空②
空とは私を抜きにした事物の本質的なあり方でのことである。
例えば、机の上にりんごが一つあって、別のだれかがもう一つ机の上にりんごを置いたとする。
さて、机に置かれたりんごはいくつあるでしょう。
二つに決まっている。
空の概念から見るとそうではないのです。
りんごは一つであり、二つであり、またりんごなど存在しないともいえるわけです。
それは私が"机"や"りんご"や"別のだれか"という幻覚や妄想を見ているからというわけではありません。
そもそも"机"も"りんご"も"別のだれか"も、"私"がそれを認識しなければ存在しないわけで、さらにその私の認識そのものが五蘊であるゆえに、「五蘊は即ち空である」というように、「ないといえばないし、あるといえばある」という答えにつきあたってしまいます。
五蘊で世界をとらえている私たちから見たらどうにも煮え切らない感じです。
四苦(生・老・病・死)、愛するものと別れる「愛別離苦」、嫌いな人に出会う「怨憎会苦」、求めているものが手に入らない「求不得苦」、人間の本質は思い通りにならないということを表す「五取蘊苦」、それら全体に表れているように私たちの取り巻く「一切」は「皆苦」であるというのが仏教が標榜する根本命題でもあります。
ところが、般若心経の冒頭の一節の最後に「一切の苦厄を度したもうた」(あらゆる苦、災厄から脱した)とあります。
観自在菩薩は「一切皆苦」もまた「空」であるというのです。
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