痛みに塗れた歩みの果て その痕跡が 自らを明日へ繋ぐ誇りを胸に抱いて

先日5/21日にファーストライブを終え、正式な始動となったばかりのVon-fireですが、明日はもう2回目のライブです。会場は大阪城野外音楽堂、そう普段はメジャー規模のミュージシャンばかりが活用する、最大約3000人収容規模の大阪府を代表する野外会場です(東京の日比谷野音と並ぶ、日本で最も著名な野外会場と言えるでしょう)。

今回Von-fireはウルウェスというイベント出演者のうちの1組として出演します、実質たった20分の演奏ではありますが、自分自身GRAPEVINEなど憧れのミュージシャン達の名演を数々目撃してきたこの夢舞台でライブをするということは、どうにも実感が湧きづらいところです。

(ちなみにGRAPEVINEは今年も9月にツアー千秋楽をこの会場で迎えるので、その際は再び客としてこの地を訪れたい所存。近年毎年9月にここでライブしてる印象があるけど、ここの夕暮れで聴く彼らの曲はまた格別なのだ。今回はanother sky再現ライブということで、Colorsやらアナザーワールドがここで聴けると思うと今から胸が躍る)。

先ほど「実感が湧きづらい」と書きました。もしかしたら大舞台に立つ緊張感をなるべく感じないように脳が努めているのかもしれません。でも実際のところをじっくり言葉にするなら、「そんな大舞台に立つにも関わらず然程緊張をしていない自分がいる」ことと、そんな違和感のある状態を持て余している、というのが近い。

つまりは割と自信満々なのです。Von-fireはこの規模でライブするに然り、なバンドだと全く疑ってないし、立つ側はもちろん初めてなのになんなら明日自分が見るであろう景色が頭にやたらと浮かんでいたりするぐらいで。ただ、それが基本自分を卑下して生きてきた30年からすると「どうしてここだけそうなってるんだ?」と自分で分からなくて少し不気味な気持ち笑。

だから「脳が緊張を避けるために努めているのかも」という説すら唱えたくもなるわけです。しかしながらどうやら自分は本気で大阪城野外音楽堂というプロが普段使う場が、その規模感がVon-fireの音楽にとって然りだと信じているようです。

それは5月21日のライブに向けてリハをして、実際ライブして、それを踏まえてこの6月11日に向けてまたリハをして。という過程で今回サポートしてくれるメンバーと音を積み重ねながら得ていった自信。更に言えば、そもそも今年1月からこの6月11日のために動き出した自分に起きていった奇跡の連続、またまた更に言えば、全てが終わったと絶望し切るまでバンド活動にこだわって散っていった去年までの関西時代の自分の挫折と最善の努力。全ての過程が今Von-fireの他にはない強度を示している(と自分が信じている)。

今日と明日で自分は確実にまた違う視点を手に入れるだろうから、今のうちにこの気持ちを示しておきたい。そしてこの日を迎えるまでにVon-fireが積み上げてきた過程についてはゆくゆく整理していきたいと思うので、今回のライブが終わり次第またじっくり書いていくとする(相変わらずクソなっげぇ前置き失礼)。

・本気でバンドをするという夢が叶わなかった20代、最後の砦の関西時代のVon-fireも空中分解

高校をうつで中退して、10代後半から20代前半という社会との関わりを学んでいく時期に人と関わることを避けざるを得ない生活をして、20代後半からやっと人並みの生活に近づけて、数年かけたバンドメンバー探しの先に、2020年関西でバンド活動で夢を追うラストチャンスとして立ち上げたVon-fire。

それも見事にコロナが立ち塞がり、最初のライブが飛び、下がったメンバーのモチベーションを気にしながらでは何一つ進められず。そんな最中で元々21年4月に開催予定だったウルウェスへの出演が決まり、大舞台である大阪城野音でライブができるという目標が決まったことが頼みの綱の起爆剤だった。

しかしその最中で半分のメンバーが辞めていき、ウルウェス自体もコロナの影響で中止。バンド以外の面でも全てにおいて生活が上手くいってなかった自分はついに心が折れて、いよいよ人生も終わったという感覚だった。再発を繰り返すうつとの戦いもこの時点で13年、打つ手立てを使い尽くした感覚だった。

・人生再生の地となったいいかねPalette

そんなタイミングで出会った場所が福岡県田川市の廃校舎利活用施設・いいかねPalette。俗世との繋がりがパッタリと途切れたような、「何もない田舎」の自然豊かな空気の中で、世間の凝り固まった常識から軽やかに逸脱したユニークな感性の人たちが集まる場所。

昨年3月末、疲弊しきった心をリフレッシュするために噂に聞いていたこの場所を訪れて3泊4日。その短い期間で「ここに居続けたら自分の30年さえもひっくり返せそうな気がする」という予感がした。珍しく前向きな直感を信じ、5月から暮らし始めた。

(パレットに来た当初、この曲をよく聴いて瞑想してた)

その直感は見事に当たり、1日1日尊く豊かな日々が積み重なっていった。人間らしい感情が蘇っていく、人間らしい機能を取り戻していく、そんな感覚。感受性は人が人たる所以、というのを強く実感していった。こんなこと自分以外に考えてる人がいるのか、というような、一般人からしたらめんどくさがられそうな哲学論みたいな話が延々と成立する空間。

生きているだけでいい、存在してるだけでいい。そんな人として誰もが求める、そして本来確保されているべき概念が成立しているこの場で、生まれて初めて伸び伸びと暮らすことができた。その最中でさまざまな過程を経て、一周した結果、心から素直な気持ちで自分がやりたいことが結局音楽活動であり、バンドであり、その中でも関西でぐちゃぐちゃに頓挫したVon-fireだった

それだけVon-fireでやろうとしてたことはやっぱり面白いことで、自信があって、自分が一番力を出せるスタイルだったからだ。感情表現を最大限に開放できる場所としての音楽、ジャンルとしてオルタナティヴヘヴィが自分にとってのそれだった。

そうやってVon-fireを立ち上げ直すことに決めた時点で2022年は始まっていた。ウルウェスの延期先の日程まで約半年。正式メンバーを集めてライブに至るにはかなり厳しい期間の短さ。しかしやりたい気持ちが何倍も勝った、だからひとりからでもVon-fireを立ち上げ直すことを始めた。

・自分が点けた火に次から次へと火を足してくれる人が現れていった

福岡県でVon-fireを再建すると決めたものの、ミュージシャンの繋がりは1人もいなかった。しかしやらないという選択肢はないし、パレットに越してから成功するかどうかより過程を楽しむことに価値を置けるようになった自分は、やれることをやっていくだけを徹底した。

「バンドの繋がりは、ネットじゃダメだよ。直でライブハウスに足を運ぶしかないよ。時間かかるけどさ。」というアドバイスが多かった。しかしそれも古い固定概念だと思った。直で知り合おうが合わない人とは合わないし、ネットで知り合っても心から分かち合える人もいる。

結果、メンバー募集サイトで気になる人に片っ端から声をかけた。福岡の会員数は大阪に比べると1/6のほどの少なさだ。だからほぼ全員に声をかけた。その中で返信が返ってくるのが半分以下、そこから通話に漕ぎ着けるのが1/3、そして会うに至るとなると更に限られた。

しかしそれでも予想以上にいい繋がりが早くも生まれていった。関西の方が出会える可能性が大きいにも関わらずロクに良い繋がりができなかったのに対して、絶対数が少ない福岡で面白い繋がりが見つかっていったのはなぜか。

それはもう単純に、自分側が自分に自信を持って自分をプレゼンできているからに尽きると思う。そして何者でもない自分を面白がって、活動を共にしてくれることを選んでくれたセンスの持ち主が多いのは、ある意味福岡という本州から少し乖離した世界だからだったのかもしれない。

ともあれ、自分がなぜ音楽がやりたいか・なぜ福岡に来たのか・なぜVon-fireをやりたいのかということを電話つながった全ての人に惜しみなく話した。それで自分という人間を面白がってくれた人たちが今も活動を共にしてくれている。そしてその人たちは普段はオルタナティヴヘヴィなんてプレイしたことない人たちばかり、つまり音楽性ではなく誰と音楽をやるかを基準に持っている人たちだ(逆に音楽性だけで関わってきた人は、最初こそ気前良い返事をしていたがすぐにフェードアウトしていった)。

今回の大阪城野音でドラムを担当してくれる脇田幸樹くんは若干21歳ながら、今回の一連の出会いの中で一番最初に自分のこの話を面白がって参加を決めてくれた人だ。若さゆえのエネルギーと同時に、既にこの年齢にして達観した視点を持っている。

そんな彼から始まった縁が次から次へVon-fireの炎を大きくしてくれた。2月末には早速レコーディングに取り掛かった(そのフットワークの軽さにも大変助けられました)のだけども、その際に彼と絶妙なコンビネーションを放つもう1人のドラマー・上寺加亜人くんとの出会いを作ってくれた(Cobainと同じ名前を持つミュージシャンと出会った衝撃)。テックとして裏方のプロを視野に入れた活動をしている彼は、音作りの面でもドラムを研究しているという大きな武器を持つ。

・Birds of a feather, flock together


類は友を呼ぶ、とはネガティブなニュアンスで使われやすい言葉だけど、ここはポジティヴな意味で言いたい。彼らの高いミュージシャンシップと、この若さにして出来上がった人とのしての在り方、それが皆共通している。だから彼らがまた新しい人と繋げてくれる度、その全てが良い出会いとなっていく。そうだ、自分はこうしたミュージシャン、というよりこういう人たちと出会っていきたったんだということに気づいた。

彼らは音楽専門学校のESP福岡の卒業生なのだが、話を聞いていると今ここの学校がそうした場らしい。Von-fireはその後ESP生が数多く関わってくれることになったのだけど、俺が「なんで皆その若さでそんなに出来上がってるんですか?」と聞くと皆口を揃えて「学校や先生に恵まれたからです」と答える。なんと素晴らしい話か。

そんなESP福岡関係者をはじめとして、本来はオルタナティヴヘヴィとは無縁のヴィンテージライクな音楽を主軸としているSomariことショウヘイさんやジャズ的なアプローチを主流としていたドラマー中村さんなど、数々の人が自分を面白がってVon-fireに参加してくれた。その結果、多少の困難はあれど驚くほど順調にレコーディングは進んでいった。

中村さんが主宰である自分以上にVon-fireを的確に表現してくれたのが印象うに残ってる「Von-fireって名前通り、いろんな人が火を焚べていって大きくなっていってますよね。演奏者だけでなくて、これからリスナーもまた火を焚べていく人として参加してるような形になっていくでしょうね」。素敵すぎる、後付けですがそれいただきます笑。

・Von-fireは正式バンドでなくバンド形式のソロプロジェクト

こうした縁を一つ一つ活かすための方法であり、単純に正式メンバーとしての積み上げが期間的に難しいことも含めて、Von-fireは流動的な形を取ることにした。ひらたく言えばNine Inch NailsでいうトレントレズナーがVon-fireのMitzkiというスタイル。

あとこのやり方をする上で勇気くれたのがKing Gnu以前にSrv.VinciやらDaiki Tsuneta Milennium Paradeやら様々な名義を行き来してから、今の形に仕上げていった常田大希の地下時代の活動スタンス。いつか求める形に辿り着くまでなら1人からでもどんどん動いていくことの重要さを教えてくれた。

活動費用は自分1人で回すことになるけども、6/11のこの期間までと一旦目標を区切って設けてやればできないこともないし、全力で打ち込みたいという気持ちが固まった今の自分にとってはそれくらいの苦労は背負ってなんぼという気持ちだった。

参加メンバーたちの熱い心意気と心強いスキルに支えられ、そしてそれがまた縁を広げてくれて、当初はドラムやベースに比べ参加者が少なく難航したギタリストも無事に見つかりライブ活動へ動き出した(5/21・6/11のライブを担当してくださるギタリストは先述のESP福岡の、生徒ではなく講師側の方…平たくいってプロである)。

・濃密な半年、ロケットスタートの実現を可能にしたのは心意気ある仲間の強さ


かなり簡略化したが、この半年は怒涛なもので、ここまで短期間でこんな成果を残したインディバンドはそうそういないと思う。半年で5曲のレコーディングが完成(パレット専属エンジニアだった聖夜くんとの二人三脚な時間)、1ヶ月で3曲の新曲デモ制作からライブのセットリストへの組み込み(デモ完成から短期間でREC作業をこなしてくれたドラマー&ギタリスト陣)、ファーストライブにして12曲披露のワンマン形式…場所はしかもライブハウスではなく廃校の体育館(約1ヶ月で12曲も覚えてくれたギタリスト陣)…そして2回目のライブステージは大阪城野外音楽堂…

それらを可能にしてくれたのは、参加メンバーの心意気と確かなスキル、何者でもない自分のやっていることを面白いと判断してくれたセンス、そもそもそんな自分を形成してくれたいいかねPaletteという場所。

そして音楽面以外でもそんな自分に価値を見出してサポートしてくれる人たち(パレットで共に暮らす人たちからもアートワークやグッズ制作、そしてそもそもの生活レベルから様々な支援をいただいてたり、パレット事務所側からのご紹介で素晴らしい映像作家チームやエンジニアと繋がれたりもしました)。

自分はそうした運気の流れを信じて素直に回して、ほとんどの期間を生き生きと進めることができた。流石にいつまでもその調子というわけにいかず、5月はなかなか悩むことも多い期間だったけど無事ファーストライブをやり遂げ、そして明日、この2年強い想いを抱いてきた大舞台に臨む時がやってきました。

・苦しんでも生き繋いできたこの30年の意味を証明する場


Invisible Strength/My Symphony of Woe 配信リンク一覧

20代の間オリジナルバンドでライブすることすらできず、デモ作成から5年越しのリリースとなったファーストシングル“Invisible Strength/My Symphony of Woe”をはじめ、Von-fireの曲は自分の人生そのもの。

そして現在Von-fireを王道を示す曲としてレコーディングが完成している“Voices as Unblemished Light”という曲は、ウルウェス出演が決まった2年前に「この大舞台に適したスケールの、オーディエンスと一緒に歌って完成する曲」として作ったもの。

その時点で28歳を迎え、ロックスターの死の幻想である27歳を生き抜いた自分には意味があるのではないかと、苦しい夜を超えてきた自分を鼓舞する賛歌であると同時に、誰かの痛みとその先の生きる喜びにリンクするアンセムを目指しています。

いいかねPaletteの長期滞在者にもレコーディングにて歌ってもらい、早くも自分の曲という事実を忘れた普遍的な魅力を放っています。先日のライブでも最後に披露しました、それくらい大切な曲です。

(曲の一部が動画で聴けます)

今日の記事のタイトルはその歌詞の一節です。自分が生き長らえた意味、明日の演奏は反映される場になると感じています。これまでの自分をこの場に込めます。立ち会っていただく方にとって刺激となるよう目一杯やらせていただきます、よろしくお願いします。