死にたい夜もあるよね

みなさん膝抱えてますか?
僕も抱えてます。一緒ですね。
なんかわからないけど漠然と死にたいですよね。わかる。
押し潰されそうな夜ってまあ誰しもあるじゃないですか。
僕も人間なので膝をかかえて涙する夜もあるわけですよ。いい加減体育座りが様になってきた。

僕は楽しいことがあった後とかが超だめで、なんかめちゃくちゃ沈んでしまったりとかするんです。
多めに酒飲むと大体なんとかなるんですけど、変なところに入ってしまうともう全然終わりって感じです。
そういうのへいちゃらで余裕綽々で生きられるほどタフだったらよかったんですけど、そうじゃないでしょ?みんなさ。

そんな、この先何度も訪れるであろうしんどい夜をどう乗り切るか?
ってのは、生きる上で結構大切なことだと思うんですよね。

ゲームオーバーになりそうな時、ここのブロックを叩くと1up出てくる、って知ってるのと知らないのでは心の余裕が全然違うじゃないですか。
なんだか食らってしまう日って誰しもある。
ただ、ゲームオーバーにならないように残機の増やし方を知っておいて損はないよね、と。
本当にもうどうでも良くなったら、そのまま穴に落ちるなりなんなりすればいいんだからさ。

1upできそうならなんでもいいんです。
メジャーなのは音楽とか映画、漫画だったりかもしれません。
音楽に救われた記憶ってあんまりないんですけど、なんだかかなり救われたような気になる曲があって、やばそうな夜は聴いてます。

どうせなら晴れた日の朝がいいね ってフレーズが好きなんですよね。
夜は大好きだけど、暗い夜にいなくなりたくない。
なんだか仄暗くて、孤独で、みじめな気持ちのまま終わりたくないんです。


終わりの形って二種類あると思うんですよ。
ゴールとして、そこに向かって進んで、やっと辿り着いて、これで終わり。っていう、訪れることを望まれるようなそんな『終わり』。

不意に訪れる断絶としての、絶望としての、敗北としての。
ある日道を歩いていたら、前から来た男に「はい、あなたはここで終わりです」って肩を叩かれて、そのままパッと暗闇に呑まれるような、そういう『終わり』。

どうせなら、ああ、終わりだなぁ。って納得して、まあ、ここがゴールだな、もうゴールしていいな。って自分で決めた上で、じゃあ、さようなら。って終わりたいじゃないですか。
まだ薄暗い朝に外に出て、冷たいような空気を吸い込んで、ふう。よし、じゃあ、終わりますか!
ってサワヤカに終わりたい。

だから、なんとか朝になるまで耐えて、よし、って外に出ると、まぁもうちょっと頑張ってみようかな。ってなるんですよね。
全然死にたいけど、まぁ、朝まで頑張れたしな、っていう。
みんなそういう繰り返しで生きてると思うんですけど、僕は結構この曲でギリギリ耐えることが多いです。

どうせならっていい言葉ですよね。前向きなんだか後ろ向きなんだかわからなくて。

この文章もまさにどうせならで書いていて、そういう日もあるよね、って思いを昇華したかったのと、今まさに終わりたいな、と思っている人が、どうせならいい終わりを迎えられるといいな。
と思って、こういう文章を書きながら朝まで耐えています。
不躾に寄り添いたいわけではないけど、どうせなら。

それでは、よい終わりを。

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