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世界石巡礼ブログ ペルー

🔴2010/02/10 

石の森・クンベ・マヨ(Cumbe Mayo)とプレインカ遺跡 

 エクアドルのクエンカから19時半発ペルー、ピウラ行きの夜行バスに乗る。マチャラで別のバスに乗り換え出入国で2時間近く待たされ、ピウラには到着したのが10時を回っていた。そのまま、チクラヨ経由でカハマルカへ向かう。カハマルカに着いたのは深夜0時を過ぎていて、街は大雨。中央広場沿いのホテルに宿をとると、深夜というのに太鼓の音で賑やかだ。カハマルカは、まさにカーニバルであった。 標高2750mのカハマルカは、コロニアル建築の街で、インカ帝国最後の皇帝アタワルパがスペイン軍に捕らえられ、処刑された場所としても知られている。周りを美しいアンデスの山々に囲まれ、静かで美しい町並みだ。 

 2月8日 カハマルカの南約20kmに巨岩で知られるクンベマヨ・ツアーに参加する。ペルーはちょうど雨期、前日の大雨で心配するも幸い青空も見える。 

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ミニバスに10人もの観光客が乗り込み出発。バスがカハマルカ南の高台に停車すると、街中を一望できた。 

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やがて、道路はオフロードになり1時間ほど走ると、高原の中に岩の塊が現れた。 

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これらの石は火山石でできているという。 最初にペトログリフが刻まれた岩を見て、胎内潜りのような洞窟の中に入った。

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 そこから、草原の中をあるきながら奇岩巡りが始まる。巨大な奇岩が辺りに点在する。

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 人の横顔に似ている石。 

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子象に似ている石。 

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同じツアー客の人々は奇岩との記念写真を撮ることに忙しい。 クンベマヨは標高3600mあり、ほぼ富士山山頂と同じ高さを歩くのは、さすがに息が切れた。 クンベマヨは巨大な奇岩怪石が乱立する景観の美しさだけでなく、不思議なのは古代の水路がある。 

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驚くことに、この水路は紀元前300年頃に出来たと言われる。水路は途中、巨岩を人工的に加工した場所も多く、いくつものペトログリフも刻まれていた。

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 石を加工できる高度な文化があったことが想像できる。この水路はカハマルカの町の地下を通って海岸まで繋がっているとか。 その日の夕方、カハマルカの近郊にあるオトゥスコ遺跡に行く。Ventanillas de Otuzco(ベンタニジャス・オトゥスコ)は、 紀元前1130~紀元1240年頃の長期間にかけて築かれたプレインカ時代の墓地。大きな岩盤の丘にたくさんの穴が開いていた。 

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穴の中から土器や人骨などが発掘されたという。これら穴の一つ一つに古代人が埋葬されていた。どこか、埼玉の吉見百穴に似ていた。 インディヘナの人々が多く住むカハマルカは、街中にフオルクローレの音が響き渡っていた。

 ペルー、カハマルカにて 郡司


🔴2010/02/19 

聖なる谷、ウルバンバ(Urubamba)に佇むインカ遺跡の巨石遺構 

 14年ぶりにクスコを訪ねる。 リマから1時間20分あまりのフライトでクスコの空港に到着すると、空港内は観光カウンターの呼び込みが激しかった。タクシーで街中に移動し、手頃なホテルを探してチェックインする。 1月末、南米コロンビアを訪ねている時、クスコ周辺の豪雨で死傷者が出たとの情報を知った。マチュピチ遺跡に多くの人が閉じ込められ、ヘリコプターでの救出、その後まもなくペルー政府はマチュピチュ遺跡の入場を全面的に禁止した。鉄道の復旧は、一ヶ月以上かかるとのこと。残念ながら、今回の旅ではマチュピチュとの再会は断念せざるを得ない。14年前、クスコ近郊のインカの遺跡は、ピサックくらいしか回っていなかった。そこで、今回は、クスコ近郊の遺跡を巡る事にした。

  2月12日、聖なる谷、ウルバンバ(Urubamba )沿いの遺跡、ピサック( Pisaq) とオリャンタイタンボ(Ollantaytambo)を巡るツアーに参加する。 朝8時半、ホテルの前にバスは迎えに来てくれる。その後、クスコ市内を巡りツアー参加者をピックアップし、9時過ぎにクスコを出発。久しぶりに日本人の旅行者二人とご一緒し、色々な話をすることができた。 バスは高原を快適に走り、やがてウルバンバ川の谷間へと下って行く。ピサックの村から山道を上り、11時半頃ピサック遺跡の入口に到着する。ピサックは、クスコの北約30kmにあり、マチピチュ遺跡と似ていた。14年前、ピサック遺跡に行った時は、一時間近く石段を登ってようやく遺跡に着いたことを思い出す。しかし、今回、驚いたのは遺跡への入口がかなり上になっていて、車で上まで行けるようになっていた。それほど、上らなくても遺跡を見学できるようにしたのだ。 我々は共通入場券を購入し、さっそく遺跡へ入場する。入口からフラットな道をしばらく歩き、急坂を下って行くと段々畑が見えてくる。

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 畑の中に巨石もある。 

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そこから細い道を15分くらい登ると、ピサック遺跡の中心部に到着した。遺跡の一部に縄が掛けられ、中に入ることができなかった。

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 少しだけ入ると、警備員が警笛を鳴らした。14年前は、このような縄は無く警備員もいなかった。これでは太陽の神殿の自然石を触ることはできない。 しばらく、ピサック遺跡群内を散策する。太陽のカレンダー、太陽神殿、施設跡、水路などを見ながら遺跡の背後の小山に登る。 

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ピサック遺跡は、その景観の見事さだけでなく祭祀場として今でも十分役割があるように見えた。

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 ガイドは、この太陽神殿近くの自然石はパワーがあるので、触ってみてくださいという。 その後、昼食を食べ、バスで一時間ほど走るとオリャンタイタンボに到着する。 ここは、聖なる谷の中心にありインカ時代の宿とも要塞跡とも言われていた。タンボとは、ケチュア語で旅籠の意味がある。 かつて、インカの最後の皇帝マンコ・インカはインカ軍とともにオリャンタイタンボに潜伏し、やってきたスペイン人たちを撃退したという。しかし、その後、彼らはその奥地のビルカバンバへ身を潜めたという。 オリャンタイタンボに入場すると、正面の岩山に向かって見事な段々畑が見えた。 

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左手の岩山の山上には石組みの遺跡も見える。 

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歩いて、段々畑の脇道を上る。斜面は45度近くあり、急な石段が続く。300段ほど上るとオリャンタイタンボの広場に出る。そこには、インカの石組みや、巨石建造物などがあった。

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 遺跡は上の方へと続いていて、私は上へ上へと呼ばれるように遺跡の岩場を上って行った。かなり急な道で息を切らせながらようやく最上部の遺跡へと辿り着いた。下を除くと、オリャンタイタンボ内を見学する人々が米粒のように見えた。

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 さらに上の岩山を上ろうとしたが、足場が危なく断念する。 広場に戻り、岩の中腹の小道を岩山に沿って歩くとさらに段々畑は続いていた。

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 それにしても、こんな急な段々畑をよく作ったものだ。インカの人にとっての石積みはかなり高度な技術を持っていたのだろう。 対岸の山を見ると、山に張り付くようにいくつかの石の建造物が造られていた。

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 オリャンタイタンボの遺跡は、いったい何のために造ったのだろう。遺跡を見ると、どこか宗教的な施設のように感じられた。 聖なる谷、ウルバンバにあるピサックとオリャンタイタンボを巡りながら、インカの石造技術の凄さ、巨石遺構の驚き、それと同時に巨石信仰の存在を感じることができた。 このウルバンバの谷間には、今でもインカの末裔の人々の生活が営まれている。

 ボリビア、ラパスにて 郡司 拝


🔴2010/02/19

クスコ周辺に残るインカ時代の石の記憶

2月13日

標高約3399mにあるクスコは、かつてインカ帝国の首都であった。クスコとは、ケチュア語で「へそ」を意味し、太陽神を崇拝するインカ帝国の人々にとって世界の中心でもあった。16世紀、クスコはスペイン人の侵略でインカは山に追われた。その後スペイン人は、インカの建造物を破壊して、その石材で教会やコロニアル建築などを造った。しかし、その土台のインカの石組みのいくつかは残っていてみる事ができる。特にインカ時代の石組は様々な形をしている。

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中でもよく知られているのが12角の石だ。

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14年ぶりに訪ねると観光客も多く、石の前にインカ時代のコスプレをして写真を一緒の撮る、商売人の姿もあった。その後、14角の石を見てからクスコ近郊のサクサイワマン遺跡とケンコー遺跡を巡る。初めに、クスコ北西にある要塞跡サクサイワマンを訪ねる。夕方近くに中に入ると、雨がぽつぽつと降り始めた。サクサイワマンは、巨石を3層に積み上げて造られ、22回のジグザグを描きながら360mもの長さに渡って続いている。

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大きな巨石は高さ5m、重さ360トンもあり、インカの見事な石組みに驚かされる。2層目の門の近くの巨石には、蛇を象った溝が彫られていた。

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石組みを上ってゆくと小さな広場に出て、そこからクスコの町を一望できる。

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インカ時代の首都クスコは、町全体がピューマの形に造られていて、その頭の部分にあたるのがサクサイワマンだという。そのため、ここが重要な役割を持った場所とされている。毎年6月下旬、この広場で「太陽の祭り、インティ・ライミ」というインカの祭りが復活されるという。次に、サクサイワマンから歩いて15分ほどの場所にあるケンコー遺跡へ行く。ケンコーとは、ケチュア語で「ジグザグ」を意味し、かつてインカ時代の祭礼場であった。ケンコー遺跡に入ると、高さ6mほどのメンヒルのような巨石が目の前に現れる。

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この巨石は、ピューマを浮き彫りにしているといわれる。その後、背後の岩に行くと、大人一人やっと通れる半円状の切り通しを潜ると、広場に出る。方位を現す石から半洞窟を進むと、人工的に造られた玉座や、生贄の台座などがある。

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そこを、大勢の観光客がストロボをたきながら写真を撮っていることに抵抗を感じた。

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岩の雰囲気などを見ると、沖縄の斎場御嶽を彷彿させるものがあった。ケンコー遺跡は、宗教的に重要な役割を持った洞窟の聖地といった印象を持った。最後に、ケンコーから3kmほど離れた、タンボ・マチャイへ行く。ここは、インカ時代は、高貴な身分の人達の沐浴場であった。聖なる泉と呼ばれ、雨季、乾季を通じて同じ水量が湧き出ているという。

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この水源は、いまだに分からないという。石組、巨石、洞窟の聖地、聖なる泉など、クスコには実に様々な巨石群が残っている。16世紀のスペインによる侵略は、多くの神殿や宮殿などの施設の破壊、金の略奪でインカ帝国は滅ぼされた。しかし、このクスコにはインカの記憶が、巨石を通してしっかり根付いているように思えた。インカの石の記憶は、計り知れない。

ボリビア、ラパスにて