前髪が伸びても熱が出ないと気付いた話
特に誰かや何かに恨み言を言いたいわけではなく、ただ「言葉」の持つ「長期間にわたる拘束力」というものをこの年になって実感した…という話。
言葉の拘束力について書くとはいえ、結論から言えば、その拘束を解いたのも「言葉」だったということ。
「言霊」という言い方をよく耳にするが、言葉に魂(霊)を与えるのは、言葉自体ではなく、受け取る側の気持ち、もっといえば「その時の心理状態」なのだろうと考える。さらにその後の体験や経験が、その心理状態に肉付けを与えてしまい、まるで一つの生き物のように、自分の中に潜み続ける。
普段は全く思い出しもしないのに、その機になればひょっこり顔をだす。
当たり前に自分の中に飼っているからこそ、それが自分の中で毒になっているか薬になっているかに思い至らない。
幼いころから前髪を伸ばせなかった
髪型自体はロングヘアだった時代もある。
ただ、前髪だけは長くできず、少し伸びるだけでもすぐにカットに行くか自分で短くしていた。どうしても眉毛より長い前髪が許せなかった。
何故、伸ばせなかったのか。
理由の前にそもそも「伸ばせなかった」事に気づかされたキッカケの方が、むしろ大きな出来事だったと書いてまとめながら思う。
「かおるさん、前髪伸ばした方が似合いますよ」
今まで「髪を伸ばした方がいい」と言われて伸ばした事もあった。ただ、前髪だけは頑なに短くしていたしそれについて誰かに言及される事もなかった。
いや、厳密に言えば馴染みの美容師さんに「こんなけ前髪切るの薫ちゃんだけやで。普通はここまで切らへん。」と言われてはいた。
言うなれば、髪のプロに言われても意に介していなかったのだ。
なのに、今回言われた台詞だけはどうしても聞かなければいけないような気がした。
そして自分でも何故だかわからないまま、いつものヘアサロンで「前髪このまま残して」と口に出していた。
そもそも私は何故前髪を短くしていたのか?
それこそ40年ほど前に遡る。
ある時、私が熱を出した。幼稚園児だった私に母は叫んだ。
「前髪が伸びたから!鬱陶しくて熱が出たんでしょ!早く散髪屋さん行ってきなさい!!」
当時の私は幼稚園児だけれども一人で近所の散髪屋に出かけていたし、母のタバコも買いに行っていた。
それを不思議とも思わず「そうなのか」としか思わなかった。その頃の私にとってはそれは当たり前の生活。
先ほどの母の言葉には続きがある。
「なんで熱なんかだすのよ!!」
正直、本当に前髪が伸びたから熱が出るんだと思っていた。熱なんか出しちゃいけない。だから前髪は短くないといけない。
そして私は前髪が伸ばせなくなった。
だが、考えてみれば世の中にはたくさんの「前髪が長い人」がいる。
その人たちは熱が出ないのに、自分だけ熱が出るなんてどう考えてもおかしい。にもかかわらず「私はそうなんだ」という思い込みにより、ずっとここまできてしまった。
相手は髪だ。普通にしていれば自然に伸びる。
そして、偶然眉を隠し目に重なるほど伸びたときに体調が悪くなる事もある。
それを私は「前髪が伸びたからだ」と結論づけて思い込んだ。
数ヶ月前、外見と内面を一致させるプロ(仮にAさんとする)とお仕事をさせていただく機会があった。
仕事の打ち合わせのやりとりの中で、「私、どうしても写真撮ると和田アキコさんか美川憲一さんになるんですよねー」とこぼした。
とはいえ、これもいつもの雑談ネタ。
特に欲しい返事があって放った言葉でもなく。
ただ、今まで同じ話をした数多の人と決定的に違ったのが、その時Aさんが言った「かおるさん、前髪伸ばした方が似合いますよ」だったのだ。
今まで誰に何を言われても「いやーなんか前髪伸ばすと鬱陶しくて熱出るんですよー!」なんて答えていたのに、その時はその台詞が出てこなかった。
折しもコロナ騒動の真っ只中。
ヘアサロンに行きたくても行けないような自粛期間。
だったら、この機会に一度このまま伸ばしてみよう。
実はまだメッセージだけで一度もお会いしたことがなかったAさん。
その人の言う言葉を文字で眺めた時、驚くほど素直にそう思えた。
どうしてあなた自身を発揮しないの?
Aさんとはまた違う仕事でご一緒する事になった。
その打ち合わせでAさんはまたもや私に決定的な言葉を告げてくれることになる。
あえて「告げる」と表現したのは、ただ「言った」ではとてもじゃないが現わせないと私自身の中で感じているから。
まるで神か仏のお告げのような、そんなイメージを持ったと言っても過言ではない。
「かおるさんは、どうして自身を発揮しようとしないの?」
意外だった。
自分なりには、若干中途半端ではあったとしても自分自身を発揮していると思っているし、むしろ目立ちすぎているのではないのかとも考えていた。
「よく、それってかおるさんだから出来るんでしょ?って言われませんか?」
そう、よく言われる。けれど、その言葉で乗せられるほどの若さでもなく、誰でも「やれば出来ることしかしていない」という意識も、あえて(謙虚さを保つためにも)どこかに必ず持つようにしている。
「それが、行き過ぎてる。良いんですよ、かおるさんだから出来る、で。」
必要以上に謙遜する必要もないですし。「出来る自分」をもっと認めても良いんじゃないですか?
続けて言われた言葉に、反発するように私の脳内で言葉が響く。
『その他大勢になりなさい。どうせあんたなんか…』
前髪を伸ばせなくなったのも、自分の等身大を認められなくなったのも、全ての発端は「母の言葉」だったことに、ここで気づかされた。
そのまま続けた会話で、分かったのは
私は母のように振る舞う人間になりたくなかったんだ
という紛れもない事実。実際、反面教師なのは自覚していたし、それ自体は親子の間ではよくある話だと思っていた。
Aさんは続けた
「かおるさんがお母さまと同じ振る舞い(言動)をしたつもりでも、それは確実に別物だから。同じにはならないと思うし、きっとならない。」
母の事情、子の事情
ここまで書くと「ああ、毒親育ちって言いたい訳ね」という分かりやすい結末にたどり着きそうになるのだが、少し違う。私自身は決して恨んでいる訳ではない。恨んだところで、血縁は切りたくても切れないからだ。
そして、髪を切りに行け!と言い放った上に重ねた「なんで風邪なんかひくのよ」に込められた母の悔しさを、今なら分かるから。
当時、車につぎ込むお金はあっても家にはあまりお金を入れなかった父。
保険証ですら手元になく、私が風邪をこじらせても病院にすら罹れないと思い詰めていた母。
放っておいても目立つ上に、父の仕事やプライベートの都合で更に目立つ存在の私を、出来るだけトラブルから遠ざけるためには「エキストラ」のようになるのだと説明するしかなかった母。
お互いの立場上「言えない」「言っても分からない」が絡み合った上で、それでもどうしようもなくて放たれた、言葉。母にとっては何気ない、言ってしまっただけの言葉が、私をずっと縛り付けていくだなんて、母自身も思っていなかったに違いない。
しつこいが、決して恨んではいない。
そして、数々の「言葉」をめぐる「諍い」は、私と両親の間で前述の幼少期から、落ち着く事も収束する事もなく現在まで続いている。
これまで、言い放たれる「言葉」を、私自身がまともに受け取って「言霊」に変換していた。もちろん、全ての人の言葉を変換するわけではないのだから、「言霊化する言葉を選んでしまっていた」とも言えるだろう。
受け取る言葉を選ぶ
気付くにしてはずいぶんな遠回りをしたともいえるし、今がまさに気づくときだったのだろうとも思う。
受け取る言葉を選ぶ、というと「耳に心地いい事しか受け入れない」と思われがちだが、それも少し違うのだ。
厳しい言葉であっても受け取ろうと思えば、受け取れる。
優しい言葉であっても受け流そうと思えば、受け流せる。
何十年と生きてきて、ようやくその境地に至れたことで、未だ数多く抱える「言霊」と向き合う準備ができたのだ。
今、私は自己至上最長の前髪と暮らしている。
髪をかき上げる仕草が増えるのは、コロナウイルス感染症拡大防止においてはあまり褒められた話ではない。
それでも、今までと違う「言葉」に、素直に寄り添ってみようとする自分をそのまま受け入れられたことを、愛おしいと思う。
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