アイドルってなんだろうな
アイドル論、みたいなものを語ろうとするとき、自分の内面のけっこう深いところまで晒してしまうような気がして、めちゃくちゃ気恥ずかしい。
でも語りたくなってしまったんだから仕方なくないか?
アイドルの子のブログを読んだんです。
簡単に言ってしまえば、メンバーの1人が恋愛絡みで脱退しちゃったグループの子が、それを受けて書いたブログ。
賢い子だな、と思った。
感情が乗っているけど、言葉を選んで書いているし、務めて理性的であろうとしながら書いたんだろうなってのが伝わってくる。
頭ぐちゃぐちゃだろうに、ファンの事まで気にかけていて、俺はこの子たちの事を何も知らないけど、いいグループなんだろうなと思う。
だからこそ辛いだろうな、と。
これを読んでかなり心を動かされたし、応援したいな、と思った。
でもな、どうしてもひっかかるんだ。
ブログにね、「偶像」に拘りがあるって書いてあるの。
これを読んで、うおお恋愛禁止!!一生ついていきます!!とはならない。あくまで俺はね。
なんて言えばいいかな。
「水不足に喘ぐ村で、儀式のために水神様に捧げられる娘」
を見る時、みたいな気持ちになる。
そこにあるのは応援でも感謝でもなく、憐憫だ。
他人のために、1人の女の子の恋する気持ちを奪われていいはずがない、と思うのだ。
そもそも俺はアイドルグループの恋愛禁止ルールに懐疑的だ。
る子さんに倣って、あくまで理性的に、「懐疑的」と書いたが、ごめん俺には無理だ。
恋愛禁止ってなんだよ反吐出るわ、くらい思ってる。
わかる。それを謳う理屈はわかる。
ひとつはビジネスとして、そういうシールを貼ったほうが商品価値が高まるとき。そのシールを貼らない手はない。
給食の時間、シールつきのバナナに無駄に盛り上がってしまった経験、俺にもある。
自衛目的であることもあるだろう。
アイドルでも、俳優でも、アスリートでも、配信者でも。
表に出る仕事をしている人間が恋愛をする事を快く思わない人間はいるから。
わかる。
どちらも反吐が出る。恋心を隠すことがメリットになる世の中、反吐が出るだろう。
結果としてそうなってしまった、ってのなら、もっとわかる。
「アイドル活動が忙しくて、恋愛している暇なんてありませんでした」
わかる。無理はしないで欲しいけど、頑張ってるんだな、って思う。
でもさ、「偶像になりたい」は違う。
それを、「そうしなくちゃいけない誇り高い使命」みたいに言うのは、違うと思う。
水神様に捧げられるのは名誉な事です。
って聞こえる。哀れだ。
1人の女の子の恋心を犠牲にして得た平穏な生活なんて壊れてしまえばいい。
俺はアイドルが好きです。
人生を救われたな、って思ってる。
本当にしんどかった時、アイドルが歌って踊ってる姿に助けられた事、あるから。
なんでアイドルが好きなんだろう?
って考えると、俺より遥か歳下の子達が、辛いことも嫌なこともいっぱいあるだろうに、それでも笑顔で歌って踊っていてくれるからかな、と思う。
ふと、毎日しんどいな、と思った時。俺と同じように毎日しんどいだろうに、それでも笑顔でいる存在のことを思うと、勇気がわいてくる。
俺と同じ世界に、そういうものが存在すると思うだけで、「俺も頑張ろう」って思う。
俺が救われたアイドルってそういうものだ。
「偶像でありたい」っていうのはすなわち、「あなたたちと同じ世界では生きません」という宣言に等しい、と思う。
「人間じゃなくなりたい」と同義だから。
偶像、というものがどういうものを指すか、俺にはよくわからないけれど、仮に、あらゆる人間の不躾な願いとか想いを受け止める器のようなものだとするなら、人間はそんなものになれはしない。
だからどうか、アイドルたち。
偶像 なんてわけのわからないものにならないでくれ。
じゃなきゃ俺が、しんどい時にわけのわからないものにすがるような、愚かな人間みたいじゃないか。
俺が毎日あたりまえに生活して、あたりまえに人を好きになって、あたりまえにしんどい思いをしている時。
同じように、毎日あたりまえに生活して、あたりまえに人を好きになって、あたりまえみたいに歌って踊って、俺を元気にさせてくれ。
俺を救うのは人間であってくれ。
これもまた、不躾な願いとか想いでしかないんだけど。
この文章は、そういう願いです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?