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語ることと回復②

語りの混乱は、例外的状況への反応というよりは、むしろまだ破壊されていない人間の表出だと言える。この破壊された世界で自身の身に起きたことをいまだに理解できず、描写できない人間は、まだ人間として破壊されてはいない。こういった時期にある被害者を単純に病んでいると決めつけるのは、あまりに拙速だ。また、 被害者の周囲の状況ではなく、被害者自身に問題があると決めつけるのは、あまりに軽率だ。

カロリン・エムケ『なぜならそれは言葉にできるから』浅井晶子訳、みすず書房

これはニューヨークのワールドトレードセンタービルへのテロ攻撃の直後、まだ右耳からは血を流し、粉塵で塗れた状態だったジョーという男性の語りへの、カロリン・エムケの言葉だ。このときエムケが「語りの混乱」と読んでいるのは、「机の上のコーヒー」である。最初のタワーが崩落する光景、階下へと避難する途中での2度目の攻撃、地上に着くまでの時間が永遠のように感じられたことなど、聞き手が出来事の核心だと感じられるような内容にまざって、淹れたばかりのコーヒーを飲まずに避難したというエピソードが語られた。それをエムケは「ひとつだけほかから浮いたエピソード」だったと言う。耳や膝から血を流し、どうしてそうなったのかもわからず、何とか生き延びた直後に口にするにしては、いささか奇妙だと。話せることをエムケに対して話した後で、ジョーはコーヒーについて語ったのだった。

エムケは、このコーヒーが、例外的状況の前に存在していた日常生活の残存なのだと言う。自分が13年間働いていた職場は跡形もなくきえた。出来事の直後であっても、自分の平穏な生活が不可逆的に破壊されたことは即座に理解できた。それでも、破壊された後の世界に、それまでの日常が入り込む。それが出来事の語りに混乱をもたらす。したがって語りの混乱は、世界が破壊されたことへの抵抗であり、語る者がまだ破壊されていないことの証である。

否認といえばそうなのだろう。しかしこの否認は、出来事に対するものではなく、自分の世界が破壊されたことへの否認である。あるいは過去と現在が断ち切られたことへの。出来事によってすべては変わる。しかしそれでも、何か小さなものを通して、破壊される以前の生の断片が現在に侵入し、すべてがバラバラになることを妨げる。

ユーゴスラヴィアの内戦から逃亡した男が繰り返し語る、買ったばかりの真新しい靴、収容所に送られたユダヤ人の母親が、すぐにも殺されるかもしれない子供が風邪をはいてしまうのではないかと気を揉む様子。過去が現在に押し込まれることで、語りに混乱が生まれる。しかしその混乱は、その人が完全には破壊されていないということを表すのだとエムケは言う。

(つづく)

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