長所とか短所とか状況によって違うんだからわざわざ聞くなよ うぜー!

私は面倒くさい女です。言葉の好き嫌いが相当激しく、嫌いな言葉は自分はもちろん使いたくないし、他人が使っていたら私の中でその人の評価が下がってしまうほどには激しいです。私は面倒くさい女です。

昨日、バイトの面接で長所・短所を聞かれました。バイトの面接でそんなことを聞かれるのも気に食わなかったし、そもそも長所・短所を聞かれることもその言葉自体も嫌いだったので少し嫌な気持ちになりましたが、短所にも長所にも笑顔で自信満々で、ないですと答えることでその気持ちを押し殺すことができました。私は賢明な女です。
面接官の方にはその回答で次に進んでもらえたし、合格したので許しました。私は傲慢な女です。

長所は短所になりうる、とか、短所は長所になりうる、とか、よく言うじゃないですか。私はそういうご都合主義が本当に嫌いで、でもまあそのことばの意味自体には誤りがないことは認めるんですけれども、気に食わないんですよ。だったら最初からどっちも長所とか短所とか分類しなくて良くね?と思うんですよ。私は合理的な女です。

さて、「長所も短所もクソもない」というのが私の持論なわけですが、反例はあるのでしょうか。私はないと思うからこそそう述べているわけですが、この価値観を広めたいので反例っぽい例でも考えてみようかと思います。
たとえば、脚が速い人がいるとします。スポーツはよく知らないですが、脚が速いことはアドバンテージになりそうなものです。個人の基準で考えたら、遅い方がマシということはまずないでしょう。
たとえば、その人がサッカー選手だったら??サッカーもよく知らないけど、足が速いことに少なくともデメリットはなさそうに思えます。
でももしその人が所属するチームでその人だけずば抜けて脚が速かったら??その人に追いつける味方もいなくて連携が取れない、または連携を取るためにその人は全力を出せない、ということが起こりうると思います。
前者はチームにとって好ましくないし、後者は本人にとって好ましくないですよね。でもまあ上手くポジションとかをあれすれば解消できるんだよね?知らんけど、まじで知らんけど。

まあつまり結局、絶対に短所になりえない長所もないし絶対に長所になりえない短所もないと思うんですよね。つまり結局、長所も短所もクソもないんですよね。つまり結局そういうこと。だから聞くなと。

でもどんな人間かわからないと確かに選べないので面接でそういうことを聞きたければ、あなたを採用することでうちにはどんな利益が生じますか、またどんな不利益が生じますか、と聞けばいいと思います。相手や状況がある程度提示されれば私だって答えてやりますよ。私は素直な女です。
まあそれがあまりにも直球で生々しいからそれを濁して濁してその人自身の長所短所を聞いてみるという無意味な文化が生まれたんでしょう。嫌だなー!

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