自称内向型とHSPが苦手な理由と何者かになりたい人

①性格とコンプレックス

最近は外向型の性格特性よりも内向型の方が優れているというネット記事やYouTubeの動画などがある。

簡単に言えば外向型と内向型の性格特性は陽キャラと陰キャラと言い換えても大方違いはないと思う。

社交性やコミュニケーション能力があり周囲を巻き込んで行動することができる。これが外向型の基本と言ってもいいだろう。

逆に内向型は社交性が低く、独りでの活動や自身との対話に重きを置くと考えても良い

そういった性格特性があるのは当然のことであるが、最近よく見るパターンが

「内向型は外向型よりも優れている」

という見出しの動画だったりSNSでのかきこみである。

②何者かになりたい!でも自信もないし何も持ってない!

別の例にはなるが、以前、女性に多かったがHSPを自称する者が少なくなかった。

それはHSPという性格特性上の欠点をHSPじゃ無い人の性格特性を見下し優位性を得る風潮があり、感情の起伏が多めのコンプレックスを持つ性格の女性の中である種、「何者かになるため」の手段に自称HSPはその役を買われていた。

そういった社会から求められない性格をある種「何者か」になるために使用されたと個人的に思っているのが自称HSPである。

しかしその流れが男版(女性も含む)である陽キャラと陰キャラ、つまり外向的か内向的に来ており、社会的にはあまり求められなくて馬鹿にされる風潮のある性格特性である内向型を褒め称え、外向型より優位性のある性格だと主張するYouTubeの動画や書き込みが増えてきている。

これらの社会的に求められない性格特性の優位性を煽り、性格的なコンプレックスを抱える現代人に「何者か」という存在意義や帰属意識を与える風潮はネット記事のアクセス数や再生数稼ぎに利用され、ネットメディアやインフルエンサーも流れに乗っかっていて、そのような動画は大概再生数が多かったりする。

要するに彼らは自信と自我が少ないのだ。

③個人の時代が生み出した負の側面

一昔前は集団で活動して何かを成すよりもここ最近は個人主義を掲げて「好きな事で生きる」や「自由な時代や個人の時代」を掲げて何者かの肩書を求める事が正しい風潮というネット上のインフルエンサーが作り出した流れに乗るのは良いことかもしれない。(かくいう自分もかなりの「何者か」になりたい病の一人ではあるが)

しかし何者かになりたいという欲求を自らの紙一重のコンプレックスな性格をインフルエンサー含む他人から「内向型やHSPは他人より優位性がある正確だと」煽られることでしか「何者か」という肩書きを得られることができない。それしかない。しかしコンプレックス解消の為の適切な努力はしたくないという人がいる。

自分は一概に性格特性を自称する人が嫌いではないが、先程書いたような自信も自我も無くコンプレックスを脱する努力もしたくない人が名乗る自称内向型やHSPが苦手(嫌い)なのだろう

これはSNS上のプロフィールにおいて自らが持つ精神疾患や病気をカードゲームのデッキの如く並べる人に対しても同じ感情を持ってしまう

さらにここ最近はこれらのHSPや内向型に加えてHDMI(?)みたいなアルファベット四文字を並べた性格診断の結果を自称し、自らのカテゴライズや他人を判断したりする人も少なくない。

この性格診断が近いうちに性格診断という本来の目的を失って他人への優位性やマウントとる材料になる可能性は少なくないかなと個人的に考えている。

当然何者かになれるのは良いことかもしれない。しかし社会的に求められない性格特性を堂々と掲げてまで肩書きを得たいかと言われたら自分はそれは違うんじゃないかなと思う次第である。