強さ、とは
「まだ、良くなるんじゃねぇかって、思う時もあるんだ」
その人は「懸命に」受け入れていた。自分の身体、これからの生活、耳の遠くなった母、自分の中で醸成された言葉ひとつひとつを語ってくれた。
…
身体を動かせなくなってもう数年が経つ。事故当初はやり場の無い感情を周囲の人間に当たり散らしていたという。それでも最近はヘルパーさんと楽しそうに会話をする姿も見える。当時、関わってくれた人に申し訳なさも感じているという。
だが今も葛藤ばかりの生活だ。
福祉サービスが入らない時間は母に頼ることが多く、どうしても声を荒げてしまう。導入したスマートスピーカーは声で操作でき、生活に少しの彩りを与えてくれたのは確かだが、ネットワーク障害など、思いもよらない壁が立ちはだかる。
スマホ検索ですぐ解決できるなら苦労はしない。どれだけ話しかけても応えないスピーカーに苛立ちは溜まる一方だ。
長年、当たり前に握れた拳が握れなくなった境遇に、当事者は立ち向かうことを強制される。誰にでもない、自分の人生に強制されるのだ。
そんな中でも「やってみたい事もある」という。外に出るのも一苦労だけど、と本人は前置きするが、それは今とは違う今を求める、誰にでもある人間の欲求である。その言葉から絶望は無かった。
懸命に立ち向かうその人は、間違いなく「強い」。
立ち向かうとか、受け入れるとか、そんな前向きな言葉ではなく「諦め」もあるのかもしれない。それでも、置かれた人生を生きるその人からは強さを感じずにはいられないのだ。
私は、そんな希望のお手伝いをしていきたい。
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