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戦時下のウクライナのリヴィウに行ってみて

様々な国から植民地化されていたリヴィウではヨーロッパの中の多様な文化が混在する美しい街で、ウクライナの中で一番ヨーロッパらしい街であり、ロシア語話者が多い中、全員がウクライナ語を喋るウクライナ文化の首都と言える街である

ウクライナ人の男性は自由な出入国が出来ないので国境を超えるバスには女性しか居ない異様な空間だった。

戦時中により観光客はほぼいないのでやたら珍しがられたり親切にされることが多く、楽しく公園での時間を過ごしたりした

一見平和に見える街だが、一日の半分ほどは変電所破壊の影響で停電したり、軍服を着た人や地雷で足を無くしてしまったであろう人をよく見かけた。

ドミトリーで一緒になったおじさんは砲弾で撃ち抜かれた足の怪我を見せてくれたりした

また、空襲警報が日常になってしまった街は警報が鳴ってもそのままの日常が続き、不覚にも緊急地震速報が鳴っても何事も無く過ごす日本と同じような認識なのかもしれないなと思った。

しかし一番心に残ったのは戦死者(殉職者)のモニュメントで、最前線に向かう者の言葉と写真、そしてその直ぐ側の教会では讃歌と共に戦死者が運ばれ、涙をすする人、互いを包容する者、十字架を切る者たち。

また、広場で仮設で作られた集団墓地には多数の戦死者が埋められ、また現在進行系で墓地が作られる様子も見た。戦死者の名前欄には自分より若くして死ぬ人も山程いた。

自分は負の遺産をある程度見てきた方だと自負しているが、あくまでも"それら"は過去のものであり、実感が湧きづらいものである。

しかし、この戦争は現在進行系で起きている。

これらの事実はこれまで見てきたどの負の遺産よりもインパクトが大きかった。