グラレコでととのう?グラレコ廃人のカエルンが、約200日で、約200枚以上グラレコして解ったこととは。
の約200日間で、200枚以上のグラフィックレコーディング(以下、グラレコ)を制作しました。
2020年4月30日から2020年11月23日、駆け抜けた感がありましたので一旦ここで振り返るというのが本記事の内容です。
楽描人カエルンとは
楽描人カエルンです。楽(らく)に楽(たの)しく描(えが)くので「楽描(らくがき)」です。たまに「楽猫(ねこ)人」と呼ばれますが、そこはアイコンから察していただきたいといつも思っています。(笑)
グラレコの例:発達障害と防災(仮)
似顔絵が多めなのが特徴です。また、「要約してまとめる」派の対極である「あったことを逐次書く(描く)」派です。自分がファシリテーションをする場合には「絵は少なめ/文字多め/ラフに書く」も行いますが、グラフィックレコーディングの場合は「絵は多め/文字多め/できるだけ丁寧/しかもライブドローイング」というところを目指しています。その時/その場で起こったことをできるだけ見やす/素早く残すことにこだわっています。要約して量を減らす、ライブ性をあきらめて時間をかけることは好みません。
またワークショップデザインの能力を活かしたグラレコの講座の開発と実施も行っております。興味がある方はこちらを参照ください。
約200日200枚以上
もろもろを考えますと1日に1時間以上は書いていることになります。
1枚とはテレビの地上波デジタル放送等でおなじみにフルHDサイズ(1,920×1,080)の場合が多いです。作業時間から逆算すると30~1時間程度かかっていることが分かります。
ちなみにグラレコ風イラストも描きますが、グラフィックレコーディングの3~10倍の時間がかかります。
グラレコ風イラストの例:Engadget日本語版様でのライブ配信の一コマ
オンラインのイベントは展開が速かった(今はそうでもない)
最近のイベントはそうでもないですが、オンライン化当初は「展開が速い」ものが多かったと思っています。
理由としては「無観客試合」で独演している形の配信は特にその傾向が高かったと思います。観客との掛け合いがなくなってしまったことで、登壇者が「焦って」しまうということが原因だったと思われます。
最近は登壇者の「オンライン慣れ」、講習会やフィードバックなどによりオンラインの視聴者にとって好ましいスピードで話す方が増えたという印象があります。
オンラインが当たり前になった
あまりにも当たり前なので何を今更と言われそうですが、コロナ禍前は対面で行われていたことのほとんどがオンライン当たり前になりました。
コロナ禍前ではオンラインは対面での実施が難しい場合の代替手段として捉えられれていたものが、オンラインが当たり前に変わったというのは大きな変化だったと思います。移動時間が不要になる、これまでは参加が難しかった人(子育て、介護等)も参加できるなど可能性も広がりました。
この記事を書くきっかけになったグラレコも「紙」に描くから「デジタル」に一気にシフトしたと思っています。
参加者は何を見るかや視聴スタイルを選べる
対面式であればありえなかった参加スタイルが選べます。
Zoomであれば「ギャラリービュー」「スピーカービュー」を選んだり、画面上のでウィンドウのサイズ、Web検索で調べながら、あるいは、二つのZoom会議に同時参加するなど、参加者の自由度が広がりました。
グラレコも会場の後ろでこっそりみたいなことから、Zoomであれば自画像の代わりにライブドローイングにして参加するということもできます。(オレンジの絵になっている部分は通常は自撮り画像がはめ込まれるところをライブ配信ソフトで差し替えています)
ビジュアルファシリテーションをしながらビデオ会議に参加している例
(左上:ビデオ会議(Zoom)、右上:ライブ配信用ソフト(OBS Studio)、右下:デジタル作画ソフト(CLIP STUDIO PAINT PRO)、左下:検索画面、Microsoft Windows 10のデスクトップ)
オンライン作画ならではの描き方がある
思い込みを外すとデジタルならではの作画ができるようになりました。
パソコンやタブレットの画面での「映え(ばえ)」を考慮した画面が作れるようになりました。
紙の場合は例えば背景に「色」を使うことです。印刷物の色の三原色は色を重ねていくと彩度が下がるため一般的には白色の紙にインクを重ねます。
一方デジタルの場合は彩度を気にする必要がありません。また、レイヤを使うことで重なり具合を変えることもでき表現の幅が広がりました。
紙(主線を書くペン、塗るためのマーカー)の代替したデジタル作画の例
デジタルならではの作画の例
実際にどうやって書いているのか見ていきましょう。
デジタル作画ソフトでのレイヤ構成(2020/11/23時点)
デジタル作画では書く(描く)スピード重視で設定しています:
色:ペンは白と黒の2色としています。キーを押すことで即座に切り替えができる機能を使っています。
ブラシ(ペン):よく使う太さのものをプリセットしています。ペンを選ぶことがペンの太さの選択になっています。
レイヤ:①線画(不透明度:100%)、②陰影(不透明度:20%)、③ベタ(不透明度:100%)、④ハーフトーン(不透明度:50%)
アナログでは色数を減らす(黒、イエロー、ライトグリーン)、紙のサイズを小さくする(A4コピー用紙を使う、ポータブル・スキャナでその場でシェアする)などをやっておりましたが、基本的な考え方は一緒です。
感想等
グラレコで「ととのう」
カエルン・クラスになるとグラレコは「ととのう」に繋がります。サウナー(サウナの愛好家)がサウナで「ととのう」のに近いと思っております。
グラレコやっている人の多くは書くことがツライと感じていると思います。頭も使いますし実際に手も疲れます。一方カエルンの場合、ランナーズハイと同様に脳内物質が分泌されているようです。禁断症状なのかもしれませんが、時間さえあれば(時間を作って)書こうとしている自分を発見します。
職業グラフィックレコーダーはいなくなる
カエルンの持論です。現在グラレコの専門家と称するヒトがイベントで行って書くということが多いのですが、本来のカタチであるそのグループの中の誰かが自発的に書くことが増えると考えています。
ヒトが何らかのグループで活動を行う場合には、その中の一人以上がグラフィックレコーダー等の「見える化」を行うビジュアルプラクティショナーになっているのがカエルンから見える未来です。
ヒトは自分の頭の中にあること以外書けません。すなわち「見える化」とはビジュアルプラクティショナーの知識がそのまま反映されるということです。私たちはグループを組むということはその高い専門性(技術的に高度という意味だけでなく、地域やその人びとに精通していることも含む)にあると思います。その高いレベルを突然やってきたビジュアルプラクティショナーが理解して絵にすることはほぼ不可能だと考えています。
要約ではなくできるだけ全体をコンテキスト共に残す
できるだけ全体をコンテキストと共に残すことで、そのビジュアルを使った新たな議論を行い前に進むことができると考えています。
一方、要約はある意味分かりやすいのですが、「コンテキスト」の記載が無いと議論が深まらない、「コンテキスト」に関する理解違いが発生しミスリーディングする可能性が高いと考えています。更に強く言えばビジュアルが無駄になるだけでなく害を引き起こす可能性すらあると考えています。
討論会、会議、打ち合わせにおいて、その参加者で合意がとりやすいのは自分の発話は正しく記載されているかになります。一方要約による「まとめ」も合意はとれるかもしれませんが、後から議論を開始するとそのとらえ方が全く異なっていることから意見が対立すればまだマシで、議論が全く進まないという事象が発生することがあります。これまで何度も経験していることであり避けたいと思っています。
ビジュアル化は時短につながる
哲学者の西研が言うところの「共通了解」は時間をかけてお互いの経験を共有することで得られるものだと思っています。ビジュアル化を使うことはその時短につながると考えています。
哲学対話イベントでは「結論は出しません」「双方の違いを感じてください」等々がオチになっている場合があります。一方哲学者の西研はこれを否定し「共通了解」に至ることは可能だと解きます。
一方この「共通了解」に至るまでには適切な「問い」による対話をする必要があります。この対話には知識や技術も必要ですがなにより「時間」がかかります。
ビジュアル化の良で良いのはその時短ができる可能性があります。例えば「数学」は全世界のヒトが共通に理解できるものです。しかし数式を丹念に追うのはかなり注意力も必要ですし時間がかかります。一方、数式はグラフ等として図示できます。これには時間がかかりますがグループの他の人には瞬時に理解できるため結局のところ時短になります。
まとめ
イベント等がオンライン化し、グラレコがデジタル化が一般的になったことで、私たちのコニュニケーションも大きく変化した。コミュニケーションがアトム(Atom:物質)からビット(bit:デジタル)に変わったことで、コンピュータで処理しやすくなった。これによるITを活用したコミュニケーションの革新も広まっていくように思われる。
これからもビジュアル化を自ら行い、行う人に教え、教える人に教えていくようにしていきたい。
参考文献
楽描きが世に浸透するための研究のための原資として大切に使います。皆様からの応援をお待ち申し上げます。