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こんなにも時が過ぎたあとでも救われることがある:私を構成する5つのマンガ①

(タイトル見て「わっぼるちゃん恥ずかしいこと言ってる」って思った人いるでしょ、これは今から紹介するマンガのセリフ借りてます)

↑Twitterサムネからでも見えるように冒頭に書いておきました。

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このお題、だいぶ前から存在を知っていて、書きたい!と思っていたのですが、ただ「好きなマンガ」ならいくらでも良いところを紹介できるものの、“私を構成する“となるともっとこう、人格形成みたいなことなのか…と考え込んでしまい、全く筆が進みませんでした。

でも自分の本棚や電子書籍の履歴を見てみると、ああこの作品のこの人物の価値観は好きだな、とかこのキャラは憧れだよなとか、今の自分の考えに直結する内容のものは確かにいくつかあり、難しいこと考えずにその作品たちを紹介しようと思いました。あと単純にマンガについてひたすら喋りたい。

ただこれ、以下の文章書き始めてから気付いたのですが1つの記事だと読んでくれる人たちのスクロール回数が尋常じゃないことになりそう。
なので3回に分けて書きます。お付き合い願います。
ゴリゴリにネタバレあります。

コマは「アル」経由で貼れるものだけ貼ります!

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私を構成するマンガその①:羽海野チカ「3月のライオン」

ただの共感だけじゃない、はっとするセリフに何度も“いつかの自分“が救われています。

このマンガはとても不思議な作品だなと常々。
主人公の桐山零は15歳でプロ入りした若手棋士、作中では17歳。

何かに秀でているという設定である主人公の作品は多いけれど、そういう作品ってその主人公は無神経なくらい明るいとか、バカだけどありえんくらいポジティブとかめちゃくちゃ美形とかそういう「読者にとってファンタジー的な存在」である場合がほとんどですが零くんは読者(私)にとって身近に感じるものがすごく多い。

そんな零くんや周りの登場人物の考え方や振る舞いに私は幾度となく「ありがとう!!!!」と思うことがあり、その場面をいくつか紹介しようと思います。

■「みんな俺のせいかよ じゃどーすりゃよかったんだよ」「ふざけんなよ 弱いのが悪いんじゃんか (中略)来んな‼︎** こっちは全部賭けてんだよ」(2巻 桐山零)**

覚えている限り最初にこのマンガでどっと泣いた場面。
このセリフ自体に共感をしたというか、ここまでただただ必死に将棋にすがりついて生きていただけの零くんに、自分に責任転嫁をする大人たちに対して溜め込んでいた感情を“公園で叫ぶ“という形で弾けさせたというシーンが、当時まで色々な理不尽に対して抱えていた感情を“お風呂で静かに泣く“という形でしか発散できて(できてないけど)いなかった私にとってとてもスカっとする場面でした。
一番好きなセリフではないけど、たぶん一番好きな場面でこのシーンは初めて読んだ時以降も何度も助けられてます。

■「一人じゃどうにもならなくなったら 誰かに頼れ でないと実は誰もお前にも頼れないんだ」(3巻 林田高志)

これに関してはですね、感動とか良い話とかじゃなくて、純粋にこのセリフ読んで反省しました。

なんというか、この場面ではもうちょっと大事な話をしているんですが私はシンプルに“わからない、できないことを人に聞く、頼る“ができない人間だったんです。今も若干あるけど。これは明確に幼少期のバックグラウンドに原因があるんですがそれは置いておいて。

その割に周りからは良く見られたい尊敬されたいみたいな、人間は皆持ってはいるけどよーわからん承認欲求だけやたら強くて(これも幼少期のバックグラウンドに確実に由来している)、「心のATフィールドを感じる」と言われ始めた時期です。今も言われるわ!!!

なんかできる限り人に頼っちゃいけないけど周りには優しくしなさいね、みたいのが常識だった当時の自分にとって林田先生は本当に良いことを言ってくれた。これ以降若干ではあるけど“他人に教えを乞うことは恥ずかしいことではない“という、当たりめーだわ。みたいな考え方がちゃんとできるようになりました。

当時高校生でしたが、本当に幼かったな。今振り返ると。

あとこのセリフの良いところはのちに、この零くんが普段から良くしてもらっているあかりさんに「ほんとに、イザというときは 頼っちゃうからね?!」ととても深刻な場面で言われる、というところまでがセット。
この2つのセリフだけで零くんの成長ストーリーが出来上がっている…。

■「後悔なんてしないっっ しちゃダメだっ」「だって 私のした事は ぜったい まちがってなんかない‼︎」(5巻 川本ひなた)

いじめにあっていたクラスメイトを庇って、ターゲットになってしまったひなちゃん。「生きて卒業すれば私の勝ちだ」という発言から続くこのセリフ。

この場面がこのnoteのタイトルで少し言葉を借りた零くんの

「ひとは こんなにも時が過ぎた後で 全く違う方向から 嵐のように救われる事がある」

というモノローグにつながります。

これは零くんと一緒で、私も過去海外生活中(小中学校時代)いじめのような…差別のような…そんな何かに日本帰国までの間耐えきった、“当時の自分“が救われたセリフです。

別に私が誰かを庇ったわけではなくて私はただ静かに耐えていただけなのだけれど、「もっと自分が強く出てれば」「自分にもっと図々しさがあれば」「そうだったとしたらもっと海外生活楽しめたな」とか、「なんでも楽しまなければいけないよ」みたいな考えに縛られていた自分の気持ちがこのセリフでスッと楽になりました。悪いのは私なわけがない。

余談ですが「なんでも楽しまなければ」な癖は今でも抜けないんですがこの考え方は簡単にうつ病の入り口が見えるようになる思考なのでオススメしないです。まぁその話もおいておいて。

このエピソード、もうちょっとありまして。

この後、いじめ問題を背負いきれない先生が担任を降り、代理で担任になった学年主任が受験の時期に担任が変わるなんて…とざわつくクラスに一喝した言葉がさらに好きで

「クラスに36人もいてこの状況を見てみぬフリした代償だから」(うろ覚え)

このひなちゃんのいじめエピソードで好きなのは羽海野先生がいじめによる理不尽(本来対応すべき担任の先生は全く味方してくれない、解決しようと自分で頑張っても人に頼っても全ていじめのネタにされてしまう)といじめに耐えるだけでなく立ち向かっていくメリットとデメリット(?)を見事なまでにほぼ全て描ききった上で、“いじめる側が100%悪い。“をきちんと表現してくれたというところ。たぶんこのお話に勇気づけられた人はかなり多いし自分に子どもができたら絶対に読ませたいと思うくらいのお話です。先生のいじめっこへの嗜め方も完璧に近いものだと思う。教科書載せてもいいんじゃないかな。

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さて話が脱線したのですが、以上が「私を構成する5つのマンガその①3月のライオン」のご紹介でした。

ちなみにこの作品は、また後日紹介予定の「私をアニメの世界に引きずりこんだきっかけの作品3つ」のうちの1つです。
1話の冒頭9分間、零くんは一言も喋らないのですが、美しい映像とBGMと9分経ってやっと発する「嘘だ」というセリフのまぁまたこれがね、溜めに溜めまくった後の河西健吾さんのぎえええええそんなイイ声出るんすねっっっ零くんっっっみたいな瞬間が最高に良いのでとてもおすすめです。どこかで配信してるのかな。

なんかとてもとても暗いような内容になってしまったのですが、まぁ“自分を構成する“っていう時点でそれは仕方ないかなーとは思いつつ、

その②とその③ではもうちょっと明るい話するので懲りずにお付き合いください。

応援いただけると嬉しいです。これからも頑張ります。