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あの日の後悔

本日の話は、少し前に話題になった打牌批判についてです。

個人的な意見としては、打牌批判は好きにやればいいと思う。
ただし、言い方と批判するにはされる覚悟をもってやれと思う。
打っていいのは打たれる覚悟のある奴だけらしいぞ

と、ここで終わるのでこんなnoteは書く気がなかった。
しかし、ある時思い出したくもない記憶が戻ってきて、
その記憶が今回の神域リーグでの打牌批判の核になっていると思った。
なので、戒めついでに記事投稿します

ある麻雀配信での私

これはもう2年前?くらいになるので、
内容はうろ覚えだがその日私は伊東ライフ先生の麻雀配信を見ていた。
私はロム専なのでコメントを書くことはないが、
コメントを拾って配信者が視聴者とやり取りをするのは好きだった。
そうして、ライフ先生が8000点クラスのイーシャンテンの場面で、
対面から立直がかかった。
ライフ先生は悩んでいた、確かに点数状況的にも押すか降りるか難しい場面だった。私としては配信だし、ライフ先生は押すと思っていた。
しばらくして、降りた姿をみて何の気なしに、ライフ先生らしくないなと思った。

何気ない悪意?

さて、皆さんはどこが気持ち悪いのかわかりましたか?
「ライフ先生らしくないな」←これですね。
自分が参加してる麻雀でもなく、ましてやライフ先生となんの接点もない自分が「らしくない」なんて思っているのがキモい。
友達ですら、らしくないとか言うの相当敷居高くないですか?
私はコメントしなかったのですが、コメント欄では押す降りるで若干ギスっていました。そして、それを見てライフ先生は少し困っていました。

打牌批判の前に配信のコメントであることを自覚するべき

配信者は見に来た視聴者になるべく楽しんでもらいたいと思っているはずです。もちろん人間なのですべて好意的に受け止めるのは無理です。
しかし、コメントするってことはそのコメントが別の視聴者に見られる、そして場合によっては配信そっちのけでコメント合戦が始まります。
天開さんが身をもって伝えたいのは恐らくこれです。

昨今どの配信にもコメントのルールがある場合がほとんどです。
守れているかは別として、配信者はやりたい配信のイメージがありそこから逸脱するようなコメントは控えて欲しいはずです。
そして、神域リーグでは打牌批判がコメントのルールとして、SNSの発信としてやめてくれと言っているわけです。
私のように無自覚にその打牌どうなの?とか思うのは当然、他人の麻雀だもの、でもそれをわざわざ大声で言うことは必要ですか?コメント欄やSNSに書くことになんの意味があるのでしょうか?
配信の空気を無視して打牌一点に集中する意味は?
友達同士で話のタネにするくらいでいいでしょう。

神域リーグ楽しみ

若干マイナスなことを書いたあとだが、私は神域リーグがすごく楽しみだ。
一年目も去年も毎回わくわくする配信だった。
解説と実況に来てくれているプロたちが本当に面白い!
応援配信の仲間を信じて祈っているすがたも尊い!
なにより気が付くとドラマが生まれているのが配信として◎
どうでもいいことより面白い神域リーグを楽しもう!


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