メタセコイア

母校の中庭には、大きなメタセコイアの木が並んでいて。メタセコイアってこういうやつね。


そんなに大きい学校でも、新しくてきれいな学校てわけでもなかったけど、渡り廊下から見えるメタセコイアとグラウンド越しの夕陽はなかなかに絶景で自慢やった。

卒業を控えた高3の秋とかやったやろうか。ある日登校すると、そこには見るも無惨にハゲ散らかしたメタセコイアの姿が。おいおい。鳥の足跡みたいになっとるやないか。なんなら切られてちょっと低くなってない??なんて、悲しみと驚きで一同騒然。
せめて、せめて告知してから切ってくれよ。当たり前にそこにあったのに、突如として、過去に撮った写真でしか我々の好きなメタセコイアの姿を拝めなくなった。
そしてお気付きだろうか、高3の秋の出来事。そう、私たちの代はめでたい卒業をハゲ散らかしたメタセコイアと共に迎えることになったわけだ。違う涙出るわ・オブザイヤー。

大切なものほど、失って初めて気付くなんてことが多い。大切だとわかっていても、大切さが日常に馴染んでしまい突然いなくなることも多い。なんでもない平和な毎日のようで、そういった脆弱性の上で生き続けていくことに恐怖や疲弊さえ覚えたりもする。

だからこそ。目の前の大切にしたいもの、気持ち、人に慣れずに、見逃さずにいたいと思う。

今季一番楽しみに見ていた「おいハンサム!!」というドラマで、こんなセリフがあった。

あれこれ遠慮するな。あれこれ考えるな。
電話をしろ。手紙を書け。会いに行け。
あとで後悔しないように。

次の休みは祖父母に電話をしようと思った。大切な人にはもっと手紙を書こうと思った。
ちなみにこれは7話の最後。シュールでクスッとできて、ハッとする言葉が詰まっているのでよかったらぜひ。抜粋したが、ここの前のセリフも含めて一連の言葉がつよい。

なんでもコロナのせいにするのもコロナのお陰にするのもなんだか癪だが、実際コロナ禍によって、前なら取りこぼしてしまっていたかもしれないような気持ちの機微に気付くことができた。当たり前が当たり前であることの尊さは何度でも刺さる。

みんな、生きることに必死な人の方が恐らく多くて、忘れてしまうことなんていくらでもある。昨日の晩ごはんに何食べたか思い出すにもちょっと時間かかったりする。
でも、意識することで、努めることで、得られるものもきっといくらでもある。と信じたい。

同居人と深夜にリビングで語り合うエモい夜(不定期開催)によって、思考がぐるぐる回って、まとまってもないのにnoteなんて書き始めちゃって、ふと久しぶりに母校のHPを見てみた。
メタセコイア、わっさ〜〜生い茂ってやがる。安心した、寝ますかね。

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