ゲーム、ってなんでしたっけ?
お気持ち感溢れるタイトルになってしまった。
いやね、そんな難しい話じゃなくってですね。
MMOとか、FPSとか、MOBAとか、そのロールがやるべき事をしっかりこなさないといけないゲームがしんどくなってきたな、という話なんですけど。
いや、わかるんですよ。
突き詰めていくと理想のパーティとか理想の動きみたいなのができていくの、わかる。それができた時の楽しさも、わかる。
各々が役割をこなして、強敵を打ち破った時の感動、知ってる。
でも、実際そういうものに年々しんどさを感じてきている自分がいて。
最善手を打ち続けることとか、上手くなるために研鑽を積む部分に楽しさを見出せなくなってしまったのかもしれないです。
適当にやろうぜ、って言いたいわけじゃなくて、それに囚われるとしんどくなっていくよね、という。
どんなゲームにも定石みたいなものがあって、それは先人の知恵と試行錯誤の結晶なわけですよ。
「ここ、こうすると強くね?」っていう。
対人ゲームの目的ってシンプルに【勝利】なわけで、勝利に辿り着こうとするなら必然的に強さが必要なわけで、強いキャラ、強い装備、強い動きを完璧になぞればなぞるほどいいわけで、どれだけ上限値に近いところで画一化していくか、みたいな話じゃないですか。わかんないですけど。
人がやっている以上、完璧ってないわけで、完璧じゃないなりにいかに完璧に寄せていくか?っていうのがゲームだと思うんですよ。
「俺ならこうする」を削ぎ落としていくのがゲーム性というか。
そうやって「俺ならこうする」を削ぎ落としていった後に残るものってなんなんだろう、と思ったりしません?
自分を削ぎ落として削ぎ落として、じゃあ、俺がゲームする意味って、何?みたいな。
俺がやる意味って、何?みたいな。
話を壮大にしがち。
「俺ならこうする」を削ぎ落としていった後に結局残った「俺ならこうする」の部分が人間がゲームをやる意味なのかなとか思うんですけど、別にゲームに意味なんか求める必要もないのかもしれないなぁとか、考えれば考えるほどわかんなくなっていきますよね。
そういうことを考えるのもちょっとしんどいし、そもそも「俺ならこうする」を削ぎ落としていく作業、しんどくない?
そういう肺活量が衰えてきているんでしょうけど、深い部分に潜ろうとするときの苦しさに対して、ドーパミンが出にくくなってきているのかもしれません。
ポケモンって使いたいポケモンがパーティから抜けたらパーティ完成、ってよく言われるじゃないですか。
僕カードゲームをよくやるんですけど、使いたいカードを活かした強いデッキを組もうとすると、最終的に使いたいカードってデッキから抜けるじゃないですか。
強くなることが他人が生み出した定石をなぞることとほぼ同義であるとするのなら、定石を生み出す人間しか本当の意味でゲームを楽しめていないんじゃないか?
くらいの思考までいっちゃう時ない?俺は、ある。
誰かが生み出した「俺ならこうする」をなぞるしかない自分が、この先本当の意味でゲームを楽しめる時がくるんだろうか?みたいな。
本当の意味 とか言い出しちゃうとだいぶスピった感じになってしまうんですけどね。
結局何が言いたいんですか?と言われるとよくわからないんですけど、ゲームをやる時、そういうことを少し考えてしまいます。
上達するためにテンプレをなぞる楽しさって確かにあって、そこから逸脱して試行錯誤する楽しさもあって、結局ゲームって楽しいなって思うんですけど、そういうことを続けるうちに思ってしまうんですよね。
ゲームって、何?
何もわからないんですけど、僕が本当に好きなAV女優さんは沙月恵奈さんです。
マジで抜く時の定石。俺が生み出した俺だけの答え。
つまり、そういうことなのかもしれませんね。
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