火山たんが見た御嶽山噴火

2014年9月27日、それは火山に関わる者にとって生涯忘れることのできない日。戦後最大の火山災害を通して、私は何を見て、何を感じ、何を考えたのか。御嶽山噴火から6年を迎えて今だから書ける思いを綴る。


はじめに

2014年御嶽山噴火で犠牲になられた方、これまでのあらゆる自然災害で命を落とされた方々に哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りいたします。私たちはその人々を取り戻すことは出来ませんが、災害から何かを学ぶことはできると考えています。この記事を読むことで辛いことを思い出す方は避けてもらって構いません。できる人が忘れないために語り継いでいく、そういった災害伝承をしていきたいです。


御嶽山について

私の育った街は、岐阜から愛知へと広がる濃尾平野にあります。南の伊勢湾を除いて山に囲まれています……と書くと狭隘な地形に思えますが、実際には河口から40kmの地点でも標高が10mを超えないような広々とした平野です。その遥か東を望むと、遠方に高い山々が連なっているのを晴れた冬の日には見つけることができます。中でも山頂部に雪を被った3000m級の山が御嶽山です。同じ名前の山が日本中にいくつかあるので、木曽御嶽山とも言われます。幼い頃から火山が好きだった私にとって、最も身近な火山は御嶽山だったのです。登頂したことこそありませんが、山麓の自然の家やスキー場で山に親しんだことは一度ではなかったので、馴染み深い山です。古くからの霊場であること、昭和になって有史以来初の噴火を起こしたこと、それからも何回か噴火をしていることなどは知っていました。今後も噴火をするかもしれないとは思っていましたが、自分の生きているうちには起きないかもしれないとも考えていました。つまり、噴火が起きるタイミングを相当前に予測することはできないのです。実際、あの年の9月中旬には御嶽山付近で火山性地震が増加したということで少しだけ話題になりました。後から見てみると前兆だったのですが、そうだとは誰も分かりませんでした。

私も地震が増えた直後に連続ツイートで御嶽山について触れたのですが、このように呟いていました。2週間後に噴火が起きるとはまったく思っていなかったのです。


あの日

2014年の9月27日朝、私は渋谷駅に向かう電車に乗っていました。國學院大學の博物館で火山と神道についての特別展がやっているということで、こよみちゃん( https://twitter.com/yamatokoyomi )と待ち合わせをして行くことになっていました。TLは伊豆大島で有感地震が相次いでいるという話題で騒がしく、私もそれを地震計などで見ながらいろいろと考えていました。少し忙しいけれど普段通りの、なんということはない良く晴れた秋の朝でした。

待ち合わせ時間より随分と前に到着したので、改札前でTwitterを見ながら待っていました。途中、外国からの観光客に道を尋ねられるのが2回ほどあったりして、気が付いたら12時を過ぎました。そしてしばらくして。

唐突に入ってきた御嶽山噴火という情報に驚きつつも、すぐに情報を集め始めます。この頃は火山たんのアカウントを作ってから9か月経ち、火山監視のツールがどこにどういうものがあるか把握できてきたタイミングでした。まずはTLから噴煙が出たと知り、画像で様子を見ようとします。御嶽山でよく噴火を起こすのは剣ヶ峰というピークの直下にある地獄谷火口であると知っていたので、そこが見える角度のカメラにアクセスします。

すると見えたのは、斜面を覆う噴煙。いや、流下しているので火砕流です。規模は分かりませんが、爆発的な噴火であると理解しました。時間が経つにつれて、噴石が火口から噴出していることなども伝わってきました。最初は火山灰による農作物被害などを考えていただけですが、火砕流と噴石はとても危険です。特に、高温の火砕流に飲み込まれてはまず助かりません。マグマが直接関わらない噴火の場合は「低温」の火砕流が起きることもありますが、火砕流の中では比較的温度が低いというだけで、人体に触れると火傷してもおかしくないような熱さです。現地から噴火の様子を伝える呟きがいくつもTLに流れてくるにつれて、火口近くには多くの人が居たということに気付きました。情報収集に集中するため駆け込んだ喫茶店の端で、被害が出るかもしれないと恐怖に震えました。噴火から1時間ほど経って、現地からの動画が共有されてきました。

なんと、火砕流に巻き込まれた人の映像です。これを見て、火砕流はそれほど高温ではないということが分かり、一瞬だけ安心しました。

ただ、低温の火砕流だったからといって完全に被害が出ないというわけではありません。残る大きな危険は噴石です。そして、それが最も被害を出した要因でした。

噴石によって人が倒れている。この情報を見た私は、Twitterを閉じました。元々、火山たんというアカウントを始めた時に、噴火で犠牲者が出たら一切の活動を辞めると決めていたのです。そんな事態を経験した後の社会で火山のことを伝えようとするのは間違っている。亡くなった方への冒涜であるとも考えていました。悲惨なことは無かったと拒絶するかのように、待ち合わせ場所に戻りました。それを見計らっていたわけではないでしょうが、こよみちゃんがやってきて合流し、國學院へと向かいました。何もなかったように振舞おうとしましたが、明らかに動揺しているのを見抜かれたので、「御嶽山で噴火があった。被害が出ている」とだけ伝えました。こよみちゃんは、それ以上は触れてくれませんでした。予定通りに特別展を見終えたのも、平静を保とうとしたからこその行動だったのでしょう。本当は、火山というものに触れたくありませんでした。私が人生で唯一、火山を避けた瞬間でした。

しかし、私が何をしていようと、現実は変わらないのです。夕食のために入った料理店のテレビからは被害を伝えるニュースが流れ、味のしない食べ物を口に押し込みました。見かねたこよみちゃんが、自分の家に泊まっていかないかと誘ってくれました。そうしなければ、本当にどんな行動をしていたか想像できません。たぶん、今こうして当時のことを書くことは出来なかったでしょう。命の恩人であるこよみちゃんに、今も感謝しています。

2人だけになった途端に、ひたすら泣き喚きました。なんで私があの場に居なかったのか、そうすれば何か出来たかもしれないのに。なんで前提知識がない人たちが噴火に巻き込まれて、火山に近いと思っていた自分が何事もなく生きていられるのか、と。被害が出るとほとんど分かっていながらも、そこに人は居ないかのように噴火を分析していた自分は駄目だ。こんなことになってしまったら、火山が嫌われてしまう。思うことすべてを叫びました。壊れそうな心をそのまま言葉にして、そして自分の思いに気付きました。

あんなに犠牲者が出たのに、まったく火山が嫌いになれなかったのです。それどころか、未だに火山を愛している。

人が亡くなっているのに、その元凶となった火山が好きという事実。自分のことだからこそ、まったく理解できませんでした。火山を広めるアカウントも、辞めてしまおうと考えていたのに、そうしてはいけないように思えてきました。何故、自分は火山を愛しているのか。泣きながら考えて、分かりませんでした。正直、今も分かりません。理由もなく、いや、理由も要らないほど私の中では自明なこととして、火山を愛している。おそらく、この記事を見た人の9割以上が私のことをおかしいと思うでしょう。私もそう思います。ただ、自分を偽ることはできません。だったら、そう生きるしかないと覚悟を決めました。しばらく休んだ後、Twitterにひょっこり戻りました。


その後

あの噴火から学んだのは、噴火を事前に知って避けることは出来ないということです。ならばどうするか。いつ噴火が起きてもいいように備えるしかないのです。様々な設備や制度、相手を知り可能な対策を立てる。そういった思いを込めて、噴火の直後に連続ツイートをしました。


災害は自然現象が要因になりますが、人間が被害を受けなければ災害ではありません。そのために出来る対策は色々とあります。私は、自然現象としての火山が大好きで、火山災害は大嫌いです。あの噴火で気付けた、大切なことです。

けれど、人間には限界があります。噴火を決定的に避けるには、火山に近づかないようにするしかありません。しかしそれは、火山で観光業を営む人たちにとっては死活問題です。実際、2014年の年末に御嶽山の麓にある王滝村を訪れた私は、スキー場需要がまったく無くなり困っている村の様子を見て悩むようになりました。その後、噴火災害と観光という問題は私の中で特に関心のあるテーマになっています。それを考えるために、大学院でも防災と観光の関係性について研究することにしました。答えは出ていませんが、これからも考え続けて発信することで何かしら現地の方々の力になれればと思います。

これからも、私は火山についてツイートを続けます。あの噴火は、私の中で今も大切な記憶になっています。犠牲者が出てしまったからこそ、そのことを忘れずに、火山という存在を皆さんが忘れないために、歩み続けます。火山について好きになってもらいたいわけではありません。嫌ってもらってもいいと、今では思えます。ただ、そこに火山があることを覚えていてもらいたい。それが、火山たんの中心にある思いです。

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