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違星北斗を読む(解説)

本日、10月3日のGoogleのロゴが、
違星北斗(いぼしほくと)を讃えるものでした。
1927年の今日、10月3日に、違星北斗の短歌の一つが
小樽新聞に掲載されたことを記念したそうです。

アイヌ民族の地位向上と、
アイヌ民族の意識改革のために、
一生を捧げた歌人です。
27歳の若さで、結核により亡くなりました。

詳しくは、ぜひこちらを。

ということで、
彼の短歌の抜粋を、
読み上げています。
別記事で、音声データをアップしたので、
それを聴きながら、
読んでいただけると嬉しいです。
東京に、戻りたかったのだろうなぁ、と…、
その思い、切々たるものがあります。


はしたないアイヌだけれど日の本に
生れ合せた幸福を知る

滅び行くアイヌの為に起つアイヌ
違星北斗の瞳輝く

我はたゞアイヌであると自覚して
正しき道を踏めばよいのだ

新聞でアイヌの記事を読む毎に
切に苦しき我が思かな

昼飯も食わずに夜も尚歩く
売れない薬で旅する辛さ

売薬の行商人に化けて居る
俺の人相つく/″\と見る

「ガッチャキの薬如何」と人の居ない
峠で大きな声出して見る

よく云えば世渡り上手になって来た
悪くは云えぬ俺の悲しさ

「今頃は北斗は何処に居るだろう」
噂して居る人もあろうに

行商がやたらにいやな今日の俺
金がない事が気にはなっても

無自覚と祖先罵ったそのことを
済まなかったと今にして思う

仕方なくあきらめるんだと云う心
哀れアイヌを亡ぼした心

勇敢を好み悲哀を愛してた
アイヌよアイヌ今何処に居る

アイヌ相手に金儲けする店だけが
大きくなってコタンさびれた

あゝアイヌはやっぱり恥しい民族だ
酒にうつつをぬかす其の態

泥酔のアイヌを見れば我ながら
義憤も消えて憎しみの湧く

背広服生れて始めて着て見たり
カラーとやらは窮屈に覚ゆ

ネクタイを結ぶと覗くその顔を
鏡はやはりアイヌと云えり

我ながら山男なる面を撫で
鏡を伏せて苦笑するなり

洋服の姿になるも悲しけれ
あの世の母に 見せられもせで

久々で熊がとれたが其の肉を
何年ぶりで食うたうまさよ

めっきりと寒くなってもシャツはない
薄着の俺は又も風邪ひく

鰊場の雇になれば百円だ
金が欲しさに心も動く

感情と理性といつも喧嘩して
可笑しい様な俺の心だ

「アイヌ研究したら金になるか」と聞く人に
「金になるよ」とよく云ってやった

金儲けでなくては何もしないものと
きめてる人は俺を咎める

よっぽどの馬鹿でもなけりゃ歌なんか
詠まない様な心持不図する

何事か大きな仕事ありゃいゝな
淋しい事を忘れる様な

金ためたたゞそれだけの人間を
感心してるコタンの人々

情ない事のみ多い人の世よ
泣いてよいのか 笑ってよいのか

甘党の私は今はたまに食う
お菓子につけて思う東京

支那蕎麦の立食をした東京の
去年の今頃 楽しかったね

上京しようと一生懸命コクワ取る
売ったお金がどうも溜らぬ

葉書さえ買う金なく本意ならず
御無沙汰をする俺の貧しさ

無くなったインクの瓶に水入れて
使って居るよ少し淡いが

今年こそ乗るかそるかの瀬戸際だ
鰊の漁を待ち構えてる

或る時はガッチャキ薬の行商人
今鰊場の漁夫で働く

東京の話で今日も暮れにけり
春浅くして鰊待つ間を

人間の仲間をやめてあの様に
ゴメと一緒に飛んで行きたや

賑かさに飢えて居た様な此の町は
旅芸人の三味に浮き立つ

酒故か無智な為かは知らねども
見せ物として出されるアイヌ

芸術の誇りも持たず宗教の
厳粛もないアイヌの見せ物

見せ物に出る様なアイヌ彼等こそ
亡びるものの 名によりて死ね

聴けウタリー アイヌの中からアイヌをば
毒する者が出てもよいのか

子供等にからかわれては泣いて居る
アイヌ乞食に顔をそむける

アイヌから偉人の出ない事よりも
一人の乞食出したが恥だ

アイヌには乞食ないのが特徴だ
それを出す様な世にはなったか

滅亡に瀕するアイヌ民族に
せめては生きよ俺の此の歌

悪辣で栄えるよりは正直で
亡びるアイヌ勝利者なるか

俺の前でアイヌの悪口言いかねて
どぎまぎしてる態の可笑しさ

うっかりとアイヌ嘲り俺の前
きまり悪気に言い直しする

平取びらとりはアイヌの旧都懐しみ
義経神社で尺八を吹く

秋の夜の雨もる音に目をさまし
寝床片寄せ 樽を置きけり

貧乏を芝居の様に思ったり
病気を歌に詠んで忘れる

病よし 悲しみ苦しみ それもよし
いっそ死んだがよしとも思う

若しも今病気で死んで了ったら
私はいゝが 父に気の毒

恩師から慰められて涙ぐみ
そのまゝ拝む今日のお便り


違星北斗 北斗帖、青空文庫より



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