達のようで、恋人のようであったような気もする。
俺にわからないんだから、多分あの子にもわかっていなかったんだろう。あの子は俺と同じくらいバカだから。
何もわからないまま彼女はいなくなってしまったが、俺は愚かな時間を過ごしたのだろうか?
 
俺にはわからない。
俺にわからないのだから、多分誰にもわからないのだろう。
あの熱と、楽しかったような記憶と、彼女を失った喪失感だけが残っている。
喪失しているのに残っているとは矛盾しているが、この喪失感があの子の残した最も大きなものの一つなのだ。

あの子の誕生日が近付くと、いなくなったあの子の事を思い出す。
何のためにキャバクラに通っているのかはまだわからないけど、あの子の誕生日だけはずっと覚えている。

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