7年巡ってーafter篇

十数年前に、ホスピスケアの体験を東海地方の山寺で一日修行したことがある。

たまたま知人がそのお寺に寄付しているのを知り、面白うそうだったので検索してみると、上記の体験修行が告知されていた。

その頃は一人旅もままならない状態で、どんなルートが最適かもわからなかったが、いったい日本のどのあたりにあるお寺なんだろうと、明確な場所も知らぬまま申し込みを済ませた。

現地に午前11時集合だった。

関東を午前中に出発しても知らない山の奥。当日慌てて行くよりも前泊した方が良いだろうとルートを調べていると、深夜列車で行ける事がわかった。

一日修行も道のりも計画するだけで俄然楽しくなってきた。

当日は右往左往しながらも、集合時間よりも20分ほど早めに到着できた。どんな方々がやってきたんだろうかと、お寺の中に入ってみたら、まったく生気を感じられない方ばかりが20名弱。これはマジで遺書書くやつなのか、と怯んだが、ご住職が温かく迎え入れてくれ、安心して座につく事ができた。ひとりひとり自己紹介が始まると、信じられないような家庭の事情を話す方ばかり。

親よりも子が先に亡くなられた方々。

とてもじゃないけど、自分の浅はかな参加の動機に目の前が真っ白になった。

「半分棺桶に足を突っ込んでいる状態です。」「いつ死んでもいい」と顔色変えず泣きもせず語る母親達。

ご自分の意志で来られたのではなく、見かねた親族や近所の方から連れて来られたとの事だった。ご住職は淡々と聞き受けながら、修行内容へと誘導していく。

ご住職と尼僧さん、近所のお母さん二人と参加者とで夕飯を共にした。夕飯は土地で採れた山菜とお寺の近くに住む、ご近所のお母さん達が持ち寄って作りに来てくれている。美味しく戴けたが、やはり他の参加者さんの箸は進まず、料理は食べ残されていた。


夕飯後、これから「あの世」と「この世」ゲームをするから説明しますね。と尼僧さんが言いだした。みんなで夕飯を共にした居間が「この世」。お寺の本堂が「あの世」。火の灯された蝋燭一本で、出来れば一回の火で辿り着く事。所々にリベンジ用の蝋燭は立ててあるが、出来れば一回目の火で到着してほしいとうのがゲームのルールだった。尼僧さんが「一番早くあの世に行きたい方どうぞ」と挙手を促したので、わたしは場の空気を読んでしまい、一番乗りで「あの世」に向かう事となった。渡された蝋燭は一本と言っても2㎝ほど。火を灯すとすぐに消えそうなほど頼りない。火が消えないうちにと「この世」を出発するが、急ごうものなら火は簡単に揺らいで消えそうになる。自分の歩く速度を変えながら、ゆっくりと足元を照らし進んでいくのだが、遠くが見えない。足もと、遠く、足元、遠くと蝋燭を行ったり来たりさせながら進んでいくと、昼間、ご住職が300年修理していない、このお寺の隅々まで、懇切丁寧に説明していたのは、このゲームの伏線だったと理解した。電気の無い山奥は真っ暗というより真っ黒。住職の説明を思い出しながら、無事に一回の火だけで「あの世」に到着できた。

「あの世」には、長い蝋燭が一本。その灯りでご住職さんがいるのが見えた。「無事にリベンジなしで辿り着けました。」と、告げ「お疲れさまでした。ひとりでここまでこられてどうでしたか?」と言われた瞬間、涙が溢れてしまった。怖かったわけでも、真っ暗な道中が難しかったわけではないけど、誰かが見ててくれたと思って安心したのかもしれない。

ご住職に、火が消えそうになって暫く止まってしまった事や、最初のスピードのままでは火が保たなかった事を告げると、残りの人がこれから来るので、奥で待機下さいと誘導され、本堂の入り口からしくしくと泣き声が聞こえてきた。わたしの後から「あの世」に辿り着いたお母さんは、「たかだか蝋燭が消えた事で死にはしないのに、消さないように歩いている自分に気が付いた。」と泣きながらご住職に伝えていた。それから一気に泣きながらお母さん達がやってきた。

全員泣きながらの到着だ。あれだけ温度の無い表情をしてたお母さん達がこころの叫びをあげながら、ご住職さんに伝えている。

「途中でリベンジ用の蝋燭に助けられた」「リベンジ用を使いたくなかったから、必死だった」「場所なんてわかっているのに無事に着けるか不安だった」「半分死んでるって思っていたけど、生きたい気持ちを隠してしまっていた」という話が聞こえてきた。

蝋燭一本の「あの世」では顔までは見えなかったが、声を聞いただけでも表情が見えてた気になっていた。わたしは一番最初に「あの世」に到着したので、残り18名ほどの母親達のこころの叫びを聞く事になり、肺が壊れてしまうかと思うほど泣いてしまった。一番先に行くもんじゃないなと、悟る。ゲーム開始から90分ほどで無事に参加者全員が「あの世」に到着し、般若湯という秘密の飲み物を戴いて就寝。もうどうやって寝たのかも覚えてないくらい、全身全霊で泣き疲れたんだと思う。


翌朝、支度を終え、居間に向かうと、昨日とは違う賑やかな声が聞こえてきた。「おはよう!!」前日までとは人が変わったお母さん達が、朝食の手伝いをしていた。もしかししたら、人が変わったというよりは、元に戻ったというのが正解なのかもしれない。「あの世」と「この世」ゲームを通し、五感を取り戻したお母さん達と食べる朝食は、昨夜と同じおかずでも印象が違い、減りも残り方も違っていた。

それから、午後の講座を終え、それぞれの日常に戻ってゆく為の最後の挨拶は、最初の挨拶とはまったく別のモノになっていて、泣き笑いしながらそれぞれの帰路についた。たった一日だったけど、何百年という歳月を過ごしたような濃さだった。時々思い出す、あの山での出来事、人生の中でsavepointと思える出来事のひとつとなっている。


それから7年ほど経ったある日、奈良の山に遊びに行った時だ。旅館の階段を急いで降りていて、すれ違いざまにぶつかりそうになった人がいた。「すいません!」と言って立ち止まったら、「大丈夫ですよ」と笑って返してくれたご婦人。その顔に見覚えがあり、すぐ思い出した。なんと「あの世」に二番目に到着したお母さんだったのだ。「もしかして数年前に......」と尋ねると、「あ!!参加しました!」と。お互い名前も覚えていないし、お母さんはわたしの事も覚えていなかったが、出来事としては覚えていて「最初にあの世に行った方ね!!」と笑って言った。なんで覚えていたかは、わからないけど、あの山のお寺での出来事は、あれで終わったわけではなく、それぞれで継続している事を、名も知らぬ、どこに住んでいるかも知らない方と、予想外の再会で知る事ができた。一日体験修行は一日で終わるという事ではなく、この一日をきっかけに変わっていくという意味なのかも知れない。


※添削前⇩お見苦しくすいませんでした。こんなに読みやすく、伝わりやすくなりました。ありがとうございました!


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