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春の夜の夢~シューマンへのオマージュ

紫陽花の美しい季節となり、春がまもなく終わりを告げようとしています。
この季節、6月8日に生まれた作曲家シューマンに捧げる歌曲リサイタル Liederabend を、来る6月15日(木)19時より五反田文化センター音楽ホール(東京)にて開きます。曲目は以下のとおり。

シューマン《アイヒェンドルフの詩によるリーダークライス》 op.39
シューマン《暁の歌 》 op.133  ※ピアノ独奏
ヴォルフ《声とピアノのためのアイヒェンドルフの詩集》より
〈楽士〉〈黙する愛〉〈セレナーデ〉〈夜の魔力〉
グリーグ《6つの歌 》 op.48

当日お配りするプログラムノートを、以下に転載いたします。

*  *  * 

 シューマン Robert Schumann(1810-1856)の作曲家人生において、彼が30歳になる1840年は紛れもなく一つの分岐点にあたる。それまで10年ほどに渡ってピアノ独奏曲ばかり書いていた彼が、突如溢れんばかりの歌曲を作曲した「歌の年」だ。名ピアニスト、クララ・ヴィークとの結婚を(彼女の父親との長い法廷闘争の末に)実現するのは同年9月。そして翌年以降は交響曲、室内楽、オラトリオ…と創作の幅を広げていくことになる。
 その1840年の5月、シューマンの創作力は最高潮に達していた。5月1日から22日までに(本日演奏する)アイヒェンドルフの詩による《リーダークライス》を、そしてさらに引き続きハイネの詩による《詩人の恋》を6月1日までにひと通り書き終えてしまう。もちろん、最終的な出版にまではさらに年月をかけて手を入れるのではあるが、それにしてもドイツリート史上名高いこの2つの歌曲集が、これほど集中的な速さで生み出されたとは驚くべきことである。この5月はシューマンにとって20代最後の月であったから、彼はその節目を意識していたのだろうか。《詩人の恋》を一段落させたのち、彼はクララと会い、二人して6月8日のシューマン30歳の誕生日を祝っている。
 さて、この《リーダークライス Liederkreis》op.39(※「リーダークライス Liederkreis」とは「歌の環」を意味)は、ドイツロマン派の詩人アイヒェンドルフ Joseph von Eichendorff (1788-1857) の詩による12曲から成る。アイヒェンドルフは、現在ではポーランド領にあたる上部シュレージエン、ルボーヴィツの城に生まれた貴族であった。この地域の豊かな自然(川、森、山脈…)に囲まれた城で幸せな少年期を過ごし、いくつかの恋も体験した。しかしこの城は彼の母の死後、財政上の理由から手放され、また彼自身も故郷を離れて勉学と放浪の旅を続け、ナポレオン戦争下では軍役に就き、やがて役人になって地道に働く人生を送ることになり…その傍らで小説や詩を発表し続けたのであった。彼の作品で繰り返し語られる森の情景、時間と場の隔たり、特に「城 die Burg」や「昔の美しき時die alte schöne Zeit」といったキーワードは、失ってしまった少年期の故郷の思い出と深く結びついていることが想像できよう。
 1837年に出版されたアイヒェンドルフの『詩集 Gedichte』は、彼がそれ以前に発表した『予感と現在 Ahnung und Gegenwart』(1815)を初めとする小説に挿入されていた詩を多く含み、「さすらいの歌」「歌人の生活」「春と愛」…などの見出しで分類されていた。この『詩集』がシューマンの《リーダークライス》op.39の源となる。彼は6つの分類から12篇の詩を選んでいるが、ことに「宗教的な詩」の類から〈Mondnacht 月夜〉の1篇を選んでいるのは興味深い。彼は1840年5月22日付の手紙でクララに、「アイヒェンドルフの歌曲集はおそらく僕の書いた最もロマンティックなものだ。君のことがたくさん入っている」と伝えている。メランコリックな色調のなか、全12曲の前半の区切りにあたる第6曲と、最後の第12曲には、幸福への予感が刻印づけられる配列となっており、第4曲に置かれた〈Mondnacht 月夜〉では「天と地」のロマンティックな融和が語られる。よく指摘されることだが、この〈月夜〉の「(天が)地に口づけした Die Erde still geküsst」の箇所で、ピアノの左手には「E-H-E」(ドレミで言えば、「ミ~シ~ミ」)と下降する音型が書かれている。ドイツ語で「Ehe」は「結婚」を意味するが、実はこの曲を作る2年ほど前シューマンはクララに宛てた手紙で「結婚という語は音楽的だ、5度音程を成す」と書き送っており、おそらく彼はこの着想を実現させる格好の場を、〈月夜〉の聖なるモチーフに見出したのであろう。そうした点からもこの歌曲集は、アイヒェンドルフの「望郷」とシューマンの(秘められた)「結婚」のテーマが大らかに結びついた、唯一無二の作品なのである。作曲にあたり、シューマンは少なからずアイヒェンドルフの原詩に手を入れている(単語の変更、詩の節の省略など)が、クララの報告によれば、当の詩人は、自身の詩に付けられたシューマン歌曲の実演に接し(1846-47年)、「私の詩に命が吹き込まれた」と感激していたという。この温和な詩人は、シューマン没年の翌年に亡くなる。
 なお、この曲集は出版の過程でかなり大きな変更もあった。特にメランコリックな冒頭曲〈異郷にて In der Fremde〉は当初より第1曲として構想されていたが、1842年の初版では、行進曲風の明るい別の曲(陽気なさすらい人 Der frohe Wandersmann)に差し替えられ、最終的な1850年の第2版で元に戻っている。本日は一般的な第2版で演奏するが、初版の明るい開始も悪くない。

 《暁の歌 Gesänge der Frühe》op.133は、「歌の年」の13年後、1853年10月に作曲された5曲から成るピアノ曲集で、シューマンが自ら出版まで手がけた最後のピアノ作品である。作曲が開始されたのは、ちょうどシューマンが若きブラームスの来訪を受け、その天才ぶりに感動して彼を世に紹介する「新しい道 Neue Bahnen」と題する文章を書きあげた2日後のことである。このピアノ作品を着想する源となったのは、ヘルダーリン Friedrich Hölderlin (1770-1843)の小説『ヒュペーリオンHyperion』と見られ、主人公ヒュペーリオンの恋人である女性ディオティーマに捧げる作品として構想されたようである。この着想自体はすでに2年前からあったものだが、ブラームスとの出会いが何らかの引き金になったのだろうか。わずか4日間で作曲は完了する。その数か月後、出版社に宛てた手紙の中で、シューマンはこの作品を「朝の近づきと夜明けに際しての感覚を綴った曲集だが、音画よりもむしろ感情表現から成る」と(ベートーヴェンの田園交響曲に倣って…)説明している。この手紙の3日後には、シューマンはライン河に投身自殺を企てることとなるのだが、彼はその後エンデニヒの精神病院に入所中もこの曲集のことは気に留めていたという。なお、結果的にこの《暁の歌》op.133を作曲者から献呈されたのはベッティーナ・フォン・アルニム Bettina von Arnim(1785-1859)。ドイツロマン主義文学の重要な立役者アヒム・フォン・アルニムの妻、かつクレメンス・ブレンターノの妹にあたり、シューマンとも知り合いだった。アルニムとブレンターノは、かのドイツ民謡集『子供の魔法の角笛』の編纂者であり、若きアイヒェンドルフにも大きな影響を与え、親しく交流した人物である。
 
 19世紀後半のドイツリートを代表する作曲家ヴォルフ Hugo Wolf(1860-1903)は、熱烈なヴァーグナー崇拝者として知られるが、シューマンの歌曲にも大きな影響を受けており、ヴォルフの若き日のハイネ歌曲などはシューマン様式の模倣から生まれている。交響詩《ペンテジレーア》の試演失敗で精神的に落ち込んでいたヴォルフは、1887年にアイヒェンドルフの詩に曲づけを開始することで、翌1888年の集中的な歌曲創作へ向かっていく。すでに1881年にアイヒェンドルフの6つの宗教的な詩による無伴奏混声合唱曲を作曲していたヴォルフだが、歌曲の創作にあたってはそうした深みのある詩や、シューマンが《リーダークライス》op.39で選んだ詩には作曲していない。それは作曲家シューマンへの敬意ともとれると同時に、シューマンが意図してop.39に入れなかった、アイヒェンドルフの「陽気なのらくら者」の世界、様々なキャラクター(遍歴学生、楽士、兵士、船乗り、ジプシー女…)や自然界を、ヴォルフは機知たっぷりに写実的に描き出す。結果的に、ヴォルフはアイヒェンドルフの20篇の詩からなる歌曲集を出版。本日はその内4曲を抜粋で演奏する。特に1887年5月に書かれた〈夜の魔力 Nachtzauber〉は、ドビュッシーの先駆けともいえる前衛的な書法で、ドイツ歌曲の伝統枠を大きく超えている。
 
 北欧ノルウェーを代表する作曲家グリーグ Edvard Grieg(1843-1907)もまた、シューマンの音楽を愛した一人である。ライプツィヒ音楽院に留学したグリーグは、シューマンと親しかったヴェンツェルに師事したのみならず、クララの弾くシューマンのピアノ協奏曲を聴いて、自らのピアノ協奏曲(1868)のモデルにもしている。「シューマンの交響曲〈春〉を連弾して、婚約した」というグリーグの妻ニーナは優れた歌手であり、グリーグはピアニストとして、夫婦の共演で多くの歌曲を演奏した。シューマンの歌曲も重要なレパートリーであったことは想像に難くない。グリーグはニーナの声に触発されて多くの歌曲を作曲した。ノルウェー語(一部デンマーク語)の詩によるものが多くを占める中、1889年に完成した《6つの歌》op.48はドイツ語の歌曲として異彩を放つ。6曲はハイネ、ガイベル、ウーラント、フォーゲルヴァイデ、ゲーテ、ボーデンシュテット、というドイツ詩人たちの恋愛詩で構成されるが、中でも第4曲で中世の名高いミンネゼンガー Walther von der Vogelweideの人気作を取り上げていることは特筆に値する。当時ノルウェー国民主義の作曲家とみなされていたグリーグが、国も時代も超越した普遍性を意図してドイツリート集を編んだことは極めて興味深い。終曲の〈夢 Ein Traum〉は、ヴァーグナーの《ヴェーゼンドンク歌曲集》(1857-58)の終曲〈夢 Träume〉をも思い起こさせるが、詩の内容やピアノ書法からはシューマンの《リーダークライス》op.39の終曲〈春の夜 Frühlingsnacht〉へのオマージュに思えてならない。

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上記プログラムノートでは字数内で書ききれないことも多くありました。そうした「こぼれ話」については、ツィッターで随時コメントしています。


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