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津軽三味線 偉人伝 #6 喜之坊

仁太坊 最初の弟子 喜之坊

  • 出生は?                 本名 古川喜之助 慶応3年(1867)~大正11年(1922)は青森県 南津軽の荒田村出身の明治時代の奏者。

  • どんな人?                15歳で津軽三味線の開祖である仁太坊の内弟子となり、仁太坊の元で一年間稽古をつけてもらう。その後、出身地の荒田村に戻り坊様として活動をするとともに、弟子をとることで津軽三味線の普及に大きく貢献した。                  

  • エピソード                仁太坊の村と喜之助の村とでは50km程度離れており、仁太坊の名がそれ程までに広がっていた事が伺える。内弟子とは住み込みで稽古をつけてもらう事で、仁太坊、妻のマン、仁太坊の第一子、そして喜之助の4人の共同生活が行われていた。稽古は口三味線から始まり、各糸の撥付の稽古を経て、曲(津軽じょんがら節)の稽古を行った。              独立後の喜之助の弟子に亀坊がいるが、この亀坊の演奏を子供の頃の木田林松栄が聞いて育ったとの話があることから、津軽三味線の音色が受け継がれていることが伺える。

  • 師弟関係                 師匠:仁太坊               弟子:赤坊、亀坊

  • 作品関連                 ーーーー                 喜之坊が演奏した音源等は残されていないが、仁太坊→喜之坊→亀坊→木田林松栄の系譜であることから、勢い良く三味線を叩くことに主眼を置いた演奏だったのではないかと思われる。

参考文献
津軽三味線 まんだら(松木宏泰 著)

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