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津軽三味線 偉人伝 #3 高橋竹山

弾き三味線の名人 高橋竹山

  • 出生は?                 本名 高橋定蔵 明治43年(1910)~平成10年(1998)は青森県 中平内村小湊出身で、昭和~平成に活躍した。

  • どんな人?                2歳の時に麻疹で目が見えなくなった。   15歳で戸田坊(戸田重次郎) に弟子入りし、生きるために門付けを行い腕を磨いた。     一時期、津軽三味線を引くことから離れ鍼灸、按摩師として生きることを目指すが、繁盛はしなかった。                その折り、津軽民謡界の巨匠 成田雲竹からの誘いを受け、竹山の名を与えられ、三味線奏者として旅を共にすることとなるが、活躍は目覚ましく、「十三の砂山」、「りんご節」等の伴奏を完成させた。              優しく奏でるように津軽三味線を演奏することから、「弾き三味線」という唯一無二のジャンルを確立し、その技法、考え方は現在も竹山流の弟子達に受け継がれている。    

  • エピソード                苦しい生活の中で三味線を始めた生い立ちからか、切れた糸を結んで使ったり、カンベリした棹を何度も修理して愛用し続けていた。   晩年、雲竹からの独立後 個人で活動した。  その演奏は人々を魅了し、竹山ブームを起こすと共に様々な賞を受賞している。      また、代表曲に「即興曲 岩木」がある。津軽三味線をモチーフにした漫画「ましろの音」に「即興曲 春暁」という曲が重要な位置付けで登場するが、竹山の岩木を意識したものであると思われる。                   晩年まで、演奏活動を続けたが咽頭癌にて1998年、その生涯に幕を下ろした。

  • 師弟関係                 師匠:戸田坊(戸田重次郎)、成田雲竹(※)   ※影響を受けた人物として         弟子:二代目 高橋竹山、西川洋子、高橋竹栄

  • 作品関連                 即興曲 岩木は竹山の代名詞となる曲である。他の、どの津軽三味線奏者も真似出来ない唯一無二の奏法・技術を堪能出来る。曲として括るには惜しく、その音色は多彩で心地よく、まるで川のせせらぎ、草木の揺らぎ、自然の中で感じる音を、そのまま表現しているように聞こえる。加えて、その響きから竹山の優しい人柄をも感じることができる。

参考文献
津軽三味線 まんだら(松木宏泰 著)




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