諦観(たいかん)
「諦め」という言葉は日常的によく使われますが、仏教でいう「諦め」はまた違った意味の重要な言葉でもあります。
仏教でいう「諦観」とは「真理をあきらかにみる」という言葉が元になっています。「諦」とは「真理」を意味し、「観」とは「あきらかにみる」を意味します。
「あきらめ」とは仏教の根本真理である「因果の法則」をあきらかに見ることをいいます。
つまり、何か事が起こったその根本には必ず原因があり、その原因を「あきらか」にするということです。
失敗には必ず原因があります。
なぜ失敗したのか、どういう対策が有効だったのか、次に失敗しないために何をすべきかを「あきらかに」して、実行するのです。
一般に使われている「諦め」という言葉のイメージとは全く正反対の意味で、「諦観」とは中途半端にしてそのまま放置するのではなく、現状を正面から見つめ、進歩努力を促す積極的な行動指針でもあるのです。
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