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愛に足る想い 瞳にいま宿り出す

七五三掛龍也くん、26歳のお誕生日、おめでとうございます。25歳の一年間は、しめちゃんにとってどんな年だったかな。ポジティブなものだけでなく、さまざまな感情を味わうことの多い年だったように感じているけれど、その中で、しめちゃんがより多くの「嬉しい」や「楽しい」を受け取ることができていたらいいな、と思っています。本当にいろいろなことがあった一年だったけれど、25歳のしめちゃんに貰ったたくさんの幸せに対する感謝やしめちゃんへの想い、生まれてきてくれてありがとう、の気持ち、全部全部形にしたくて、こうして文章を書いています。

しめちゃん。いつも私たちしめ担を心の中の特等席に置いてくれて、柔らかな安心感と確かな愛の中で生かしてくれてありがとう。しめちゃんのことを好きになってからの期間はまだまだ浅いけれど、その間に貰ったたくさんの愛に包まれながら、幸せな日々を送ることができている。しめちゃんのことを好きになってからずっと「しめちゃんとしめ担は両想いだ」と幾度となく口にしてきたけれど、その思いはいつまで経っても変わることはない。しめ担として、しめちゃんから特別に愛されている実感がある。

たとえば、2月にふたつ増えたピアスの話。虎者2020の公演期間中、「終わったらご褒美にピアスを開ける」と話していたのが10月の頃。実際にピアスが増えたのが、2021年2月。これは憶測でしかないけれど、虎者2020の千穐楽で全国ツアーの発表があったときから、ツアー開幕のタイミングでピアスを開けようと思っていたのかな。しめちゃんにとっては、ピアスを開けること自体もだけれど、開けるタイミングも重要だったのかもしれない。そのふたつのピアスの穴に、意味を持たせてくれた。私たちの存在を重ねてくれた。「みんなと会える記念でピアスを開けた」と言ってくれた、その事実が嬉しかった。

そして、きっとたくさんのことを考え過ぎてしまったであろう療養期間明けのしめまるで「愛情を沢山もらいたい」「支えてください」「俺にはみんなが必要です」と綴っていたことも。これだけ求めてもらえて、しめ担冥利に尽きるとはこのことだね。心配しないで、任せておいて。私一人でできることは限られてるけれど、同じ思いのしめ担さんがたくさんいるはずだから。

しめ担になって、2年2ヶ月。しめちゃんのビジュアルやパフォーマンスはもちろんのこと、その人間性や在り方に惹かれている。むしろ、だからこそ、担当を名乗るようになった。そして、しめちゃんのことを好きになればなるほど、しめ担としての日々を重ねれば重ねるほど、私がしめちゃんに惹かれたのは必然だったんだな、と思うようになった。それは、私の心の中にある大切だと感じていることを、しめちゃんが同じように大切にしているから。

しめちゃんは、言葉が多い方ではない。それでも、一つ一つの言葉を丁寧に選び、自身の思いや気持ちを端的に過不足なく伝えてくれる。そして、それと同じく、気持ちの整理が必要なときは、適切な言葉選びができるまで考え尽くす。自身の発する言葉にきちんと責任を持とうとする。全国ツアーの中止、延期、振替が何度も何度も繰り返される度に、自らもショックを受けながらも、自身の心の中を整理し、言葉を選び続けてくれた。
本当に、しめちゃんは、どこまでも真摯で優しい。嬉しいことがあったときは、いつもタイムリーに喜びを共有してくれて、悲しいことがあったときは、納得いくまで言葉を選び続ける。言葉にするということは、その言葉そのものや、その言葉が及ぼす影響、全てに責任を負うということ。そして、しめちゃんは、どんな些細なことでも、それを当たり前のことのように捉えているような印象を受けている。

らじらー!でのお悩み相談企画も、しめちゃんの真摯さや真面目さが手にとるように分かるものだった。私が一番印象に残っているのは、2020年11月14日、「彼氏と別れてから男性を信用することができない」というお悩みに対して「簡単に人を信用しなくていい、生きていくうちに信用できると感じる人が見つかれば信用すればいい」という内容のアドバイスを返したこと。そのものの考え方自体も、自分の意見を言いつつも最終判断は相談相手に委ねていたことも、何もかもが誠実で。「相手の都合の良い存在になってしまう」というお悩みに対して、最終的に「俺個人としてはそんなのもう別れてしまえって思っちゃう」と言い放ったこと。これだけ聞けば厳しい言葉に聞こえるかもしれない。でも、闇雲にきついことを言っているわけじゃなくて、一時は辛くとも、長い目で見て相手の悲しみが少なくなる道を示してるんじゃないかな、と感じた。このお悩み相談企画を通じて、しめちゃんの恋愛だけでなく人付き合い全般に通ずる考え方を知り、私がしめちゃんのことを好きになった理由をも見た気がした。相談にまっすぐ真摯に向き合って、きちんと意見を返す誠実さ。「優しさ」と「甘さ」は一見似ているように感じるけれど、実際は全く違うもので。しめちゃんはそれを理解していて、優しさと甘さをきちんと区別した回答を返していたように感じた。ふんわりとした甘さで包むタイプのお悩み相談ではなかったのかもしれない。でも、しめちゃんの誠実さや真摯さや真面目さがきちんと伝わってくる、素敵な企画だった。

2回に渡るお悩み相談企画の後、相談者さんが感謝のお便りを送ってくれたことを知って、心底安心したり嬉しそうにしていたしめちゃん。初回の後、きついことを言ったかも、と気に病んでたけど、きっともう大丈夫だね。相談者さんから2回もお礼のメールが届いて、それぞれの方が次の一歩を踏み出すきっかけを作れたことは、きっと自信と糧になっているんじゃないかな。しめちゃんの本気の心が、きちんと伝わった証だね。
「優しい」「素直」「真面目」「誠実」。言葉にするとありふれたものかもしれない。でも、こう在り続けることって、想像するよりもずっとずっと難しい。真っ直ぐな心根と強さそのものだと思う。

そして、自身のコンプレックスと向き合えることも、強さのひとつ。単独で掲載されたananで語られた、「可愛い」と言われることに抵抗のあったしめちゃんが、それを逆手に取った自己プロデュースを始め、「可愛い担当」というパブイメを得るまでの経緯。それは、世の中にいるアイドルの中で頭一つ抜けるために、自身の持ち味やコンプレックスととことん向き合ったからこそ為せること。どこに出ても「可愛い」の概念や「可愛い担当」の大看板を背負っているような気概と眩さ。
しめちゃんのことを好きになって、いろいろなことを知れば知るほど、パブイメだけじゃ勿体無い、他にもたくさんのいいところがあるのに、と、思うことが何度もあった。でも、それだけ強い、その印象ばかりが残るほどのパブイメを手に入れることは、想像するよりも遥かに大変なことで。自身のことを印象付けるため、知ってもらうために一点突破で突き進む、それ以外の部分は好きになってから知ってもらえばいい、と言うしめちゃん。「可愛い」以外の面や素の表情を見せてもらえることやそれに心を揺さぶられて恋に溺れること、全部ファンの特権で、担当だからこそ味わう感覚。こんな気持ちを私たちだけで独占するなんてやっぱりもったいない、とは思うものの、そもそも、その、自身が一番良く見える見せ方や自身に求められる姿に振り切ることができる、その潔くて美しい姿勢に惹かれたから、私はしめ担になったのだった。

そして、しめちゃんは、自身が常に努力を重ねているからこそ、こちらの可愛くなるための過程や努力に目を向けて肯定してくれる。2020年11月18日、しめまる定期更新での「可愛くなろうって努力してるみんな可愛いよ、俺が認めます」の言葉は、私の宝物。しめちゃんのくれる言葉は何もかも大切だけれど、その中でも特別の中の特別。いつまでも外見に関するコンプレックスが全く拭えず「可愛い」に囚われ続けている私にとって、しめちゃんがその過程や努力を認めて肯定してくれることがどれだけ嬉しくて勇気づけられることか、こうして救われている心があるということを、しめちゃんは知っているだろうか。ライブMCで、現場に来るときのメイクやおしゃれ、好きな人に会うときの、自分の理想に一歩でも二歩でも近づきたい気持ちや努力に言及してくれたことも。「実はコンプレックスが100個ぐらいある」というしめちゃん。それらを抱えながらも、自分こそが最強のアイドルだ、という顔をしてステージに立ち、コンプレックスときちんと向き合って自分磨きをしているしめちゃん。自身のコンプレックスを払拭するための努力の重みを知っているんだろうな、と思う。
過去、私は、自分の思い描く理想の「可愛い」に無理矢理自分を押し込めようとして、ずっとずっと苦しんできた。相変わらず今もコンプレックスの塊ではあるし、理想の「可愛い」だってある。でも、それが全てじゃないし、自分が持つものを活かして一番良く見せる形で可愛くなろう、私だって私だけが持つ「可愛い」があるのかもしれない、と思えるようになったのは、他でもないしめちゃんのおかげです。ありがとう。そして、しめちゃんの「可愛い担当」の矜持が見えるような、芸術点のつくような「可愛い」に魅せられるたびに、しめちゃんが自身のコンプレックスととことん向き合い、それを自分の武器に昇華させた強さを分けてもらえているような気持ちになる。

それだけきちんと自分と向き合い、自分自身を磨き上げてきたしめちゃん。その上で、今の自分に似合うと思うスタイル、やりたいと思うスタイルを常に模索していくその姿勢にも敬服している。最近よく見る、髪をゆるく巻いて前髪をかき分け、綺麗にアイメイクを施し、揺れるいかついピアスを着けるスタイル。きっと細部まで物凄く拘って作られたもの。パブイメとは方向性が違っても、今はそれを見せたい/やりたい、という、表に出す自分の見せ方/見え方に関するしめちゃんの拘りや意思は、どのベクトルであったとしてもとてつもなく強い。

ここまでに挙げたことは全部、私が憧れることや、大切にしている/したいこと。私が大切にしたいことをしめちゃんも大切にしている。私ができるようになりたいことを、しめちゃんが実践している。それを実感した瞬間、私はしめちゃんのことを好きになるべくしてなったんだな、と思った。しめちゃんのことを好きになったときからずっと、しめちゃんみたいな人になりたいと思ってきたけれど、それは今も変わらない。

私は、一年前、しめちゃんの25歳のお誕生日に「しめちゃんのことを語る言葉をまだ十分に持っていない」と綴った。それから一年経って、その言葉を十分に得たかと言われると、増えはしたものの、まだまだ自信は無い。
それもそのはずで、そもそも人は日々刻一刻と変わりゆくもので、特に20代半ばといった変化が大きい時期に「変わらない」ということもありえないから、日々私の知らないしめちゃんが増えていることになる。以前に語っていたことと考え方が変わることも往々にしてあるもので。だから、これからもしめちゃんと共に歩み、その変わりゆく姿を見つめながら、語る言葉をまた一つ一つ増やしていきたい。語り尽くせないことなんて分かっていたって、それでも。ただ、この一年で、語る言葉を増やすことができたという実感があるのは、ひとえにしめちゃんやTravis Japanと思い出を積み重ねることができたからだ。

イブ6プラスの生出演から始まった、しめちゃんの25歳。本当にいろんなことがあったね。開催が発表されたとき、そして当日も始まる前からどきどきして仕方なくて、3公演観終わった後にはしめちゃんのことをもっともっと好きになっていた、しめちゃんの表現したい世界観やしめちゃんの意志や拘りを全身で浴びることのできたしめパラ。自分が作る振付で自分らしく踊れるのは当たり前だから、振付師さんが作った振りをいかに自分らしく踊るか、という挑戦をしていたと知ったとき、自身のパフォーマンスに対する探究心やストイックさに胸を打たれたことを覚えている。絶えずパフォーマンスのブラッシュアップを図り、常に自身の見せ方や見え方に拘って考え抜くしめちゃん。表現者としてのプライドを感じる。

そして、配信ライブという形になったものの、ようやく観ることのできたEnter1234567。いっぱい印象的なことはあるけれど、個人的には「ROCK  YOU」で会場の照明で作られた光の海をペンライトの海に見立てながら歌い、メンバーに一人一人声を掛けていくしめちゃんのあまりにも穏やかで柔らかい声や表情が心に残っている。相変わらずEntertainmentの格好良さときたら凄まじかったし、So Crazy冒頭の自作ラップにも度肝を抜かれたし、JAMLADYを今度歌うときは大倉くんの低音パートを歌ってほしい。そして、やっぱりソロ曲が「ムラサキ」だったことに、しめちゃんのとてつもない思い入れと憧れを感じてじんわりしたことも。

虎者2020はどうにも職場の諸々の状況が厳しくて申し込みすら諦めてしまったけれど、配信で皆の頑張る背中を見守ることができてよかった。このとき、改めてしめちゃんの演技をまじまじと見て、10代の頃から何度か出演してきた連ドラや外部舞台の経験値を確実に力に変えてきていることを実感した。しめちゃんのポジションはトラジャの可愛い担当で、そのアイドル力の高さに目がいきがちだけれど、確実に積み重ねた経験と力があるから、演技の方面での引き出しが見られる機会が増えれば良いのに、と思っていた。

それから約2週間後、映画「ライアー×ライアー」の出演発表。しめちゃん本人が映像作品に出演したいと口に出していたことや、虎者2020のときに抱いた感想のこともあり、もうただただ嬉しくて感慨深くて仕方なかった。公式発表があった日のしめまるでも、まずは「しめ担」に向けて言葉をくれたこと、とっても嬉しかった。しめちゃんから呼ばれる「しめ担」の響きは、何より特別だから。そして、2月に入ってからの怒涛の番宣、雑誌掲載、初めてのバラエティー番組へのお呼ばれ、全部全部楽しかったね。毎日のように発表される出演情報に、しめ担忙しい!って大騒ぎしてみんなで喜んだこと、昨日のことみたいに思い出す。InstagramやIsland  TVでの宣伝からも、しめちゃんの抑えきれない喜びが溢れ出てきているようだった。映画館のスクリーンでしめちゃんの演技が観られたこと、中継ではあるけれど公開日翌日の舞台挨拶に立ち会えたこと、そのときのしめちゃんが緊張しながらも物凄く晴れやかな表情をしていたこと、何もかもが嬉しくて感慨深くて、ずっと夢見心地だった。

あと、これは個人的な話、私が最後に自担のために映画館に通ったのは2018年の冬だったけれど、しめちゃんのおかげで3年ぶりにまたこの非日常のような浮き足立った感覚を味わうことができた。もう暫くこんなこともできないのかもしれない、と思っていたところだったし、現場が無かった時期だったから、余計にかな。そして、この期間があったから私は繁忙期を乗り越えることができた。毎日のようにしめちゃんのメディア露出があったことと、しめちゃんもこれだけのお仕事を頑張っていたんだ、ということに背中を押されながら、孤軍奮闘しながらも、何とか前を向いて歩むことができた。しめちゃんが桂くんとして作品の中で確かに生きていたこと、しめちゃんのことを知らない原作派の友人が「原作の桂くんがよく出ていた」と褒めてくれたこと、そして、公開前日のしめまるに綴られた「俺の夢の叶う瞬間」に立ち会えたこと、全部全部嬉しかった。
それこそ大賞だって、しめちゃんが恋人部門へのランクインを明言したからこそ、その夢を担当一丸となって叶えることができた。結果が発表された当日のしめまるには「みんなからの愛を凄く感じました」「俺ももっとみんなに何か返せるよう頑張らないと」と綴られていた。愛に愛を返し、愛で愛を包んで包み返す幸せの連鎖。しめちゃんの口にする夢は、きっと叶うね。

そして、幾度となく中止・延期・振替を繰り返し、ようやく入ることのできたIMAGE NATION。このご時世や今自分の置かれている立場のこともあり、なかなか直接現場に足を運ぶことが叶わず、もしかしたら25歳のしめちゃんに会うことはできないのかもしれない、と、覚悟を決めていた。平日になってしまった振替公演、繁忙期の真っ只中、仕事終わりに電車に飛び乗り、弾丸での遠征。何とか滑り込みで会えた、25歳のしめちゃん。久しぶりに生で観るしめちゃんのパフォーマンスは、格段に進化していた。更に力強くなったダンスに、真っ直ぐに通る歌声。有難いことにお席に恵まれて、どの曲もしめちゃんが見切れることなく近くにいたから、この目にその姿をしっかりと焼き付けてきた。しめちゃんが振付を手掛けた曲のうち、思い入れの強い曲をもう一度観ることができたこと、しめちゃんのプロデュース力やアイドルとしての勘の鋭さを改めて目の当たりにしたこと、そして何より、ただひたすらに幸せそうな表情でステージに立つしめちゃんを見られたこと、PARADE東京公演以来、1年3ヶ月ぶりの逢瀬、何もかもが幸せだった。

しめちゃんは、お客さん一人一人と目を合わせることを意識している、そのためにトラヴィス氏の教えに従い、鏡で自分の目を見ながら踊る訓練をしている、という。きっと自分のうちわやピンクのペンライトを探しているんだろうな、と感じるときもあった。その心掛けから察するに、過去、いくつかの現場でしめちゃんと目があったような感覚があったのも、本当に目が合っていたかどうかは定かではなくても、100%自分の都合のいい妄想でもないのかもしれない、と思い返したりもする。実際のことは分からないにしても、今回も、しめちゃんの視線の先に私の席が重なったとき、割としっかりと目が合ったように感じたことは、勘違いじゃないと思っている。

そして、6/19のシブヤノオト、オリジナル曲を引き下げての生出演。あまりにも力強くてぎらぎらしたパフォーマンス、更にグレードアップしている表情の作り方や、カメラへの映り方。自分が抜かれるときに一番いい顔で映るその徹底したプロ意識に感服し、ラスト、瞳孔かっ開いて舌舐めずりをする姿を見た瞬間に魂が持っていかれる心地がした。
パフォーマンスだけでなく、トークに関しても臆することなく堂々とした姿を見せていたしめちゃん。トークに対して前向きな姿勢や、話を振ってもらいやすいようなツカミの作り方、ワイプでの表情作り、最後に披露した「あざとかわいいポーズ5連発」では直前に披露されたリーダーズさんの楽曲のポーズを取り入れたり、生放送慣れしていることもあり、肩の力を入れ過ぎず番組出演を楽しんでいるように感じた。これは、生放送レギュラーを2年以上継続し、その間にたくさんのバラエティー番組に出演して培った経験値と努力の賜物。翌日、しめまるで「時間があったらトラジャのみんなで「あざとかわいいポーズ」をやるつもりだった」と綴られていたのを見たとき、生放送で残り時間を読みながらそのときの最善を尽くしていたであろうことを実感し、これが25歳のしめちゃんのプロアイドルとしての集大成なんだな、と、胸が熱くなった。

この一年間、大きなものだけでもこれだけたくさんの幸せをくれていたしめちゃん。全てのトピックを書くことはできていないし、日々のことも含めると、もっともっとたくさんの。

『私一人の力で何かができるわけではないけれど、それでも、もしかしたら、私が手を動かしたことが、しめちゃんの笑顔を作る何らかの要素の一部に、風が吹けば桶屋が儲かる、の、風ぐらいにはなれていたらいい。』

2月15日の入所日エントリに綴った一文。大賞の結果発表を一週間後に控え、祈るような気持ちで書いたもの。この気持ちは今でも変わらずあるのだけれど、実際問題しめ担として私ができることは何だろう、と、考えることも多くなった。こうして、一つ一つできることを積み重ねて数字を作っていくことも、できることの一つ。でも、これらのことは全て、しめちゃんの喜んだ顔が見たいから、一分一秒でも長くしめちゃんの姿を見ていたいから、という自分の気持ちの基に成り立っている。

6月18日のしめまる定期更新で、最近の自身の髪型について、今は前からやりたかった髪型に挑戦している、いつもの前髪やいつもの髪型が好きな人がいるのも知っている、少しの間自分のやりたい髪型に付き合ってくれたら嬉しい、 といったことを綴っていたしめちゃん。この言葉を読んだ瞬間、あらゆる感情が心に沸き起こって、涙が止まらなくなった。しめちゃん自身のことなんだから、そもそも誰に断らずとも自分の気持ちを最優先にしたって咎められる類のものでもないのに、いつだってこちらの気持ちを慮ってくれること、それでも、自分はこうしたい、という意思表示をしてくれたこと、自分の気持ちを一番大切にしてくれたこと、ここ最近のビジュアルによってしめちゃんの自我を見せてくれていたこと、全部嬉しくて、心が震えた。ああ、だから私はしめ担になったんだ、と思った。

私自身のスタンスは、しめちゃんならなんでもいいよ、というもので。同じことをやるのでも、義務感ではなく自身の意思でできているのであればそれがいい、行動の根底にある気持ちの方が大切だからその内容は問わない、という意での「なんでもいい」。

ビジュアル、スキル、人間性、生き様。アイドルは、これらを包含した彼らの存在そのものを愛してもらう職業だ。だからこそ、きっと、彼らの人生における制約は、私たちの想像の及ばない範囲に渡ってあるんだろうな、と、思っている。職業としての遵守事項に加えて、その職業に就いているという自覚・自負のもとに背負うものも。
「なんでもいいよ」。これ単体で見ると、ある意味で投げやりにも見える言葉なのかもしれない。でも、ただでさえ制約の多いお仕事で、本当の意味で好きなようにできることなんて物凄く少ないんだと思う。想像でしかないけれど、きっと。だからこそ、自分の意思で好きにできることがあるのなら、好きにしてほしい、と願ってしまう。しめちゃんがあたたかく柔らかな愛で私たちを包み込んで、その中で心地良く自由に泳がせてくれるから、私も同じぐらいあたたかく柔らかな愛でしめちゃんを包み込んで、しめちゃんなら何でも好きだから、しめちゃんが選んだことなら、やりたいことなら、「なんでもいいよ」と言える存在でいたい。

可愛いも、かっこいいも、妖艶も、無垢も、天使も、小悪魔も。夢と希望を背に光り輝く姿も、現実をサバイブする姿も。ゆるふわ可愛いてんしめちゃんも、働く大人の七五三掛龍也くんも。しめちゃんの存在を構成する要素、余すところなく抱きしめたい。好きの条件なんてものはなくて、しめちゃんがしめちゃんでいれば、それだけで。実際、私がしめちゃんについて知っていることは目に見えているほんの一部でしかないことも分かっている。だから、知ってることも知らないことも、分かることも分からないことも、知らないことや分からないことが存在するという事実も、全部ひっくるめたしめちゃんの存在そのものが、愛しくて大切で仕方がない。好きなしめちゃん、はもちろんある。でも、それ以前に私はしめちゃんが好きだ。もうどうしようもないくらいに。

いつも同じことに帰結しているね。noteでもTwitterでも、何度同じことを書いているんだろう、と、自分でも思う。でも、しめちゃんの存在そのものが大好きだよ、大切だよ、だからしめちゃんの意思や気持ちを何より大切にしてね、という思いは、いつだって伝えていきたい。特に今日みたいな大切な日には。

しめちゃんのことを好きになってから今まで、しめちゃんに対するいちばん大切な想いは変わらないまま、ずっと心の奥底にある。そして、いつまでも、この気持ちの全てを正しく伝え切る言葉を探し続けている。難しい難しいと唸りながら、しめちゃんの輝く瞳を、その瞳に気持ちが映し出される様子を見るたび、言葉と瞳、どちらが雄弁なんだろうか、などということを思いつつも。でも、やっぱりできる限りあらゆる形で愛を可視化したいから、今日も私は手を動かす。お誕生日おめでとう、生まれてきてくれてありがとう、しめちゃんのことが大好き、この言葉に集約されてしまう気持ちを一つ一つ解きほぐしては並べて言語化し、手触りを確認しながら綴っていく。直接プレゼントを手渡せるわけではないけれど、お誕生日に愛がたくさん欲しい、なんて言われちゃったら、頑張っちゃうよね。私の心の中に存在する愛を言葉に変えて、しめちゃんに贈るために。

これは僭越ながら、しめちゃんよりもお姉さんの私から、しめちゃんへ。
26歳になって、年齢を重ねたことによる心持ちの変化もあることだと思うけれど、それを気にしすぎることなく、しめちゃんの思うように歩んでいってくれたら嬉しいな。そして、年齢を重ねることによって広がる可能性も確かにあるから、それをしめちゃんが楽しめるといいな、と、思っています。自分の言ったことに責任を持とうとするしめちゃんの誠実さが大好きだけど、過去の自分の言葉に囚われすぎず、「今」の自分を楽しむことができたらいいな、とも。変化があるということは、生きている証拠だから。何度だって言うね、しめちゃんの見せたい姿が、私の見たい姿です。今のしめちゃんを見ていると、しめちゃんの憧れるかっこいいお兄さんたちの姿が過ったりもして。きっと彼らみたいに素敵に美しく年齢を重ねていくんだろうな、と、今からわくわくしています。

改めて、しめちゃん、お誕生日おめでとう。6月23日、今日のこの日、この世の中で、しめちゃんが一番幸せでありますように。しめちゃんがたくさんの愛を受け取ることができますように。今年もやっぱり祈るけれど、しめちゃんの願うことや望むことが一つでも多く、可能な限りたくさん叶う年になりますように。これからの日々に希望が満ち溢れていますように。しめちゃんがしめちゃんの思うままに在ることができますように。

私がしめちゃん自身に望むことはやっぱり何も無くて、ただただしめちゃんの見せてくれる世界を頭空っぽにして真正面から受け止めたい、という気持ちは、もうずっと変わらない。でも、世界がしめちゃんとTravis Japanにとって優しく希望溢れるものでありますように、ということは望んでしまうな。そして、その世界の一員として、これからも愛を届けていきたい。照れるぐらいすきすきーって言うからね、覚悟しててね。これまでのしめちゃんへ、今この瞬間のしめちゃんへ、これからのしめちゃんへ、この胸いっぱいの愛を込めて。