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にっぽり館ひぐらし亭令和2年2月23日

演目
三題噺(パンダ、春一番、魚屋)
林家たけ平:竹の水仙
仲入り
三遊亭萬橘:茶の湯

 コロナウイルスの脅威を弾き飛ばすような客入り。「伯山ティービィー」の効果もあったのだろうか。

 前座さんが捕まらなかったため、この日は萬橘師匠とたけ平師匠の「おしゃべり」で幕開け。月ごとに内容が変わる同企画、今月は萬橘師匠の常人離れした頭脳を弄ぶ即興三題噺。
 古くは「芝浜」「鰍沢」といった名作を生み出したこの座興、客から題を三つ募り、他の演者が高座を務める間、楽屋で題を盛り込んだ即興話を作り上げるというもの。しかしにっぽり館版はその場で即座に編み上げてかけなければならないため、手法としてはヒップホップのラップバトルに近い。畳の上に肘をつき、だらしのない格好を頑なに守る萬橘師匠も内心は冷や汗ものだったのでは。
 まずは手始めにたけ平が手本がわりにお題を出して小手調べ。合間合間に挿入される駄話が楽しい。協会は違えど気心の知れた先達を前にした萬橘師匠は寛いだ姿勢のまま、たけ平師匠が結婚式の余興で滑ったことも、この直後に葬式で一席担うこともポン菓子のような軽さで露わにしてしまう。「幾代餅やってくれって言われたけど断ったよ!」「葬式で落語、10万からお引き受けしますよ」と軽妙に返すたけ平師匠が頼もしい。
 じっくり聴く耳と噺家の高揚感に呼応される反射神経を持ち合わせた客席のリクエストは「パンダ」「春一番」「魚屋」。30秒も経たないうちに桂米丸師匠「ジョーズ」さながらの黄色い悲鳴を放って小気味よくトントントンと進める萬橘師匠。古典落語の骨格を愚直に磨き上げ、守り上げた噺家ならではの筋質で潜り抜け、なんともキュートなサゲで軟着陸。にっぽり館は両師匠のナチュラルな表情がうっかり顔を覗かせる瞬間がしばしば訪れるから楽しい。

 萬橘師匠の疲労感がこちらまで伝播しそうなおしゃべりを経て、ようやく至った本日の一席目は、たけ平師匠の「竹の水仙」。客を飽きさせない長めのマクラから左甚五郎のひととなりを述べ、宿屋の夫婦の口喧嘩へ。たけ平師匠は息遣いや声色で演じ分ける人ではなく、夏の日差しを思わせる闊達さと明瞭さが頭からおしまいまで乱れることなくすっと貫かれる。明瞭でからりとして揺るぎのない太い描線。甚五郎の屈託のない笑み、越中の大名の威厳と堅苦しさのなさが同居した佇まい。宿屋夫婦の小物感特有の矮小さの襞を押し広げることなくさらりと演じる爽快さ。「竹を割ったような」という比喩はこの人のためにあるのではないかとすら錯覚する直線的な落語はいつの日もリズミカルに胸を叩く。

 仲入り後に青灰色の着物姿の萬橘師匠が登場。既に一仕事やり終えた疲れを滲ませながら、この日の到着時刻に遅れた止むに止まれぬ事情という名のエクスキューズ。この日の開場時刻は15時半だから本当は15時に来なくてはならなかったのだが、ボクシングの世界戦をどうしても観なくてはならなかったのだとか。師匠の趣味の一つがボクシングだと心得てはいても、ボクシングのボの字も知らない客席に向け、タイソン・フューリーという選手の知略がどれほど見事だったか、それが噺家の高座と通底するかと熱弁をふるうも、キョトンとしたままの客に照れ笑いを浮かべる。売れっ子と呼ばれる噺家の大半はブルドーザーで整地を作るように自分の呼吸に客を引き摺り込むか、あるいは「今日は蹴られたな、仕方ない」と早々に切り替えて淡々と演じ続けるかのいずれかに分かれるが、萬橘師匠はどれほど客が暗くても好意的でなくても諦めたことがない。常に対話と駆け引きの末に空気を構築させる。その泥くさい理性に人は惹かれるのだと思う。
 汗まじりの逡巡から抜け出して選んだ噺は「茶の湯」。油でのした坂道を駆け下りるかの如き滑らかな声調で「根岸は嫌ですよ蔵前に帰りましょうよ蔵前に!」と涙まじりに訴える定吉で心を掴まれ、「知らない」と言えない隠居の強情っぷりに神経を引っ掻かれ、あやふやな記憶と箍が外れたかの如き間違いだらけの歪な作法で自らの体を痛めつけながらも「茶の湯、やめましょうよ」とは至らない狂気の目の中の住人になる没入感。「茶の湯」の経験を訊かれて「おかし食いですか?」と返答する定吉の視点の道理の通った自然さ、ムクの皮と油の主成分を取り入れて合点が行くよう水を向ける知性、破滅的に誤りだらけの茶の湯を押し通すために繰り出される我慢と根性論の混合体、目的が互い違いになって罪なき人々を落とし入れる蟻地獄と化す怒涛の展開。人は師匠を「ロジカルな天才」と評するが、古典落語の外連味にリアリズムの血を流し入れて、それでいて古典の様式美を決して崩すことがないのだから、この人は恐ろしい。

 万雷の拍手が鳴り終わり、傾いた陽を眺めながら夕焼けだんだんの階段をのぼる。振り返れば鮮やかな幟。

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