恋愛感情が年々消えてく

実は恋人いない歴が年齢だとは言っても正直この事実は自分にとって特段コンプレックスがあるわけではない
人に恋愛観や遍歴を聞かれた際も彼女できた事ないんですよねと返す。

しかし恋人いない歴=年齢は社会的にあまり良いイメージがないようで、人格や見た目に問題があるのではと疑われる原因にもなる。
そしてまたこの社会は恋愛至上主義でもある

恋愛や結婚は幸せの象徴でもあるという空気はあるし、全世代で共通の話題にもなる。恋愛の曲、漫画、映画、アニメ等のコンテンツは溢れかえっているし自分も好んでいる。
また、友達と話す際も恋愛話はポピュラーな話題である

だが、現状の自分は
恋愛感情がゼロではないが年齢を重ねるにつれて恋愛に対するエネルギーが減少し続けてるので「恋愛感情が非常に湧きづらい」≠「アロマンティック」にかなり近い状態になってる

なので性的マイノリティのアセクシャルを自認して当事者同士で理解を共感し合えるわけでもなく、普通の人の様に恋愛に幸せを求める事ができる価値観があるわけでもない

考えた結果と有料女遊びから始めようということでコンカフェや風俗やレンタル彼女などのサービスで遊んでみたが、特にレンタル彼女は当初自分が想像したよりも楽しく、彼女を作るという選択肢は想像するよりも悪いものではないなと思うくらいであった

自分自身の見た目も気を使っているし同性異性関わらず会話すること自体は苦手じゃない
一般的に彼女を作るために傍から見て分かりやすい必要条件は満たしているだろうと自称している

試しにという事で始めたマッチングアプリは
これが本当にびっくりするくらいワクワクしない。
主要な点を述べると
チャットのやりとりの苦痛さ、いいねの数という恋愛市場での競争の可視化"と"恋愛したい人との価値観の乖離"だ

これに関しては恋愛感情が云々というより自分自身の価値観と合っていなかったと言っても良い。

前述したが、恋愛偏差値とも言えるいいねの可視化、年収、学歴、見た目、モテる趣味、モテない趣味など、普段から社会や会社で競争に晒され続けてただでさえ疲弊しているのに、恋愛というさらなる競争社会やマウントの泥沼に自ら足を突っ込んで精神を摩耗する事に何の意味があるのだろうか?と思ってしまった。

また自分の価値観もかなり少数派だ

仕事や趣味が第一だし、恋愛は一番後回しになってしまうかもしれない、ミニマリストだし家事も最低限しかやらないし、一人でいる不安や老後の不安も無い。さらに子供もあまり好きじゃない。今は自分で手一杯。そんな自分を選ぶ人が存在するのか?

恋愛や結婚をすれば幸せになれるとか、なんとなくの不安感から開放されるとか、老後も安心とか、思考停止になって「わたしを幸せにしてほしい」等と受動的に幸せや恋愛を求める人と果して理解しあえるのか?

また、現状結婚願望も無く、結婚すれば不幸と不自由になる(もはや逆張り?)と思ってさえいる自分が果たして彼女いない歴=年齢のレッテルを剥がす為だけに自己満の"恋人がいた"という経験を作る行為自体、自分の為に時間を割こうとする相手に失礼ではないのか、
そんな自分がこの土俵に立つ意味はあるのか

そんな事を考えていたらの3000円の月額プランを払ってしまっていたアプリを気付いたら退会していた。

総括になるが、ただ自分のよくわからない恋愛観や行き場の無い想いを書き殴ってきただけで特に結論はありませんし、正直どうにもならないが、一人でいることに対しての不安感は無くとも、この恋愛観というか、自分と同じような背景や価値観を持った人がいないのが少ないのが世間から取り残されているという感覚が少しある。

また色恋の感情が湧くかはわからないが、当面は恋人がいない期間は長く続くと思う。