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リクオ君と私……余命宣告からの「ご機嫌元気」なパラレルワールド_その1

幼少期から抱いていた
「憧れの猫暮らし」
を叶えてくれたのが

私と14年間一緒に暮らしてくれた
茶トラ猫の「リクオ君」。


彼は和歌山県のキャッテリーで生まれた子猫で
生後6ヶ月まで茶トラ王子として甘々に育てられ
東京の我が家へと飛行機に乗ってやってきた。


人生初の猫暮らし。
期待半分、不安半分。

部屋や家具が悲惨なことになるかも……と覚悟して迎え入れたが、


我が家にやってきたリクオ君は
のんびりまったりした性格で
好き嫌いのない食いしん坊で
トイレの粗相もなく


こっちが拍子抜けするほど
何の問題もなく
平和で幸せな猫暮らしがスタートした。


そんな
平和な猫暮らしに緊張感が走ったのが
リクオ君が7歳の時。


毛玉ではなく
消化しきれないものを嘔吐することが増え

何度か病院に行くも
消化不良の薬をもらって様子見をする日々。


うっすらと常に調子が悪い……
そんな状態が続くこと数ヶ月。。。

ある朝、明らかに真っ黄色な嘔吐物を見付け
慌てて病院へ。


診断結果は「胆管炎」
肝臓の数値が測定できないほど振り切っていたため
そのまま即入院。

主治医に全てを任せ
検査と治療で1週間の入院。


入院前半、24時間ステロイド点滴をしたため
退院後、首の後ろから背中にかけてごっそり毛が抜け


不安と心配の影は……増すばかり。。。



この胆管炎をきっかけに
リクオ君の肝臓の数値はなかなか正常値に戻らず


食欲が戻っても
体重も戻っても
月1回の検診と療養食を継続。

それでも
どんなに注意をしていても
季節に一回は黄色い嘔吐で即入院を繰り返し


不安で、心配で、
不安で、心配で、
不安で、心配で、
私の心はポッキリと折れていた。


薬もイマイチ
療養食もイマイチ
何をやっても肝臓の数値は悪く


サプリメントや民間療法的なことに手を出すも、

「あまり余計なことはしない方がいい」
と主治医に言われ、
再び心がポキッ。。。


会社で仕事をしていても、
大好きな友人と食事に出掛けても、

頭の片隅には常にリクオ君のことが引っかかり……


玄関の扉を開く時、
「扉の向こうでリクオ君が倒れてたら」
と思うと、不安が過ぎて
家の鍵を持つ手が震える時もあった。



そんな日々が2年近く続き
リクオ君が9歳になった頃


「度重なる入院で、3本の腕の動脈が点滴でダメになっているため、使える動脈が1本しか残っていない。
残り1本の動脈も使えなくなったら、思うような治療が出来なくなるため、このままいくと10歳を迎えるのは。。。」

と、主治医から、やんわりと余命宣告を告げられた。


でも、その主治医の言葉で
私のバッキバキに折れた私の心がふと立ち上がり……


リクオ君に残された時間が少ないなら
もう、通院はやめよう。

と、病院の待合室で心に決めた。


検診したって
薬飲んだって
療養食食べたって
良くなる兆しがないのなら


ここから先は
私がリクオ君の良きパートナーとして
喜ぶことだけしてあげればいいんだ。


そう思えた瞬間
私の肩の力が抜け
久しぶりに、本当に久しぶりに、ホッとした気分になれた。



私の心が緊張から解放され、ユルまり、
リクオ君が喜ぶことだけをすればいい♪=ワクワク

に変化したことで
確実に私の周波数は

何も出来ない不安→→→何をしてあげよう期待

へと切り替わった。


この切り替わりが
私とリクオ君の猫暮らしに
たくさんの奇跡をもたらすことに♡


#リクオ君と私の話
#余命宣告からの奇跡
#幸せな猫暮らし
#周波数を切り替える







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