VRで話す「色々あって」の内情

VRCに来て一年程度経過した。
「色々とあって」と、これまでと濁してきた事を書く。
このような内情を話すことは恥ずかしいことだと、なんとなくそんな意識を持っているけれど、VRからリアルへの影響で良い変化が出ているというツイートを見て自分はどうなのかと気になったのもあり今書いている。

VRを時折「放課後」と称する人がいる。金や技術、時間の限りを尽くし、老若男女問わず自由に、そして全力で悪ふざけをしているからだろう。(もちろん真面目な創作をしている方々がいるのはわかっているしそれはそれは尊い事だ)
私こと鯰田もその中の一人で、主にTwitterでUserたちの大喜利をビジュアルに起こして投稿して楽しんでいる。
このような生活が10代の学校生活で送れていたら良かったのだが実際のところは非常に厳しい現実があった。

私の家庭は酒乱の父に母子が暴行を受け離婚するという、水面化ではよくありそうな一般家庭から始まる。
ほぼネグレクトの状態にある中、義務により与えられる僅かな食事で育ち中学に上がった時、環境が一変した。
自分で整えるしかない頭髪、やつれた身体は集団から攻撃されるだけの充分な理由になったのだろう。
傷害や精神的なものはまだ耐えられたが、2年に上がる頃に教本を机ごと焼かれた。火遊びのつもりだったのだろう。
しかし大ごとにはならない。学校としては対応が面倒だから。学びの機会を失ったのには堪えた。登校しろとは言われるものの本当に居る理由がないのだ。
初めは助けを求め教員や親に話をしたものだが、とりあってはもらえなかった。
現在ではインターネットによりさまざまな情報や助けを得ることができるかもしれないが、私の時分ではまだそういった文化は無かった。
学校を諦め公民館や図書館に行くも、「学校に行け」とNPCのように繰り返す母がいるため外出しても学生服のままで、学校に連絡が行きそれが母にまわされる。
最終的に素行が悪いとされ、送られた先が「ひまわり学級」である。
特別な学習支援が必要と判断された生徒への滑り止めだ。
もはやどうにでもなれと教室のドアを開けた途端、中から甲高い奇声が響いた。
差別だなんて、と思いたいところだが自分が同列に扱われていることに激しい嫌悪感を覚えた。
もはや教育ではなく選別だ。自分は篩に残ることができなかったのだろう。
その日ばかりは冷静にいられずに自分に刃を向けた。自分の人生の中で一番の勝負どころだというのに、情けないことに死の恐怖に勝てず死に損なったのである。
病院で心底面倒くさそうに対応する母に叩かれ、思い切り食い縛った時に「あんたみたいに歯軋りをする犬をTVで見た。そっくりだ」と言われた事を今も鮮明に覚えている。

そんなのは些細なことだとでも言わんばかりに時が過ぎ、受験と卒業がやってくる。
なんとか底辺の高校に入ると、アルバイトが許可されていて救われた。家に帰る事はほぼなくなり、ただただ金を貯め、適当な就職をして、専門に通い、そして今はデザイナーをして紙やWEBを触っている。

そんなこんなの経緯により私は、
人と話すことがあまり得意ではないと思う。対人経験が少ないし、人間が恐ろしいから。
年齢相応の落ち着きを持ち合わせていない。
食事や旅行、玩具などの娯楽に知識がないし興味も湧かない。
ジオロケーションのような一般的な知識を勝負に出されるワールドは一切わからない。
多くの欠陥を持ったまま、人の皮をかぶって生きている。

しかし、VRCで出会うUserたちはそんな私でも優しく接してくれた。
(内情を知らないのだからこれが世間一般で言う当たり前の対応ではあるのかもしれないが)
QVペンで書く文字を褒められて書痙のような症状が改善されたり、会話の運びも少しは良くなったと思う。
創作をするUserに感化され、自分もその中の一人になれたことも嬉しい。
自分が創作で利益を出し、確定申告なんてすることになろうとは。学びが多く大変ではあるが、そこに生きている実感がある。
様々な分野の話を聞いて、自分の可能性を広げることも出来るのかもしれない。ワクワクする、というにはまだ自信がついてこないけれど。
まだ一年。もう一年。いつ終わるのか分からないこの放課後で、いつかのツイートで見た「周回遅れの青春」と笑われようとも楽しんで自分の糧にしていきたい。

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