見出し画像

VRで叶えたい目標のはなし

「お前はVRでの活動を通してどこに向かって行きたいの?」

最近、リアルの友人に言われたことだ。

VR上で生活しながら、そこで感じたことを歌にして発信する活動を始めてもうそろそろ一年弱になる。

自分はどれだけ良い曲を作れるかを探求しており、ありがたくもそんな自分の曲を待ってくれているフレンドさん達がいる。

規模こそささやかかもしれないが、そこには好循環が生じている。

それだけで十分ありがたく、このまま活動を続けるに値する理由になると思っている。

だけど、活動の本質を問われる冒頭の質問に、僕はその場では明瞭な解答を出すことが出来なかった。

しばらくしてそのことを振り返ると、怒りが沸々とするのを感じた。

これは「ホントは答えがあるのにそれを言語化出来ずに相手に言い負かされた怒り」だと直感した。

そう、本当はなにかあるはずなのだ。

それからもひたすらに考え続け、
マネージャーとの対話を通して、自分なりの答えが見つかったのでまとめておこうと思う。


結論:VRで救われる人を一人でも増やしたい


自分にはファンタジックな演出の文章は書けないので、先にたどり着いた答えから書いてしまうととにかくこれに尽きる。

僕はVRに救われた、誇張抜きにだ。
そしてこれは、今VRSNSで生活を送ることを選択している多くのユーザーに言えるだろう。

一部の人々にとって、VRでの体験は人生を変えんばかりの衝撃を与えてくれる。
(しかし、それは決して安くない初期投資を経てやった人にしか分からないし、相性如何では体験したところで全くピンとこない人ももちろんいるだろう)

僕も今ではVRで過ごす時間が生活の一部となっている。
VRで出来た友達もだいぶ多くなってきたし、VRを通して得た成功体験もある。

もちろん、これはたまたまVRという土壌に僕のようなタイプの人間が合っていただけに過ぎない。
手放しで誰しもにVRを勧められるという話ではもちろんない。

それでも、自分がこの世界に救われたという事実から、
同じように救える人々がいるのではないかと僕は考える。

だから僕はこのVRという世界がより広く認知されればいいと思うし、
それによって自分のような人間が救われたという事実も伝えていきたい。
そうすることで救われる人が一人でもいればいいと思っている。

そのためにも自分がどんな人間で、
どうしてVRに救われているのかをハッキリさせる必要がある。


「容姿」という檻


あなたは、ただ外を歩いてるだけで人に笑われることはあるだろうか。
僕はある。それも特別なトラウマとしてでなく、日常的にある。

そこには被害妄想や自意識過剰も多分に含まれるだろうが、「明らかに」と言わざるを得ないことが時折ある。

挙動が不審だから、不細工だから、色々理由はあるのだろう。
思わず笑ってしまうほどのみっともなさが自分にはあるのだと思う。

僕は自分自身の身なりに対して内心で「とてつもなく醜い害虫のような何か」と評価を下している。
そんなことを考えるのがいかにナンセンスなのかは自分でも分かってるし、産んでくれた両親やいつも側にいて励ましてくれる友人達にもあまりに失礼なのだが、いつも自分に向けて飛んでくる(またはそのように感じる)石に対して、そうでもしていないと心のバランスがとれないのだ。

だから、僕は自分の姿を晒すことに激しい恐怖がある。
職場の関係上どうしても人通りの多いところを歩かなくてはならないのだが、イヤホンで激しい音楽を聴いていないと一秒たりとも耐えられなくなる。

こればっかりは自分の姿を晒して臨んだリアルでのライブ活動の成功や美容にコストをかけた結果友人から容姿から褒めてもらった事などがあっても拭い切れなかった。

ここまで書いた上で、VRが持つ、

「容姿を変えて(隠して)生活できる、自分を表現できる性質」

が、僕にとってどれだけありがたいことかが少しは理解してもらえるだろうか。
どれだけの恐怖から解き放たれて人と接することが出来るのかが伝わるだろうか。

「恐怖や不安は乗り越えていくもの」
そんな言葉に人は納得や正当性を覚えていくものだが、

「恐怖と不安があっても自分が自分であれるように生きるための手段を見つける」という発想があってもいいと僕は思っている。

どれだけ自分を愛そうとしても、心無い他者に台無しにされやすい人というのは悲しいことに存在する。

そういった人達がVRによって一人でも救われてほしいと僕は思っている。


ごった返しのVR


これは未だVRSNSの文化自体が発展途上にあるからこそ起こっていることなのかもしれないが、この世界で出会う人たちの多様性に驚いている。

おそらく一般的な社会人が飲み会やパーティのような場所で探しに行くものがVRSNSでは比較的軽いコストで見つかってしまう。
僕が使用しているVRSNS、VRChatで言うならば誰でも入れるPublicワールドに飛び込んでみるのも一つの手だし、コミュニケーションに難があってそれが厳しかったら、フレンドが開いている比較的人数の多いFriend+インスタンスに行くのでもいいと思う。

それだけでも様々な生き方をしてる人々と接することが出来る。

僕はいわゆるコミュ障で全く人と話せないが、そんな人間にでもそれを肌で感じることが出来ている



そしてその中で感じるのは、人々の年齢や社会的地位などが現実に比べてぼやけていることだ。

仲良く話していた相手が7,8歳年下なんてことはよくある話で、
逆に気さくに話しかけてくれる目の前の美少女が一回り近く年上の方だったりすることもある。

そして時たまそういった人達の生い立ちを聞くと、
自分以上に壮絶な人生を生きてる人もいれば、漫画でしか聞かないような地位のご家庭に育っている人もいる。

そんな人達が立場に縛られず美少女やイケメン、ケモノやメカになってごった返している。
今のVRSNSのイメージはそんな感じだ。
繰り返しになるが、おそらく「容姿」から解き放たれていることがそれを引き起こしていると僕は感じている。

流石に性別とまでいくとぼやかしきれないものがあるのが非常に難しい問題ではある。VRSNSにもリアルの性別が女性のユーザーを狙った出会い目的のユーザーはいるようで、その被害を受けたという声も少なくない。

ただ、男性が女性らしさを追い求めて可愛い身振りやボイスチェンジャーなどを駆使して女声を出そうとすることなどはこの世界ではごくありふれていることであり、思わずドキッとしてしまうような可愛い男性(美少女)がいるのもまた然りだ。それはある意味性別がぼやけている瞬間と言えるかもしれない。


こうした、お互いが何者かを良い意味で忘れて過ごせるところに惹かれている人々は少なからずいると思う。
もしかするとこの点はVR世界が一般化することで、徐々に失われていくものなのかもしれないが、この世界が漫然と現実を過ごすだけでは巡り合うことのなかった出会いに導いてくれることは変わらないと思っている。


お砂糖は悪い文化か


VRSNS、とりわけVRChatには「お砂糖」という文化がある。
VR上で結ぶパートナー関係を指すものだが、
端的に現実で言う「恋人」に置き換えられるものではないというふわっとした定義のものだ。
「特別に仲のいい友人」と捉えている人もいれば、
現実の恋人関係と同じく「恋愛関係」と捉える人もいる。

同性同士のお砂糖もあり、むしろVRSNSで一番多いのは男性(美少女)同士のお砂糖カップルのように感じる。
ここで不思議なのは、その人達が実際同性愛者の方なのかというとそういうわけでもない点だ。
目の前に異性の姿でいるというだけで、脳も心も容易に騙されてしまうのだろう。

「お砂糖」は現実にまで交際が発展する場合もあるし、お砂糖から結婚をしたカップルも存在している。
逆にVR上で完結する関係と割り切るお砂糖カップルもおり、現実で結婚されている人がVRでお砂糖をするという例も聞いたことがある。

よく「『お砂糖』は悪い文化だ」とする意見がある。

現実の恋愛よろしく、コミュニティ内のそれは輪の破綻を招くものである。

しかも、お砂糖はその定義の曖昧さからすれ違いを生むリスクが高いように感じる。
各々が「特別な友人関係」と「恋人関係」と互いに違う認識を抱きながらお砂糖関係を結べば破綻がすぐ起こることは想像に難くないだろう。

だから曖昧な定義の言葉で互いを曖昧に縛りつけ合った結果周囲を巻き込むようなことになるくらいなら、
そんなことは元からしないか、「お砂糖」などという言葉でぼやかさずしっかり「恋人」と称した方が良いという考えも出てしかるべきだろうなと僕も感じてはいる。

ところで、僕はたびたび「お砂糖」の曲を作って公開している。


僕は、否定的な意見も考慮したうえで、「お砂糖」には割かし肯定的だ。
「好きになってしまったなら一度それに向き合ってみるのも良いんじゃないかな」と思ってしまう。

というのも、僕は現実では一度もパートナーを作れたためしすらない恋愛弱者だ。

若い頃はそれでもヘラヘラしていたが、
30も間近になってくると、その言葉を言う口はとてつもなく重くなってくる。
気心知れた友人は笑っていじってくれるが、初対面の相手になるとシャレになってないと言わんばかりの顔をされることもある。

飲み会の席で何度「風俗行けよ!!」と言われて苦笑いしたか分からない人生である(何度言われても意地でも行こうとしない僕も大概だけど)

そんな人からすると、

「VRでパートナー関係が結べることで救われる人は少なからずいるんじゃないかなぁ」

というのが正直な意見だ。

自分で言っててだいぶ無責任だと思ってはしまうが、僕はどうしてもそこから救いを得る少数に目が行ってしまう。

ろくに恋愛を経験できなかったおじさん同士が恋愛をし、
中高生のようなヒステリーを起こしてコミュニティもろとも破綻を迎えるなんてのは地獄以外の何物でもないとはもちろん思う。

それでも、「それすらも彼らが学生時代に得られなかった青春であり発達の過程だとしたら…」と考えてしまうのだ。
(繰り返しになるが、巻き込まれた側はたまったものではないのは確かだ。経験がある人はマジでごめんなさい)

そういう意味でも、VRは人生を歩む上で損なったものを補完してくれる可能性があるんじゃないかと僕は思っている。

自分自身が示せるように


ここまでいかにVRが過ごしやすく、そしてそれによってどれだけ掬い取れるものがあるかを自分なりにまとめてみた。

都合よく書いている様に見えるが、僕自身VRの人間関係が原因で悩むこともあるし、嫌な思いをさせられることもある。

それでも、この世界は現実世界を生きるのが難しい人にとっての「第二の選択」になり得ると強く感じている。
これからも僕はこの世界での活動を続け、高く飛んでいく様をフレンドさんに見せて行きたいと本気で思っている。


そしてその先、

僕の活動を見た誰かが
「自分もVRに行ってみよう」と考え、

VRの世界にダイブし、そこでそれぞれの幸せを見つけてもらえたらそんなに嬉しいことはない。

だからこそ、
誰かが幸せを見つけるきっかけとなれるように。
僕自身が現実もVRも一生懸命生きて、生きづらいなりに幸せになっていると言えるようでありたいと思うのである。

実はこれを書いている現在はすさまじく体調が悪く、気持ちもだいぶ後ろ向きのだが、そういった自分の弱さと共に歩んでいくことが自分の示したい道なんだと思う。

ここまで読んでくれた人にだからこそ言えるけど、

「頑張って一生懸命に生きていくから見ていてください」

それこそが、僕が「てんてい」の活動を通して目指していく一番の目標です。


ここまで読んでくださりありがとうございました!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?