復帰しました

2年ぶりに投稿します。

この2年間に色々ありまして、生活が激変しています。
得たものもあれば失ったものもあります。
その失ったものを取り戻すために、再びnoteを使おうと判断しました。

実は復帰する気もなかったのですが、己の創造性・文章力・熱意といったものが
いつの間にか尽く失われていることに気づきました。
これらが失ったものです。

これまでは、自分の中から勝手に言葉が漏れ出てきて
漏れ出た言葉の中には、今後何かの役に立つかもしれないものがあるかもしれない。そう思って、でnoteで書き残していました。
創造性という名の窯には、自分への苛立ち、何も成し遂げられない焦り、社会への怒り、他人への憧れという薪がくべられていて
それらは躁鬱、睡眠障害、自傷行為、あるいは自慰行為という形で身と心を焼き、常に自分を苛んできました。
でも、そんな状態だからこそ、言葉という形で己の脳から出力されるものが確かにあって、それを発信する手段があって、誰か一人でも見てくれる人がいた。
出力されたもの全てに愛を向けることはできませんが、少なくとも苦しみもがいたあの時代は、自分にとっては必要な時間だったと当時も今も思っています。
出力される過程で味わう感覚、それを人に評価された経験は、それまで人生で味わったことがない充足感を感じました。
しかしこれもある意味、身を苛む毒の類なのかもしれません。なぜなら、あの時こんな経験をしていなければ、今頃自分は何の不安も抱かずに、幸せに暮らせていたのかもしれないから。

あの頃を思い出すだけでも気分が沈み胃液が上ってくるのですが
でも同時に、とても眩しくて、今では届きそうで届かないものになってしまいました。

2年が経ち、生活が激変したと述べましたが、一般的な社会的地位という面で言えば、この2年で間違いなく好転したと言っていいでしょう。
少なくとも生きるのには困らないようになりました。少しだけ贅沢もできます。
何もしていない、何もできていない自分が情けなくて親や親族に顔向けできなかったあの頃とは違い、それなりに気兼ねなくやり取りできるようになりました。
しかしその代わりに、創造性の窯は朽ちて使えなくなってしまっていました。
この2年間、今の生活を勝ち取ったことにかまけて、あれだけ喧しかった脳は鳴りを潜め、窯に薪をくべるのをやめてしまっていたのです。
生きることは楽になりましたが、生きる目的を失った気がします。

今の自分で生きる目的を見つけ出すために、言葉を編む選択を再び取ることにした次第です。
これからは、努力して言葉を絞りだしてリハビリに励もうと思います。
完全に不定期です。いつまで続けるかも分かりません。また消える可能性も大いにあります。
でも、もし今の自分に創造性が戻ってきたら、きっと、もう少し幸せになれる、生きることを楽しめる気がします。
頑張ります。

あと名前がクソ痛くて名乗りたくないので近いうちに変えます。

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