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"PUNK MASTER" KONNO -interview -

(written by KEN MAKABE)

ハードコアパンクにかける永遠の情熱と追求心。
仙台ハードコアシーンの生き証人 "PUNK MASTER"こと、KONNO氏(aka TOFU 666)。

音楽との出会いから80年代ハードコアシーンの体験、自身がVoを務めるDISPERDICIOはもちろん、企画"NOISE & LIFE"、数々の名盤を輩出したレーベル"Sprout Records"のことなど、パーソナルな部分も含め沢山のことをお聞きしました。どんなに時代が変わっても、今日に至り常に「現場」に足を運び、体験し、音楽を楽しみ続ける、その原動力とは。

-音楽を好きになったきかっけ


元々は中学生の頃にラジオ聞くようになって、日本のフォーク・ロックを知るようになったのがきかっけだったかな。RC サクサクセション、ARB、ハウンドドック・・・ずっとここらへんを聞いていたね。松山千春・長渕剛なども。
そこからBauhausをはじめとしたニューウェーブの波が入ってきて。デビットボウイもその頃はグラムロックの系統だったかな?パンクに出会う前はそんなのをよく聞いていた。

海外のパンクを知る前に、アナーキーやスターリンをはじめとした日本のパンクを知るようになったんだよね。そこからいろんな国内のバンドチェックするようになりました。

ちょうどその頃、都内で活動してたパンク・ニューウェイブ・ポストパンク系のバンドを中心とした「東京ロッカーズ」のムーブメントが起こっていて、これがきかっけで更に音楽をほじくるようになったかな。FRICTION、LIZARDとか、後々出てくるZELDAとかね。

多分79年〜80年が東京ロッカーズムーブメントの一番最盛期で、自分が体験していたのはその少し後なので若干落ち着いた時だったと思うけど、ZELDA、NON BAND、CHANCE OPERATIONなどを仙台で見ました。タイミングがよかったよね。
AUTO-MOD、E.D.P.Sなども仙台に来ていたけれどこれは見逃してて・・・当時のインディーズシーンは、東京ロッカーズのムーブメントの影響力が大きかったと思う。

その時の仙台でのライブの場所といえば、ダックシティ丸光( 旧さくらの百貨店の場所 )の中に貸しホールがあったんだよ。ライブハウスではなくて普段はファッションショーなどをやっていたイベントスペースだったかと思うんだけど、ライブの時はそこにPAとか機材を持ち込んで演奏するスタイルにとても刺激を受けたね。

東京ロッカーズはどちらかいうとNYパンクに影響受けていた印象。UKパンクとはまた少し色が違く、洗練されていた感じがあったかな。前衛的な面もあってアートとロックの融合を目指していたんじゃないかな。


その次からだね。ハードコアパンクのムーブメントがやってきたのは。当時の情報源はDOLLで、UKハードコアの特集をやっていて「なんじゃこりゃ」っていう衝撃を受けた。
Chaos UK、discharge、disorderを初めとした・・・ノイジーでやかましいバンドが好きだった。

UKのバンドに関しては、Sex Pistolesの流れからある正統派なパンクロックが好きな人たちと、自分が好んでいたChaos UK、disorderをはじめとしたノイジーなハードコアが好きな人とで、好みが分かれていたと思う。

それと並行して日本のバンドはGAUZE、 THE COMES、G.I.S.M.・・・リアルタイムで聞いていて、とにかくハードコアにシビレた。

当時仙台でハードコアの音源を購入できた場所は、昔仙台マンションの中にあった「レコードギャラリー」  輸入盤、自主盤などを扱っていたからね。

あとはDISK NOTE。今は本町で、それ以前は一番町にあったイメージが強いけど・・・それ以前は中央にあったんだよ。今のリーガルライトのビルの上。レコード屋は高校の帰り道、いつも寄っていたね。

今はなんでもネットで調べてYouTubeですぐに見れるけど、当時は雑誌のレビュー読んで、あとはジャケ買いするしかなかった。沢山買って失敗もするけど、それも含めて皆楽しんでいたね。あとはレコード屋の人と仲良くなって、情報を教えてもらったり。

仙台のハードコアのライブは、当時今みたいに演奏出来る場所があまりなかったから、一番町と木町にあったYAMAHAの貸しホールでやっていたよね。一番町のYAMAHAは今も同じ場所。本当はあそこの生徒さんたちがレッスンで使うような場所だったんだろうけど、そこでハードコアのライブ笑

その時期は仙台にも金髪・鋲ジャンのスタイルの流れがあったかな。案の定その後パンク・ハードコアバンドはYAMAHA出禁になってしまったなんてこともあったけど。

仙台ハードコアシーンの黎明期に活躍していたバンドは責任転嫁、DISARRAYになるかと思いますが、自分がライブによく足を運んで見ていたのはBAT BONES、BANISH ARMS、HALF LIFEの初期などその次の世代のバンドでしたね。レコード屋でフライヤーを見かけてはライブに足を運んで「仙台のバンドかっこいいじゃん!」こんな感じでどんどんハマって行くようになったね。

当時の思い出のレコードはHARDCORE SHOWCASE。当時仙台で活躍していたHCバンドが連なる、いいオムニバスだよね。この時参加しているバンド、SEX CRIME、WILD GEESE、LANCE LOTも10代とかで高校生のメンバーもいたんじゃないかな?あの当時は尖った若者のハードコア・パンクスが沢山いて、エネルギーが凄かったよね。とにかくみんなカッコよかった。


-自身のバンド遍歴について

DISPERDICIO結成の以前はJUST BRING IT、SWIRLというバンドでVoをしていました。
JUST BRING ITはUSハードコアの方向を目指していたスタイル。次のSWIRLの活動時期は95年~96年くらいかな。男女ツインボーカルでアナーコパンク・・・UKのDIRTのようなバンドの方向性を目指していました。ギターとベースも女性で、今思うと面白いことやっていたよね!

DISPERDICIO結成は、バーラン移転した後だから2007年ころかな?元々私もDrのHisashiも南米やスペインの荒々しいハードコアサウンドが好きだったからそれがDISPERDICIOの基礎になっている。

いい意味でポンコツで、ぶっ壊れているバンド!

南米バンド特有のRAWな感じが好きなんだよね。テクニックどうこうではなく、情熱と勢いで突っ走るバンドに憧れます。


実は最近のDISPERDICIOは・・・演奏が上手くなりすぎている、という問題点が生じてきている笑
自分からメンバーに「もっと下手くそにやってほしい!」「テクニックなんかいらない!」なんて伝えると、メンバーから怒られる始末なんですが 笑 

2021年にリリースしたDESPERDICIOのアルバム "iCEMENTERIO DE DESTRUCCION!"のジャケットはスペインのアーティストTeodro(teodoro hernández)に書いてもらいました。DESTRACCIONってバンドのメンバーで
現地でバンドのアートワークデザインしたり、同人誌などを発行しているアーティスト。元々はドラマーなんだけど一人で多重録音をやったりとD-beatのバンドなんかをやっていて・・・いい意味で、大変狂っている人です。

歌詞の方は、日常の生活、不平不満、葛藤など。最近は、悪魔や殺人鬼な内容の歌詞を比喩して書いてます。


- D-BEAT/RAW PUNKで影響受けたバンド・おすすめなど。

日本のDISCLOSEはすごいバンドであったと思う。海外のバンドにも今だに影響を与え続けていますし。D-BEATの世界を変えたのはDISCLOSE、と私は思っています。自分達が好んでいるスパニッシュ系のバンドも元を辿ると、ディスチャージから派生した系統になると思うんだよね。

スペインのRAW D-BEATバンドであれば、まずはMG15がおすすめかな。

南米系のハードコアバンドであればOLHO SECO。古いバンドだけど、面白いし外せないバンド。
ブラジリアンHCであればRATOS DE PORAOやCOLERAも定番なので。
RATOS DE PORAOは現地ではベテランのパンクバンドとして認知されているようだよね。

話は脱線するけど、日本のレコード店・ディトリビューターの人たちは皆本当にすごいと思う。日本に住みながらも世界中の音源が手に入るもんね。自分たちが好きなマニアックな音源が、世界中から集まる環境にある日本は改めて素晴らしいと感じます。


-Sprout Recordsの運営について

単純に自分でレーベルやってみたい、地元のバンド応援したいってのがきかっけだったよね。

最初にリリースしたレコードはPASSING TRUTH DRIVEの1st ep。
PASSINGのメンバーとUSUGROW氏が友達だったという経緯があっての、あのジャケットデザイン。今や世界のUSUGROW氏だから、すごいよね。
500枚プレスだったけど速攻完売したのを覚えているね。

2番目がYOUTH STRIKE CHORD、3番目が札幌のPROTESS。
そこから仙台のStarter、Sacrifice、BREAKOFCHAINが続き、DxIxE / Torture Incidentのスプリット、BABELDOMの流れかな。

リリースに至る経緯としては、自分がライブ見て好きだカッコいいからっていうのが基準。
たまにね、中古屋で自分のレーベルで出した音源が売られているのを見かけたりすることがあるんだけど、それを自分で回収して新しい世代の若い子にあげたりしています 笑


-企画NOISE & LIFEについて

単純に地元のバンドをサポートしたいと気持ちは変わらぬまま、企画を昔から行っています。
ゲストと在仙バンドを混ぜたり、若いバンドも混ぜて・・・似たような系統のバンドばかりでなく、いい意味で群れたくないっていう思いがあるからね。

バックボーンはみんなpunk/hardcoreが軸だけどそこから派生して
色々なスタイルのバンドが派生して、同じ「仙台パンクハードコアシーン」で活動しているところが面白いよね。ここが仙台らしいというか。

実は最初の企画名は「sekyokutekini ikou!」(積極的にいこう!)という名前でした。きっかけは、アメリカのジンで、誌面で「POSITIVE GO」と謳ってまして、訳すと「前向きに行こう、積極的に行こう」になるので、そこからヒントを得てね!
しかし、自分が、あまりにも積極的になれなかったので・・・・(苦笑)
途中から「NOISE&LIFE(雑音と人生)」に変更。
こちらの方が、自分らしいや…とか思ってます(笑)

そこからNOISE & LIFEにタイトルに変更して、回数数えたら38回。ここまで開催するのに10年以上かかりました、、、

LIMP WRISTの日本ツアー仙台編もNOISE & LIFEで企画したね。このとき、旧バードランド(二日町)の移転準備の最中で箱が使えなかったから、向かいにあったライブハウスのREMEMBERで企画したんだよね。オールディーズのバンド出演がベースのライブハウスだったから、今思うとすごい大きい箱だったよね〜LIMP WRISTだから人も沢山きてたし。

-仙台シーンへの想い

仙台で生まれ育って、仙台のバンドが好きで育ったので、いい方向に進んでもらえればいいと思う。
仙台自体、昔からバンド人口が多い都市。ハードコア以外のライブを観に行く機会もありますが、面白いことやっている人たちは沢山いるよね。
いろんな人たちと絡めて一緒にやっていけば、もっと楽しくなるんではと思う。若い世代も含めて一緒にね。
9月に勾当台公園であるBIRD LAND企画のFREE GIGも、若い世代の人たちも一緒になっているのが凄くいいと思います。

ローカルで頑張っている、すごいバンドって実は沢山いるのだろうけれども、自分がまだまだ出会っていないだけかもしれない。
DESPERDICIOも結成して11年だけど、一緒にやったことが無いジャンルのバンドも沢山ありますし。

間口が広がるきかっけが増えれば、本当にいいと思う。
まだまだ、余地は沢山あるから探しに行かないとね。

自分もいい歳だし、いつまでバンドできるかわからないからさ 笑


今はテクノロジーが発展してますから。
CDとかレコードも、モノとして好きだから自分は相変わらず買うしね。

先日も山形に「はるまげ堂」が出店で来てたので遊び行きましたが、新潟とか青森からも人が来てていて、すごい大盛況だったよね。
今はレコード屋も少ないし、ディストリビューターの人に会う事もなかなかないから、貴重な機会ですね。大切にしたい。

-音楽を続ける原動力

好きだから。

あのバンドが観たい、あの映画が観たいという、純粋な思いが強い。
ライブへ行ってみない限りは、生の空気とか熱量とかが現場に行かないとわからないし、他人があーだこーだ言ってても、やっぱり自分の目で確かめたい。

結局はライブ行くこと自体が好きだし、コミュニケーションの場になっているところが魅力に感じるかな。

立町のサテンドールっていう昔からあるジャズ喫茶なんだけど、そこに良くいくんだよね。店主も70代くらいかな。古いお店なんだけどいいお店でね。
そこで実験音楽系とかアバンギャルな方面のライブもやっていたりして、60代の年配の人も沢山いるんだよ。そういう人たちと出会うのも楽しいよね。

東京とかにライブ行けば、知り合いとか初めて出会う人もいるし。
知らない街に行って、初めて見る知らないバンド見るのも楽しいよ。

これが全ての原動力かな。


infomation

twitter : @tofu48
instagram : @punk_master55





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