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何者かでありたかった自分へ

「てんていさんは作曲をされてる音楽勢の方で…」


自分のしてる活動は事実としてそうなのかもしれないけど、
こういったことを言われると恐縮が極まってどこかに隠れたくなる。

でも、ふと冷静にかえってみると、
自分に何某かの形ある言葉があてはめられていることに気づく。
これはちょっと前からしたら考えられないような事態だったのだ。


「欝々しいワナビー青春時代」

当時の僕がハッキリとそれを自覚する瞬間はなかったと思うけど、
学生時代の僕は「何か」になりたがっていた。

でも自分が手にするのは「弱者」や「落伍者」のような人にとても誇れない言葉ばかりだった。
持たないものに対する憧れは強まるばかり。
僕は自分に誇れる言葉が当てはまる日を夢見て迷走に迷走を重ねていった。


コミュニティの中心人物の威光にすがろうとしたり、

ボイトレをした経験も、これといった実績もあるわけでなしに、カラオケで上手いやつぶったり、

はたまたろくに技術を磨いていない創作のコミュニティで「自分はまだ若いのに才能がある」とでも言わんばかりのイタイタしい振る舞いをしたり、

おまけに「これからはプログラミングだ」という言葉に振り回され、
何も意味を理解せずプログラミングを勉強し、ストレスでパソコンを叩き壊しかけたりした。

全く実を結ぶものがなかったといえば嘘にもなるが、大体は周囲に人差し指を向けられる結果となった。

ネット声優をやっていた頃の作品を、役者の友達に見せたことがある。
自信作のつもりだったが、彼の顔からみるみる生気が失われ、最後には、ぱさついた声で「いいんじゃない」と一言だけ言われたのは今でも覚えている。

それで懲りればよかったのに、
僕は「これだけ頑張ったのにどうして理解してもらえないんだ…」と、分かりやすく、この手の人間が陥るスパイラルに陥っていた。

残酷な話だが、純粋な力量もなければ、努力の方向音痴も甚しかったのだ。
学生の本分は勉強であり、その先に待つ就活である。
そしてもう少し広義に捉えれば、友人やパートナーを見つけ、そういった人達との時間を楽しむこともそこに含まれるだろう。

でも僕は何者かになる事にばかりお熱だった。
しかも、外側から徒に与えられるありきたりな言葉で語れる存在になるのは嫌だから、
とりわけ創作を通して、自分の望む、他の人にはなれないような「何者か」になろうとしていた。

その結果は推して知るべし、
僕はこれといって何者にもなれなかったばかりか、
人として出来ているであろう当たり前をことごとく欠いた人間になってしまった。

普通の人なら出来ていること
普通の人なら持ってるもの
普通、普通、普通…

僕はその「普通」に迎合することに唾を吐き続け、
人とは違う道で自分を誇示しようとしていた。

でも、ネット上での創作も数字を取れるわけでもなく、
誰かに誇れるような実績もなく、
リア友にそれを見せれば渋い顔をされるばかり、

心身の不調から、ろくに授業も出れず、
後になって単位を取り返すだけで全てが終わっていく学生時代。
就活など出来る余力はなかった。
恋愛は好きな女の子に「男性として見れない」と一回フラれただけで戦意を喪失してしまった。

なにもない、本当になにもない。

「お前、何が楽しくて人生生きてるの?」

意地の悪い先輩からのこんな言葉を真正面から受けても、何も言い返せない日々が待っていた。

「自分は心身が弱く、生きてるのが精一杯だったから」

そんな言葉に逃げるのは簡単だ。

でも、望ましい行動から背を向け、最後までやり切る責任も持たない現実逃避に甘んじていたのも事実だ。
人と比べて弱い心身に生まれついたこととそこは切り分けて考えなくてはいけない。

全部、全部、自分の選択の結果だった。
その責任は自分が取らなくてはならない。

普通は嫌だ…
だから僕は僕の道を行く

でも僕がいつも気にかけていたのは、
「普通」のレールの上で進んでいく人生だった。
「普通」と比べて足りない自分がいたから我慢ならなくていつも「普通」のレールを眺めながら迷走に迷走を重ねていた。

『本当は「普通」になりたかったんだよな』
『でもそこからあぶれちゃったから悔しかったんだろう』

そう優しく囁くもう一人の自分の存在に気づいて大泣きした夜もあった。


「お前ほど主人公っぽいやついないと思うよ」

後にマネージャー兼SPとなる男がある日唐突にかけてくれた言葉だ。
ストリートファイターでバルログにボコボコにされながら、何を恥ずかしいことを言っているんだという感じだったが。

僕にとって彼は強さの象徴であり、憧れの友人だった。

「お前ほど、かっこよくてすげぇやつ、そうそういないけどな」

手元が狂ってフライングバルセロナが大キックに化けた。

彼からの言葉は先の見えない泥濘道で見つけた一輪の花だった。
今でもその花は僕の胸中でひそやかに咲いている。
なんだったらお節介な彼は今でも時々それに水をやりに来る。

彼は僕がここまで今この日まで生きて来れなかったこともあり得たと度々口にする。
実際そうだ、よく五体満足で生き残ってるなと僕自身も思う。
そうはならなかった理由の一つは彼が残してくれた言葉だったのだと思う。

そして僕たちは紆余曲折を経て再会を果たすことができた。てんていとSPカイオウとして。

てんていという何某

フレンドさんがそのまたフレンドさんに僕を紹介をする時、このような言葉が使われる。

「音楽勢!」

「お歌を作ってる!」

「歌が上手い!」

「コミュ障!」

どの言葉も自分にはもったいなくて、
いつも「いや、そんな、恐縮です…」と、あたふたと陰の者のムーブをかましている。

でもふと冷静にかえると僕は何者かになっていることに気づいた。
「弱者」でもない、「道化」でもない、思わずはにかんでしまうような言葉が自分に当てはめられているのだ。

僕はあれだけ掴みたかった、焦がれていた何かになれていた。

烏滸がましくも今の僕の活動に看板を掲げるならば「VRシンガーソングライター」とでもなるのだろうか。

それは側から見ればただ現実で居場所のないおじさんがVRでイキってるだけかもしれない。
ってかそれは最早事実だと思う。僕も人間だ。

でも、そんな醜く愚かに見えていたとしても、この感触を離すわけにはいかない。
そう思える自分がいる限りは進み続けようと思う。


変わらない原動力

これだとただ綺麗に畳んだだけの文章になってしまうので、
最後はこれまでの創作や何者かになるための足掻きと、てんていの活動に何か違いがあったのかについて言及したい。

結論から言えば本質的な違いは「ない」と断言できる。

いつだって動機は

「チヤホヤされたい」
「すごいと言われたい」
「モテたい」

あたりだ。

モテる様子だけは一向にないが、他の欲求についてはありがたいことに満たさせていただける場面が増えてきた。


こうした邪な動機で走り出し、気づいたら、作曲そのものが楽しくなってきたのが今だ。

でも結局楽しくなるのにもある程度の承認が必要だったわけだから、やはり原点に還るとただ単純に下心がたまたまVRCという世間の需要とマッチしたというだけの話に過ぎない。

鬱々しいワナビー青年の頃の自分と今の自分は何も変わりない。

だからこそ、当時の自分、そしてVRCで何かをしてみたいと感じつつも一歩を踏み出せない人に何かを言うとすれば、

「その下心を忘れずに何度でも壁にぶち当たって欲しい」

そして「本気で壁にぶつかった数だけ後の自分の助けになる」と。


『自分に自信は持てない、でもこのままじゃ我慢ならない』

そう思える限りは、もがいた方がいい。

「絶対上手くいく」だの、「大丈夫」だの、無責任なことは言いたくないけど、
今これを読むあなたのもう一歩の助けになれたら嬉しいです。

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