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心臓で支柱だったのだろう。少しのズレと矢印の向きを。自分と向き合う時間を。

 毎日素敵な言葉に、環境にそれは素晴らしい。のだが…やっぱりポッカリと空いた穴は大きい。僕はSOSを出す、出せるタイプではない。だから出せる人が貴重。そのせいかものすごく大きいなと。ただ信じていたから、人間不信に、疑心暗鬼になった3月はまたまたきつかったから。

 今は歯車のズレは感じていない。もはや良い。なんならこれからどうするかを中々のスピードで考えている。それはそれで未来に向かうにあたっては非常に良い。ただつまづいたら苦しくもなる。逆風、強風どころの騒ぎではないことも理解しているから。でもやりたいな。その分昨年、一昨年これで良かったのかという思いもある。いわゆる妥協だ。

 さて最後は僕のメモというかなんと言うか。
子どもたちは完璧。可愛いし大好きだし何って個性が素晴らしい!それは前提。
ただ…2人で保育する中でそれなりに温度差あって、僕だけやりやすいはダメでアウトプットもさせることも出来ず結局分業化してしまって申し訳ない。そして多分一緒に出来たことあったろうに…僕の経験と言葉と行動と不安定さ…全て悪い。特に最後の1ヶ月の不安定さは本当に謝りたい。。あと言葉で傷つけそうな時には話さないという選択もした。そしてこの1年だけこの保育はこどもにとっては良くない。でもやっぱりもっと一緒にやりたかったのも事実。んー難しい。これをどれだけ評価してくれただろうか?どれくらい良いと思ってくれていたのだろうか?3月にはそんな事しか考えることができなかった。それも今の気持ちだろう。そして素直に大好きで大切な方だし、優しい方だと思う。振り返れば僕にとって精神安定剤位支柱だった…苦しい時は本当に近くにいてくれて…運動会のリハ後に不安定すぎてマイクの方で強く言って…でも唯一「先生は笑ってた方が良いよ」って唯一認めてくれて本当にここがターニングポイント。多分社会人になって一番よっかかったんだろうな。これも今の気持ち。面白いね。多分僕にとって大きい1年。ただ、2年で自信を無くしてしまった主体保育ではあるし1年は不安と戦い続けた、僕の保育と言われるから…評価されてない、されづらい中でオープンに聞かなかった。それもある意味守るためにオープンな場で聞かなかった。なんせ園長に「変に知識ばっかりいれんなや」って何度も釘打たれたし…もはやオープンで言われた方が僕の中ではしんどさもある。だから最後に問いたい。
「この保育どうでしたか?」
と。そして去年の不安定さを謝りたい。
これだけ聞ければ、謝れればもうなんでもいい。

距離の近さも間違えた。でも先生でなければここまで出来なかったかもしれない。

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