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ほとんどの人が絵心がないと思いこむ理由とは?

「そんな教育で大丈夫?ほとんどの人が「私は絵心がない」言うことになる先生のとどめのひとことは?」から改題とカバーイラストを更新しました。(2021/11/10)

巷に手描き術の本が溢れている

 2021年11月現在「グラフィックレコーディング」関連(便宜上、ファシリテーション・グラフィックも含んでいます)の書籍が立て続けに出版されています。これは一体何を意味するのでしょうか。
 グラレコについてご存知でしょうか。グラフィックレコーディングの略なのですが、ライブドローイングにより対話や議論のビジュアル化(見える化)をするもともとの意味から拡張して手描きの文字とシンプルな絵で構成されるイラストレーション全般を指すようになってきていると思っています。

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 いくつか出版順に列挙すると「Graphic Recorder ―議論を可視化するグラフィックレコーディングの教科書」、「考えを整理する・伝える技術 グラフィックレコード」、「はじめてのグラフィックレコーディング 考えを図にする、会議を絵にする。」、「なんでも図解――絵心ゼロでもできる! 爆速アウトプット術なんでも図解――絵心ゼロでもできる! 爆速アウトプット術」、「描いて場をつくるグラフィック・レコーディング: 2人から100人までの対話実践」、「エンジニアのための新教養 □○△で描いて、その場でわかるシンプル図解 何でも伝え、何でもまとめるストラクチャードコミュニケーション」、「グラレコの基本 その場で「聞く・まとめる・描く」」。
 これは何を意味するのか。

ありがたみを社会人になってから気づく

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 社会人になり会社や組織の一因になると打ち合わせや会議に出席するようになりますが、そしてその難しさに直面するものの体系的な学びはほとんどありません。
 ダメダメな打ち合わせや会議は、拘束時間が長い、意見が出ない、そもそも話す雰囲気でない、声の大きな人のひとことで決まる、逆に結論が出ない、決まったと思っていたのに浸透していない、などないないずくし。
 ホワイトボードを使って何とか書き出したおかげで解決に向かったということがたまに有るだけ。これほどまでに当たり前に行われることなのに、研修等で体系的に学ぶということもないというなんとも不思議なことが当たり前になっています。

会議は学校でもあったはずだが…

 学級会、生徒会など会議と称するものは学校で経験しています。しかし、これまたここでも、良い例を示す、体系的な学びなどはありませんでした。
 さらには以下の先生のセリフが追い打ちをかけます。

その1「自由に描いて」

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 芸術家/アーティストの本質はオリジナルの表現を創造していくことにあります。一方、先生の多くは教員になる過程で美術を学ぶもののスキルはありません。当然アーティストを育てるなんて無理なので「自由に描いて」と言い事実上の放任をせざるを得ません。
 この言葉を聞いた児童生徒は途方にくれます。本来評価をするはずの先生がそれを放棄している訳ですから。それ故やる気を無くすのは当然です。
 さらに考えなければならないのは、対話や議論のビジュアル化はアートではないということ。オリジナリティよりはむしろ読みやすさ、誰かの真似でもよいから描けることの方が優先されるはず。アーティストに対するアーティザンは①先人為した良いものを発見、②それに改良を加えて再提示をする人のこと。

その2「マンガ描いて遊ぶな」

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 さらに追い打ちをかけるのが「マンガ描いて遊ぶな」というセリフ。前述したとおり、対話や議論のビジュアル化はアートではありません。児童生徒が何らかの手描きの絵を描くのであればお手本は身近にあるマンガやアニメの表現になるのは必然。しかしそれは禁止されてしまいます。
 教室経営をという視点で言えば「マンガを描く」=「授業に集中せず遊んでいる」となり禁止せざるを得ません。仮に先生が黙認したところで他の生徒がそれを見つけて囃し立てる。そして結局は先生も禁止を言葉に出さざるを得ないという状況が発生するのでしょう。しかしこれはあまりにも残念な結果となります。
 皆さんご存知のようにプロの漫画家のクリエイティビティ、才能は非常に貴重です。クールジャパンというならもっとたくさん育成し日本はもとより海外でも愛されてもらいたいもの。しかし、芽を摘まないようにするという先生の善意が結果的に才能を殺すという結果になります。

不幸の連鎖を断ち切る

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 私としては社会人の代表として「社会はビジュアルプラクティショナを望望んでいる」ということを発信し続けたいと思っています。
 ここまで論じた通り、一人ひとりの主体は悪いことをしたとは思っていないがが、この関係性が維持される限り「私は絵心がない」と思う人が増え続ける構図であることも変わりません。
 私自身が「ビジュアル化」を教えるという実践を通じ、多くの人が「私は絵心がない」という幻想に囚われていることを知りました。これからも大人への学びを通じて啓発も続けますが、このように発信することで世に広まることを願っています。


楽描きが世に浸透するための研究のための原資として大切に使います。皆様からの応援をお待ち申し上げます。