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天才と凡人と秀才

自分はもちろん凡人である。
常に平均以上はあまりこだわりが無い。

今週のテーマは、『10年後の自分』
真剣に考えても10年後になってみないと仕方ない訳で、予想するために過去20年の歴史を遡りながらサッとグラフを書いてみた。

なんだか経済成長みたいなグラフ

正直、0歳から小学校低学年の記憶はほとんどない。
その時に、しんどいことや辛いことはあっただろうが人間嫌な記憶ほど忘れてしまうもの。
今考えれば、知識が増えれば増えるほど嫌なものが見える。
その時楽しかった思いは越えられないのではないか。漫画『セトウツミ』でも記載されていた。

生まれてから小学校低学年まで

辛かったとか、おもんなかったとかそんな思い出も楽しかった思い出も正直自分だったのかすら覚えていない。

さっき書いたグラフが間違っていることに今気づいた。自分は小さい頃、「特発性血小板減少性紫斑病」というものに煩わされていたらしい。
確か、家のどこかに飾られていた “檻のような何かに入れられた自分の写真”
「この写真はなに?」と聞いたことがあった気がする。(小学校の時の授業かな)
包帯で腕をぐるぐる巻きにされすぎて、ボクシンググローブを着用してるみたいになった檻の中にいる幼少期の自分の姿。(全く記憶にないのが悔しい)
調べてみれば、毎年3000人くらいしか罹らない難病のよう。あのグラフは大きく間違っている。今と昔で随分と医療技術も異なるやろうし、大変やったんかな。
そんなこんなで、小学校に入学する。
昔からギリギリのギリギリで一気にコケるのが自分の定石。とても鈍臭い。
学校がついに始まる日、自分は2階から一段目の階段を踏み外し、一階まで落ちていく。
ランドセルがあったので奇跡的に目の上の傷だけで済んだ。何してんだか。
ランドセルのおかげで後頭部を打つことなく、命を救われた。背筋ピンッ。
そんな感じで始まる小学校生活である。そう思えば今とあまり変わらない。幼少期からゲームも好きだったが、まだおばあちゃんがいたので図鑑やら本やら買ってもらっていていろんなことに興味があった。外で遊ぶことも、もちろん好き。
小学校一年生の時の記憶は一つだけ残っている。
隣の友人が極度の牛乳嫌いだった。だから、その子のためを思って、飲んであげた。まあ、自分も牛乳好きだったので。
飲んだ後、前にいた女子がチクった。
「けいごくん、〇〇くんの牛乳を勝手に飲みました〜」
もちろん勝手に飲んでいない。
おそらく、その女子も牛乳が欲しかったのだろう。その後、頭が混乱したままとても先生に怒られた。
「あなたが勝手に飲むことで周りを嫌な気持ちにさせるかも知れないでしょ。ちゃんと先生に聞きなさい。」
今も昔も変わらない。返す言葉。
「どういうこと?」
本質からズレること、論理的でないことは基本的に昔から理解できない。

そんな記憶しかないが、
この一年で転校することに。

新しかった環境から新しい環境に

小学一年でウキウキして、転校。
大阪であるが、違う校区だった。よくアニメである強い転校生ではない。紹介の仕方は一緒。
最初は緊張したが、小学生はすぐに仲良くなれる。というのも、周りの友達はみんないい人だった。
小学校2年の時の担任の先生は、ドラクエの絵がとても上手かった。漢字ドリルを綺麗に描けば、絵を描いてくれるので頑張った気がする。その先生は絵を描いてくれるので好きだった。何かしてくれたらお返ししたくなる、ギブアンドテイクだ。僕は友達とパックンフラワーを1000個作りタワーにしてあげた。価値を交換することは大切だ。こんな交換ではきっとビジネスは失敗するだろう。
小学3年生はガチで何も覚えていないので、書けない。では、続きはまた明日。
為せば成る。

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