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世界一周した理由。

さて、今日はなんでわたしが世界一周したのかについてお話します。そういえば、行ったことがある国とかを紹介したけど、なんで行ったのかは書いてなかったなあって思うので。

はじめて地球一周をしたのは2015年の21歳のとき。コミュ障なわたしが、たくさんの知らない人がいるところに行きたいと思うわけはなく、地球一周したかったから船に乗ったわけではありません。あ、ちなみに船で地球二周しています。

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https://peaceboat.org/projects/hibakusha.html

わたしが参加したのはこちら。(サムネル出ない…)
ピースボートが主催しているおりづるプロジェクトです。こちらは広島・長崎で原爆投下を生きのびた被爆者の方や被爆二世のかたと一緒に世界各国を巡って、きのこ雲の下で何が起こったのか、核兵器の恐ろしや、どうして核兵器はいらないのかについて伝えるプロジェクトです。

そういえば、なんで核兵器の問題に関心があるのかについて、まだnoteに書いたことがなかった気がするので、それはまた今度書きますが、「わたしにできること」を探してこのプロジェクトに応募して参加しました。

2015年のときは19ヵ国、25都市で。
2017年の2回目のときは18ヵ国、21都市で証言会をしました。
主に学生、市民団体、市長、政府の方々に向けて証言会をしていました。このプロジェクトだったから会えたなあって思うのは、マーシャル諸島で被爆してハワイ島に移り住んできた人、チェルノブイリを経験した人、イランイラク戦争で化学兵器によって負傷した人、内戦を経験した町で生き残った人。こういう人に自分から連絡を取って会いに行くのはきっととっても難しくて、だからここでの出会いに感謝しています。

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どうしたら届くのかなとか、何を使ったら分かりやすいかなとか、被爆者の人たちと友達になってほしいなあとか、そんなことを考えながらやっていました。辛かったことも、大変だったことも、悲しかったことも、ぶつかったこともたくさんあったけど、同じくらい嬉しかったことも、楽しかったこともありました。

被爆者の人たちと寝るとき以外はずっと一緒にいて、同じ景色を見て、いろんなことを話して、そういう時間ってもう本当にないんだなって思って、だから人生で宝物の時間です。

このプロジェクトで得たものはたくさんあるんだけど、それ以外にコミュ障と人見知りがちょっとは無くなったかなって思う。なにより人と関わるのが苦手だったのに、日本中に友達ができた。その人たちとは今でもとっても仲良しです。

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特に印象的だった出会いとかについては、noteに書いていけたらいいなあって思うので、お楽しみに。コロナが落ち着いて早く船旅できるようになるといいなあ。

もっと文章読みたいなあと思っていただけたらご支援をお願いします!わたしの活力になります〜。