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パワー!!について考える

ハッ...!!!

書きたいトピックがひとつあるが、なんだかうまく書き進められないので、テラミスティカを褒めて場つなぎをする。

テラミスティカというゲームの特異なポイント、それはずばりパワートークンでしょう!

テラミスティカはアブストラクト的な扱いを受けているのをたまに目にするのだが、個人的にはそのようにはあまり感じない。

しかし、もしこのゲームに「パワー授受」という概念がなく他プレイヤーの隣接による恩恵が交易所設立時にコストが安くなるだけのものであったなら、ボーナスカード、宗教ボーナス、町の設立でしか個人ボード外の収入を得る手段がなかったなら、それはアブストラクトになりえると思う。そしてもしそのようなゲームであったなら、テラミスティカはここまで人気にならなかっただろう。

パワー、それはとびきりの変数。テラミスティカ最大の飛び道具でありながら使用用途はPAかフリーアクションのみ。このメリハリの塩梅が良い。指し手の数の少なさによる読みのしやすさと、指し手により生じる盤面への多大なる影響。

パワーがあることによりアブストラクトにならないという書きぶりを作者はしたが、このパワーのせいでアブストラクト的な要素(アクション手順、他人の動向)が生まれるのも確かで、先程の選択肢を増やすためのパワーと選択肢が増えたことによるパワーの扱い方、その比重の個人間での偏りが先述のテラミスティカはアブストラクトかそうでないかを判断する鍵になるのではないだうか。

たとえば1rは明確な目的がない場合はたいがいが6pa2掘の機会を伺っている。そのための種族選びとボーナスカードの攻防がその前に存在する。この「手」としての選択肢がこのゲームの思考性を高めている。ただそういった手順の重要性はこのゲームに限ることなく、特にワーカープレイスメントなどで顕著に現れる。単純にリソースマネジメントと言い換えても良い。❨AのためのB、BのためのC、CのためのD 。だからいまここでDのアクションを実行するというような。❩

他に陣取りの側面がこのゲームにあるが陣取るための条件が他の陣地取りゲームに比べて容易でない。これもまたアブストラクト味を薄める要素かと考えている。
中終盤の決めの一手として6w2掘を採用できたとしても、1、2r目でのその行為は暴挙でありテロリズムだ。(しかしこれもまた再考の余地はあると考えている。深淵は深い)
特に船舶+1のボーナスカードがないゲームはより陣取りが厳しくなり、プレイヤー間にその側面でのゆとりが生じる。


パワー、それはとびきりの変数。最終盤のせめぎ合いの中、何度計算しても1パワー足りてない。もうダメかも、と思った矢先に恵みのパワーが他プレイヤーから降ったときの「なんという僥倖」感。敵ながらにありがとうと手を取ってしまいたくなるような衝動、これら他プレイヤーへの感謝もパワートークンなしには起こり得ない。

序中盤の発展にもパワーは不可欠で、このゲームが協力ゲームと称されるのも大きく頷ける。詰めの段階にいかない限りは3点払って4パワー、4点払って5パワーとかよくやる。感謝しかない。

パワー、それは、、ハッ…!!!

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