エレクトーンの話(後篇)私がエレクトーンを続ける理由

大学に入って以降、エレクトーンを再開することはなかった。
自分の中で再開するという選択肢がなかった。
母から、今までのレッスン料を返せと怒られても再開しなかった。父から、上手だったのにと褒められても、弾かなかった。
その間に、今まで通っていた教室が移転し、エレクトーン科が廃止になったのも再開しない口実になった。
でも、大嫌いになったのに、この大きな楽器を部屋から追い出すことができなかった。

再開したのは本当に、偶々であった。
大学4年になる3月に近所の人に民謡の合唱の伴奏を頼まれたのである。
趣味というか、お遊びの合唱グループだったのだが、キーボードを弾いてくれる人がいないと相談された。
まあ一回くらいならと了承した。
それが、本当に楽しかったのである。人と音をあわせるってこんなに楽しいことだったのかと、感動すら覚えた。
歌っている人も、簡単な和音を添えるだけで甚く感激してくれた。

エレクトーンを弾きなおし始めた。持っている楽譜を開く。確かに弾ける。楽譜も読める。ただ、昔より圧倒的に下手になっている。これは再び誰かに指導を仰がないといけない。
通学沿線のエレクトーン教室を調べて通うことにした。あんなに再開するのが嫌だったのに、エレクトーンや音楽の楽しさを再認識したら、通いたくて仕方がなくなった。私は、講師にはなれないが、初心者では全くないという微妙な立場であったが、今の教室は快く受け入れてくれた。なぜ一度辞めたか、今の先生はじっくり聞いてくれた。それはあなたがとても上手だったから当時の先生が甘えすぎてたんだね、と静かに言ってくれた。

楽譜は変わっていなくてもエレクトーン自体は大きく変わっていた。直喩ではなく、文字通り変わってしまっていた。鍵盤に触れた時の時の力加減、持続しているときの力加減、鍵盤から指を話した時の力加減、そのすべてのセンサーが認識する繊細な楽器になっていた。また、上級者向けの授業は難しかった。聞いたことのないようなリズムの取り方に当惑した。久しぶりに会った幼馴染が変わってしまったような寂しさを覚えた。

「やめちゃおっかな」と思ったのは、その年の12月だった。院に上がることも決まったし、卒論も書いた。でも、エレクトーンは昔のように弾けない。なんだか下手なのが恥ずかしいな。昔は上手だったのにな。
そう拗ねていた私に、先生が大人受講生向けの教室でのささやかな発表会に招待してくれた。私も昔に比べたらずいぶん簡単な曲で恥ずかしながら参加することにした。
発表会当日、そこにはいろんな人がいた。子供の頃に少しピアノを習っていて大人になって再開した人、大人になってから頭の体操として始めた人、療育のために始めた人などなど。演奏曲は、きらきら星から月光まで。皆さん楽しそうに演奏されていた。こんなに発表会って楽しかったんだな。私の拗ねた演奏もたくさん褒めてもらった。踏みにじられたままの思い出が少し洗われた気がした。

あれ以降、どんな時でもエレクトーンを弾くのが楽しくなった。へたくそでも全然弾けなくても楽しかった。発表会の直後に、昔のエレクトーンが壊れてしまったので最新型に買い替えた。当時の私には高い買い物だったが、躊躇いも後悔もなかった。

私がエレクトーンを続ける理由は、楽しいからだろう。たとえレッスンに通えなくなっても、私はエレクトーンを辞めないだろう。下手の横好きでも、好きで楽しいならそれでいいんだと思う。

先週のレッスンの時に、新規入会に白髪の奥様がいらっしゃったのを見て、なぜ私はエレクトーンを続けているのかを自問自答した結果である。

私もおばあちゃんになってもエレクトーンを楽しく弾いていたいな

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