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瞳の星に祈りを込めて

七五三掛龍也くん、28歳のお誕生日、おめでとうございます。2019年1月にしめちゃんのことを好きになって、4年半。当時の23歳のしめちゃんのことや、今のしめちゃんの姿を思っては、改めて年月の経過を感じつつ、見た目のことのみならず全てにおいて美しく年齢を重ねていくしめちゃんのことを、ただただ眩しい気持ちで見つめています。こうして今年もしめちゃんのお誕生日をお祝いすることができて、嬉しい。今日まで28年間、日々を重ねてくれてありがとう。

しめちゃんのお誕生日を迎えるに当たり、自分が担当になった頃から今に至るまでにリアルタイムで買った写真たちを順を追って見返していたら、その時々に抱いた感情がリアルに胸中に蘇っていた。23歳のしめちゃんから、27歳のしめちゃん。その時々で顔つきが違っていて、だからこそリアルに当時の感覚が蘇る。その顔つきの変化は年齢を重ねたことと共に、自信や覚悟の積み重ねでもあるのかな、と思うなどした。

いつのしめちゃんにもそれぞれに思い入れがあって大好きだけれど、いつだって「今」の輝きがいちばん強い。それは、自身の努力やファンの声援や外からの評価、ひとつひとつ自身の糧や自信に変えて積み重ねたものが彼を輝かせているからなんだろうな、と思う。そして、アイドルとしての経歴を重ねながらあらゆる岐路を迎えるごとに重ねた覚悟が、その輝きを増幅させる。いろいろなことがあるたびにアイドルって何だろう、と考えることは多いものの、その輝きを目にすると、そんな概念や定義づけなんて些末な問題なのかもしれない、とも思う。彼に心奪われ、明るく美しい夢の中にいるような心地になるとき、彼がアイドルそのものであることを深く感じ入るから。アイドルというものはあくまで職業でありアイドルという生き物ではない。それは分かっている。でも、まるでそのように見える/見せてしまう強い気概を感じると共に、それは年々増幅しているようにも感じられる。

私が好きになった頃の、23歳のしめちゃんから、27歳のしめちゃん。そして、今日、28歳を迎えるしめちゃんへ。少年と青年と大人の狭間の時期を経て、若さ特有のあやうさが安定感に代わり、しっかりと大人になった印象がある。芯の強さや可愛らしさは変わらず、優しさや懐の広さは更に大きくなった。お兄さんの顔を見せることも増えた。以前は少し隙もあったように見えた「アイドル・七五三掛龍也」の姿も、日に日に強固なものになっている。自己プロデュースに於ける「譲れないこだわり」と「手放すこだわり」の判断も含めた自身の「アイドル」としての在り方が定まっていく経過を、私は幸運にもリアルタイムで見ることができたんだな、と思う。

月刊TVガイド2023年7月号で語られた、しめちゃんの「ものの見方」や「在り方」に関する、如恵留くんからの分析について。ざっくりと要約すると、”物事を以前より客観的に捉えるようになり、「自分がどうしたいか」「どういう風になっていきたいか」という俯瞰での視点が加わった。「どう見られたいか」だけではなく、「何をしたらどう見えるか」「グループとしてどう見られるようになるか」という考え方がプラスされたことは変化だ”というもの。この記事を読んでからずっと、しめちゃんのアイドルとしての在り方に関する「自分軸/他人軸」、「主観/客観」、「内から見た姿/外から見た姿」といったことについてひたすらに考え尽くしていた。

自分軸での意思決定と主観的に物事を見ることは似て非なることだし、他人軸での意思決定と客観的に物事を見ることもまた然り、だと思う。「可愛いキャラ」として一点突破で突き抜けようとしていた時期、「可愛くいなきゃいけない」と悩んでいた時期もあったという。「美容も髪型もファンのため、理想を崩したくない」という言葉を口にしていた時期もあった。そんなとき「いつもアイドルの正解じゃなくてもいいんだ」という藤ヶ谷くんの言葉に心が楽になった、と語っていたけれど、きっとその言葉でしめちゃんは自分の主観に基づく他人軸での意思決定のフレームを外せたんじゃないかな、と思っている。

その後、それまで絶対に崩さなかった髪型についてもいろいろなスタイルを試すようになり、自身の見せ方についても大きく幅を広げた。得意分野、求められているもの、やりたいことや見せたい姿、素の自分……どれか一つに寄せるのではなく、融合させて落としどころを見つけてみたりすっぱりといずれかに寄せたり、その塩梅も年々上手くなっているように思う。大人になるにつれて、この辺のバランスの変化もあったのかもしれないけれど、今のしめちゃんは客観的に外からの見え方を含めて自らを捉え、自分軸で意思決定をしているように感じる。私は勿論いちファンでしかなく、しめちゃんの外から見た姿しか分からないけれど、それでも、近年のしめちゃんを見ていると、より大きな視点で、よりたくさんの人にアプローチをするような形で自身のアイドル像を構築するようになった印象を受けている。あらゆる試行錯誤を繰り返して磨き上げられていく、しめちゃんのアイドルとしての在り方。核の部分は大切に、しなやかに変化を繰り返して今に至る。

この文章は、考察や分析、というよりも、あくまでお祝いが目的だけれど。でも、彼のアイドルとしての力や在り方については、近年の彼のことを考える上では外すことができない話だと思っている。特に、この1〜2年の間に彼の目の色が変わり、瞳に宿る星が輝きを大きく強めた瞬間を見た、という感覚が強いから。

しめちゃんと「可愛い」の概念についても、しめちゃんのことを語る上で外せない話の一つ。しめちゃんはもう長いこと「可愛い担当」の看板を背負っていて、その可愛さは彼の武器そのものでもある。しめちゃんに向けられる「可愛い」もしくはそれと同義の言葉たちを、私は単なる形容詞とは捉えていない。もっともっと大きくて重い、彼が自らの持ち味やコンプレックスと徹底的に向き合って自己プロデュースしたからこそ得た外向きの称号やキャッチフレーズ、パブイメそのものだと思っている。勿論、メンバーそれぞれに可愛いところや愛すべきあざとさや無条件に愛されるようなポイントがあるけれど、私はしめちゃんに対する「可愛い」もしくはそれと同義の言葉に、しめ担として言葉以上の意味を感じている。それらは全て、彼の背負う看板そのものだから。

私はずっと、しめちゃんが自分軸で、自らの意思で自身の見せたい姿を選び取り、自らの手で見せているものが何よりの「正解」だと思ってきた。それが「可愛い」でも「かっこいい」でも、何だったとしても。この思いはしめ担になってから今まで、ずっと変わっていない。

例えば、「トラジャの姫」と呼ばれることや、1/7で女装するときに選ばれること。彼のビジュアルやグループ内でのポジションを反映したもので、何もかもよく似合っている、とは感じるものの、本人が過去抱いていたコンプレックスや求められるキャラクター、自身の憧れや理想の姿、過去「可愛い」と言われることや女装を求められることに関して悩みを吐露していた時期を思うと、しめちゃんがそれに対して苦しんだり悩んだりするならそれは本意じゃない、と思う気持ちがあった。でも、デビュー後に出演したバズリズムで自ら女装姿をセールスポイントとして挙げたり、Ep.5のナートゥダンスの再現で務めたジェニーの役どころやMyojo2023年7月号でのピンク髪の美少女姿を見たとき、その堂々たる佇まいに息を呑んだ。少し前までこの手のことに関して悩んでいたことを思うと、今、本人がそれを自分で話題にしていい、自らのチャームポイントとして挙げてもいい、と思えるのであれば、それは彼の中で一つ吹っ切れたり落としどころが見つかり、その概念と上手く付き合えているんだろうな、と感じたことだった。そして、その堂々たる姿を見て、以前は「可愛い」と感じたときに、その中に含まれる感情を紐解いて考えては「可愛い」と言うことが最適解のときに満を持して「可愛い」を使いたい、という思いのために言葉を選んでいたけれど、それを考えるまでもなく「可愛い!!!」と悶え転がることが増えていった。

そんな中思い出すのはKAGOMEさんのソロ動画で、筋トレ、カメラ、サッカー、ゲーム、バスケ、アクロバット……と各メンバーの趣味や特技が反映される中、しめちゃんはお料理をしていたこと。フライパンを振るいキッチンでかくれんぼをして、可愛い可愛いトラのオムライスに卵の布団をかけてケチャップでハートを描くしめちゃん。溢れそうなほどぎっしり詰め込まれた「可愛い」。単に「料理をする」だけなら、該当するメンバーは他にもいる。でも、「キッチンでかくれんぼしてトラのオムライスにケチャップでハートを描く」だと途端に「しめちゃん」の色になる。これは「お料理」というよりも「可愛い」が先に立つテーマで、その「可愛い」を存分に活かすためにキッチンでのシチュエーションが選ばれたんじゃないかな、と思うほどに。

私が好きになった頃のしめちゃんは「可愛いと"言われる"」しめちゃんだった。ツアーバックに着いたPARADEでのJr.紹介コーナーでの一幕。「ファンの皆さんからよく可愛いって言われます」というしめちゃんの自己紹介に対して、「可愛いと"言われる"ようじゃまだまだ、僕は可愛いって言わせてあげてる!」と言い切る知念くんのとてつもなく潔くて美しくてかっこいい「可愛い担当」としての風格と矜持が、ずっと脳裏に焼き付いていたけれど。あれから4年、しめちゃんも今やその領域に達しているように感じている。単に「見た目が可愛い」「仕草が可愛い」「内面が可愛い」のみならず、ファンではない相手に対しても、自身の「可愛さ」を看板に、商売道具として売っていく覚悟と姿勢が見える。「可愛い担当」の矜持の基に、揺るぎない自信すら見える。変わらず存在している可愛さがどんどん増幅していき、輝きが増していく。こうなればもう向かうところ敵なし、というか、自身の持ち味やコンプレックスや求められるものや得意分野、あらゆるものときっちり向き合い確立した彼の「可愛さ」はやっぱり「強さ」そのものなんだと思う。そして、この先、30代になっても、40代になっても、どこまでもしめちゃん自身の「可愛い」を更新し続けていくんだろうな、と感じている。しめちゃんは、可愛い。本当に、とてつもなく、可愛い。でも、決してその可愛さに甘えて生きているわけではない。どこまでもまっすぐで努力家なド根性アイドル。でも、いや、だからこそ、かな。その可愛さや愛おしさに激甘になってしまう。その「魅せる」ための「可愛い」を凌駕するほど、心根から可愛らしい人だから。

ここまでしめちゃんの「可愛い」に関する話をしてきたけれど、「可愛い」一辺倒ではないのがしめちゃんで。先日、Moving PiecesのMVとダンプラの個人フォーカス動画を見ながら、しめちゃんはすっぴんだと「かっこいい」寄りの顔立ちだけど、ヘアメイクを施すと一気に「美人」「可愛い」「可憐」といった印象になるんだな、ということを考えていた。それでいてすっぴんとメイク後の顔が大きく変わっている感じもなく、自然に自身の良さを活かして美しく見せるスタイルになっている。すごい。

そもそもしめちゃんのパフォーマンスは、かっこいいもかわいいも、儚さも強さも、ジャズもストリートも、どこまでも自由自在。元々ダンスに関しては超オールラウンダーだと思っていたけれど、今や歌声も。ボイトレの成果が出て、高音域がかなりクリアに響くようになった。元々得意としていた低音域の魅力と共に、パフォーマンスにおける可動域が更に広がった印象がある。ダンスのジャンルの話をすると、しめちゃんは元々HIPHOPがルーツでストリート系が得意ジャンルのような印象を受けるけれど、それと同じくらいその柔軟性やしなやかさを活かしたジャズやコンテにも強い印象がある。ショーテイストもアイドルど真ん中もやっぱり得意で、それは元々のルーツに自身の芸能人生やアイドルとしての歩み、自身の見せたい姿や求められる姿、全てを乗せた結果、今のしめちゃんが形成されているんだな、と思う。そもそもアイドルという職業自体が「何でもできる」「何にでもなれる」職業だと私は思っているから、全方位にスキルを高めてできることを増やし、自身のアイドル像をどんどん盤石にしていく姿を見ていると、頼もしさに震えてしまう。何もかもが彼の努力の賜物だと思うので。

しめ担になったときからずっと、しめちゃんのアイドルとしての嗅覚の鋭さやアンテナの高さに驚き感心してばかりいた。どういうものが「自分のファン」のみならず「アイドルのファン」に好かれるか感じ取り、それを体現する、創り出すことができる人だ、と。

例えば、Travis JapanのTikTokの運用の柔軟性を活かして、「可愛くてごめん」を可愛い担当の看板に相応しいパフォーマンスで魅せたこと、ファンの間でもアニメのブームの波が来ているYOASOBI「アイドル」を流行の熱が巻き起こるうちに踊ってくれたこと。きっと両方ともたくさんリクエストがあったと思われるけれど、それを拾い上げてくれたこと。

しめちゃんはファンにとっての「嬉しい」を掴むことに長けているけれど、この「ファン」の指すところは決して「しめ担」だけではない。「トラジャ担」や「ジャニーズファン」のみならず、界隈を問わず「アイドルのファン」の方々やその素養のある方々が「好き」だと感じるところのど真ん中に当ててくる感覚がある。それこそサマパラ2018のアクスタの話もだけれど、「アイドルのファン」の琴線に触れるコンテンツはどのようなものかきっちり理解し、それを形にして提供する力がある。「アイドルのファン」の気持ちの分かるアイドル。大衆の中からターゲット層になりそうな方々にピンポイントで働きかけて「こちら側」に引き寄せる力がある人。

その「相手の気持ちが分かる」ということは、恐らくアイドルでいるときに限らない。過去、雑誌で元太くんが「何をされたら嬉しいか全て分かっている」と語っていたことがあったけれど、素の等身大の姿はかっこよくてモテるお兄さんなんだろうな、と思うことも多い。

しめちゃんは確かにTravis Japanの「可愛い担当」ではあるものの、可愛い一辺倒ではないし、彼の在り方は世間一般の「可愛い担当」のイメージとは少し違っている。「可愛くて人生楽勝♡」的に見せかけることはできるし、ともすればそういったイメージが第一印象からついてしまうかもしれないぐらいに、しめちゃんは可愛い。先天的な「可愛い」を持ち過ぎるほどに持っているから。でも、そこから想起されるイメージと性格の形成は別のところにある。負けず嫌い、超ド根性アイドル、ストイックな努力家、潔い強さの持ち主。入所当時の憧れであるKAT-TUNのようなギラギラしたかっこいい姿、今だってそこに振り切った、まるで頭から丸呑みされそうな迫力と強さを持ったパフォーマンスをすることができる。「可愛い担当」の看板に相応しい芸術点のつくような可愛さを見せることだってお手のもの。彼がアイドルとしてキャリアを積む上で得たたくさんの要素、得意分野だけでも憧れの具現化だけでもない、自身の持ち味やコンプレックス、自身に求められること、グループ内でのキャラ付けやポジショニング。あらゆるものを吞み込み血や肉にして「アイドル・七五三掛龍也」は形成されているんだな、と思う。

「アイドルの正解」とは「求められていることをやる」ことなのか、自身の意思の介在については、どう捉えたら良いか。それぞれの捉え方があるものだから、答えがあるものではないけれど。数年前のしめちゃんは、自分の意思に関係なく「求められる姿」で在り続けることを「アイドルの正解」と捉えていたのかな、と思う。だから当時は「いつもアイドルの正解じゃなくていい」と言われて安心したんだな、とも。それを踏まえて今のしめちゃんを見ると、自分に求められていることやパブイメやキャラ付け、それらと等しく自分の意思も尊重した上で、それでもアイドルの正解を出したい、という気持ちでいるんじゃないかな、と思う。それほどまでに、しめちゃんは私たちの気持ちを理解し寄り添ってくれているし、見たいと思うものを見せてくれている。「自分軸」のきらめきを、たくさんたくさん湛えて。

しめちゃんは努力で「アイドル」を「天職」にした。「天性のアイドル」と言わしめるところまで磨き上げて「天職」「天性」になった。どこまでもひたむきな弛まぬ努力の存在を知っているからこそ、「天職」「天性」と簡単に口にすることも憚られる、と思いつつも、きっちり考えて魅せるもののみならず、さりげなくやったことがおたくの心のど真ん中をぶち抜いていく、その無意識下のアイドル力に敬意を表して「天性」と言いたい。

私の目に映っているのは、どこまでいっても "七五三掛龍也くん" の見せる "アイドル・七五三掛龍也" "しめちゃん" に他ならない。見えてないところ、知らないところ、意図して見せていないことの存在も理解している。きっとメンバーから見える彼と私たちファンから見える彼は異なっている。そもそも人を一つの側面で切り分けるということ自体が不可能で、混沌としたものだから。どの角度から見るかによって、見え方が変わるのは当然のことだ。何年彼のことを見続けても「分かる」だなんて口が裂けても言えないけれど、目に映るものより遥かに多い「見えてない」「見せてない」「知らない」ところの存在を含めてしめちゃんだと思っている。私はいちファンとして私の瞳に映る彼のことしか知らないし、その側面からしか話すことはできないけれど、それでも、だとしても、彼のことが大好きで仕方ないのだ。

ただ、本当のことは何も分からなくたって、知らなくたって、しめちゃんの創り出すものから彼の思いを受け取ることはできるんじゃないかな、と、ぼんやり思う。事実と意見と解釈と希望はもちろん別物だと理解しているけれど、しめちゃんが振付を担当した「Still on a journey」のダンス動画が6月14日に公開されたとき、そのあまりにも大きな出来事に驚きつつも、その振付や担当することとなった経緯から「大好きなしめちゃん」をたくさん感じ取って胸がいっぱいになっていた。

しめちゃんは以前「振付をするのはTravis Japanのため」「Travis Japanにしか振付できない」と語っていた。その言葉を思い出しながら、しめちゃんが描いた世界をTravis Japanが美しく形にしていく様子や、その思いがデビュー後の音源化されたオリジナル曲の振付という形で実ったことに嬉し涙を流していたことだった。そして、何度もダンス動画を見ながら、その振付から彼の好きなところ、グループに対する思い、あらゆるものが心に流れ込んでくる心地がしていた。しめちゃんがいつも「Travis Japanで」「7人で」と口にするように、7人を塊で捉えるシーンがいくらかあること。軽やかにくるくると移り変わるフォーメーションの華やかさ。1人で踊っても成り立つ振付を7人で踊る、というよりも、7人で踊るからこそ映える振付。WODのVOLCANOを見たときにも感じたけれど「グループで踊る」ということに強く意識を置いているんだな、と思う。

手を合わせて微笑んだり顔を見合わせたり背中合わせになったり、21通り全てとはいかないまでも、振付にメンバー同士の可愛らしい戯れが組み込まれていること。これもアイドル・七五三掛龍也の作る振付だなあ、と思う。しめ担をしていると、しめちゃんがメンバー皆とフラットに仲が良く、「どのコンビにも等しく好きな人がいる」ということをきちんと理解しているんだな、と分かる振る舞いをよく見かける。27歳のしめちゃんのお誕生日インスタライブのときに、一人ずつ異なった関わり方をしながら、メンバーを等しくピックアップしていく様子は圧巻だったけれど(他メンバー担の方や各コンビ界隈の方の喜んでいる様子が印象的だった)それと同じような感覚、というか。たくさんの方向に大きく手を差し伸べる、職業アイドルがアイドル目線で作った振付。アイドルのファンの気持ちの分かるアイドルが作った振付。しめちゃんが職業アイドルでもあり、現在進行形でとあるボーイズグループに推しがいることにも由来しているんだろうな、と思う。ファン心理が自身の実感としてあることによる「理解」の現れのような。

そして私はしめちゃんが「アイドル」であることと同じぐらい「クリエイター」であることに心惹かれている。「Still on a journey」のダンス動画が公開された翌日のしめまるには、bior organicsのCMで踊っている振付は他の振付師さんが作ったものだということ、それ以外の振付についていろいろな要素を絡めて作った、ということが綴られていた。CM撮影時に踊った振付からインスピレーションを得て全部を作りたいと思ったのかな、そうだとするとまさに創作をやる人の発想だ、と思った。髪を乾かしているときに振付が降りてきたから、ドライヤーの電源も入れたまま手に持って踊る。早朝から深夜まで寝る間も惜しんで振付を作り続ける。誰かの作ったものを基にして、そこから着想を得て全体を作る、ということは、あらゆる創作活動に於いて「ある」話だけれど、それをしめちゃんは「振付」でやったんだな。しめちゃんのクリエイターの魂に触れた心地がした。

6月18日更新のSHIMELOGで振付を考える一部始終を見せてくれていたしめちゃん。+81スタジオで実際に体を動かして創り上げていくところを映像に残してくれていた。その時点ではもう大分形になっているように見受けられたけれど、それ以前にどういう形で振付を練っているのか、そんなこともいつか話が聞けるといいな、と思った。そもそも振付を作る様子を共有しようとカメラを回してくれているところも18日に更新してくれることも、全てにおいてもう愛でしかないのだけれど。

そして、「Still on a journey」の振付は、今までしめちゃんが作ってきたものとはまた違うタイプだと感じながらも、曲の雰囲気にぴったり合う気持ち良いまでの解釈一致感もあるものだった。それはしめちゃんのダンスに対する引き出しの多さでもあり、丁寧な曲の解釈でもあるんだな、と思う。しめちゃんのダンスについて、「得意」はあっても「苦手」はなく、どのジャンルに対しても高い水準に当ててくるオールラウンダーだ、と感じていることについては、前述した通りで。そして、しめちゃんは、透明な器やまっさらな布のように、その曲や振り付けの雰囲気に頭から染まりにいくことができる。だからこそ、その曲の雰囲気に合わせて、一番合う振付を持ってこられるんだろうな、と思っている。そういったしめちゃんの素敵なところ、且つ私が好きだと感じているところが手に取るように伝わってくる振付だった。

渡米期間を経て、Travis Japanはメンバー全員が振付を作るようになった。それを踏まえて、これまで振付を主に担当していた3人は更に新たなフェーズに向かうんだろうな、と、感じていた。Ep.5でしめちかが振付を担当せずに超高難度のナートゥダンスの振り起こしをしたことも、今回、デビュー組として音源化されている自分たちの楽曲の振付をまるまる一曲担うことも、「新たなフェーズ」なんだな、と思う。

+81 dance studioでしめちゃんコレオの「HONEY BEAT」が上がったのが去年の6月18日のこと。それから約1年後、同じくしめちゃんコレオの「Still on a journey」のダンス動画が公開された。+81のメンバーコレオでしめちゃんが一番手を担ったことも嬉しかったけれど、その1年後に自分たちの楽曲、しかも音源化された「売り物になる」楽曲の振付を任せてもらえるまでになっていることに、胸が熱くなった。そんなに長くはない期間ではあるものの、しめ担としてしめちゃんのことを見ていると、しめちゃんは踊ることや振付をすることが本当に好きなんだな、と、折々に実感する。6月20日のインスタライブで、その裏側が語られていたけれど、EPの収録曲それぞれにつける映像をどんなものにするか、という話し合いの際に、しめちゃん本人から「Still on a journeyの振付をしたい」という話が出たという。

+81でのメンバーコレオも、音源化されたグループの楽曲のメンバーコレオも、しめちゃんが一番手を担ったこと。しめちゃんの振付に対する情熱も、しめちゃんに託してくれたメンバーからの信頼も、両方が厚くて大きなものなんだな、と思うと、涙が零れた。そして、1年前に+81の「HONEY BEAT」で貰った歓びとは異なる歓びを「Still on a journey」の振付で貰った6月。お誕生日のお祝いをする前に、しめちゃんからまたたくさんのプレゼントを貰ってしまった。プレゼントを渡したいのは、こっちの方なのにね。

しめちゃんの、いつもまっすぐにアイドル然とした姿を見るたびに、彼がアイドルでいる時間が楽しいものでありますように、と願わずにはいられない。現実をサバイブしながら、その手で美しい夢を作り出して私たちに見せ続けること、偶像で在り続けることは、小手先で簡単にできることではなく、「楽しい」だけじゃ成り立たない。だからこそ、アイドルでいるときに、一分一秒でも長く「楽しい」と感じる時間がしめちゃんのもとに在ってほしい。ままならないことや世知辛いことがあったとき、もし仮に、彼らが私たちと同じ状況に直面しているとしたら、彼らの感じていることは私たちよりはるかに強く、たくさんあるんだろうな、と思うことも多い。そんな中で、しめちゃんがまっすぐに夢や希望を語ってくれる、その思いや言葉にいつだって手を引かれ包み込まれ救われている。しめちゃんは、とてつもなく大きな夢も臆せず口に出し、それを叶えたり、その夢の近くに行ったりしている。まるで予言のように。ステージ上で何度も何度も宣言したデビューも、雑誌で語った「ダンス大会きっかけでアメリカのTV番組に出られるかも」という言葉の通り、WODきっかけでAGTの出演が決まったことも、YouTubeでのお食事会で口にしたハリウッドでのデビュー会見も、全部口に出して叶えてきた。そのデビュー会見の場で目標として掲げたグラミー賞については、リポーターのお仕事でその会場に立つことができた。自分たちの活動の延長線上から予測できることというよりも、まるで突拍子もないように感じられるところから、強い意思で未来を連れてきている。そして、そのために惜しみなく努力を継続していく。しめちゃんの口にする願いは叶う。そして、そのひたむきさは絶対にしめちゃんのお守りになっている。

POTATO2023年7月号で「来世でなりたいもの」を訊かれたしめちゃんは、「生まれ変わってもエンターテイナーになって、歌って踊るパフォーマンスをしていたい」と答えていた。「この人生がめちゃめちゃ楽しい」「次の人生も自分でいられるなら自分でいたい」と語るその文面を読んで、ただただ嬉しくて仕方なかった。私が愛している「アイドル・七五三掛龍也」の人生を、しめちゃんも同じように愛していることが分かるから。しめちゃんが自分の今の人生を肯定して愛していることが、何よりも嬉しい。どの世界線に生きていたとしてもしめちゃんはアイドルをしていて、私はしめちゃんに巡り会いファンになっている、そんな運命であってほしい。でも、まずは現世のしめちゃんの人生が抱えきれないほどの幸せに溢れていてほしい。28歳のしめちゃんが描く夢や希望をその手で叶えていける一年になってほしい。そして、私も現世でしっかりと愛を形にして伝えていく。しめちゃんがしめちゃんの「アイドル」として生きる人生を、彼自身がこれからも肯定して愛していけるように、彼を包み込む無数の愛のうちのひとつであり続けていたいから。