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ゴーン騒動に無関心のフランスと日本司法の根本的課題

日本とフランスのゴーン一連騒動の温度差

昨今日本のメディアを賑わせているカルロス・ゴーン被告の日本国内からの逃亡のニュースに端を発して今回は世の中の冷静な切り取り方の記事を書こうと思う。

日本のメディアの空気は、裁判を前に国外逃亡したゴーン被告に対しての検察・政府・日産側からの非難が多くの言説を占めている。一方Twitter等のSNSの方が問題の本質や日本の課題など、もう少し多角的な見方をしているようだ。

日本のゴーン関連の一般市民の空気を察するに、会社の金をせしめて逮捕されたのだから当然悪いことをした。その罪を確定するために、裁判を受けるべきなのに日本から逃亡して日本の司法制度批判とは何事か、という雰囲気がおおよその所かと思う。


一方でゴーンのお膝元?のフランスでの言説はと言うと、

はっきり言って日本ほどゴーンの話に関心がない。これに尽きる。

筆者のフランス人の知人の何人かと話をしたが

「ゴーンの話は誰かから聞かれたり話を振られれば答えるけど、自分からは積極的にその話題を話そうとも思わないし、正直関心がない。メディアも目を通しているがゴーンのニュースにはほとんど関心が払われていない印象を受けている

と、なんとも期待はずれ?の回答だった。

数名のフランス人にも聞いてみたがある程度同じトーンで、それよりもイランとアメリカの関係等、別のニュースによっぽど関心があるという印象が強かった。

ちなみにこの知人は過去にゴーンと同じ職場で仕事をしたこともあるらしく、といっても2回ほどだが、ゴーン被告の職場での恨まれ具合と彼への報復未遂があったことなどもこっそり教えてくれた。どうもゴーン被告は敵をたくさん作ってその経営者生命を狙われる運命にあるらしい。

いずれにせよ、フランスにおいて日本ほどゴーンの話に関心がないということは間違いがないようだ。

奇妙な逮捕と再逮捕、そして長期拘留の先に見えるもの

この件でご立腹の人々は、犯罪を犯しているかもしれないくせに国外逃亡を企て、さらに日本の司法制度を批判されているという点に憤りを感じているかも知れない。しかし、フランス人くらいの余裕と距離感を保ちつつ、冷静にこの問題の本質について考え行動することが求められると筆者は感じている。

本事件については実は筆者も過去から動向をチェックしていたのだが、どうにもしっくりこない部分がある。

それはゴーン被告の逮捕の経緯と長期的な勾留についてだ。

冷静にニュースを見ていると初めにゴーン被告が逮捕された容疑は役員報酬の過少申告だったが、その内容で勾留をしてからも明確な証拠が明かされないまま、数ヶ月の勾留の後、会社法違反(特別背任)の容疑で再逮捕されている。この部分だけを切り取ってもゴーン被告が「やりました」と自白をしない限り具体的な証拠がように感じてしまう。

後述するが日本では逮捕=悪い奴という印象が非常に強いため、日産と検察が結託して勇み足で彼を逮捕して、ゴーンを引きずり下ろす策略だったのではという裏事情が推察できてしまう。


この推察には根拠がある。実は日本では自白を基にした供述調書で有罪に導くということが横行しているのである。私には、今回ゴーン被告の弁護人を務めた弘中惇一郎弁護士が過去に弁護を行った事件が思い出される。それは当時厚労省の局長だった村木厚子氏の冤罪に関する事件だ。

元厚労省局長の冤罪事件とゴーン事件の共通項とは?

村木氏の事件の経緯と検察の調書がいかに彼らのストーリーに合うようねじ曲げられたかの詳細は村木氏の著書(日本型組織の病を考える)に委ねるが、この本から普段知り得ない驚きの日本の司法の実態が明らかになる。

例えば、日本の検察が自白を基にした供述調書により裁判の証拠を作り上げてしまうこと、取り調べの中で被疑者が話した内容が検察のストーリーに都合が良い部分だけ切り取られ全く自分が意図していない発言に変わっていることがある。

また、この件に関しては前述の通り検察側が証拠であるフロッピーを改竄するという異常事態が判明したのだが、それをやってのけた若手検事は上司から「最低でも局長の村木を有罪にしろ」というプレッシャーに負けて犯罪に手を染めているのである。

さらに、長期間の拘留の中で当時の上司や部下が裏切るような発言をしたことを取調室内でちらつかせられ精神を削られること、司法取引でやってないことでもやったと言った方が独房の環境から早く逃れられることをほのめかされる等の状況が実在していることを物語っている。

もちろん村木氏の事件は彼女の冤罪が裁判で証明され、一方今回はゴーン被告が有罪か無罪かは裁判では明らかにされていないためその点は断定は出来ないのだが、長期間の勾留と自白に基づく供述が裁判の資料に活用されること、大物を検察が捕らえる目標をもっていることについては共通しているのではないだろか。


加えて日本は残念ながら逮捕と裁判での有罪判決の重みが逆転している。仮に有罪にならなかったとしても逮捕をされた時点で会社をクビになったり、あらぬ噂を流されたりと社会的な地位の失墜は免れられない。村木氏のケースこそ、当時の上司らの尽力で彼女は失職を免れたが、今回のゴーン被告のケースのように逮捕の時点で社会的な地位が引き剥がされることは往々にしてある。

ゴーン事件から学ぶ、日本人の司法への関与の在り方

ゴーン被告自身の実態は筆者の個人的な見解では、仮に違法行為はしていなくとも、経営者としてのモラルや金銭感覚は欠如した行動であることは疑いの余地がないため、その点について非難はなされて然るべきだと思う。

しかしその話を感情的に処理するだけで、今回明るみに出た日本司法の課題を冷静に分析し自分事として捉えなくて良いのだろうか?日本人としてこのような司法制度の下で安心して暮らせるのかという問いかけは必要だ。今回の件も、ゴーンという大物を捕まえるために、どうしても違法行為をしたというストーリーに結びつけて結論ありきで話が進んでいるように思えてならない。

百歩譲って私たち一般市民がゴーン被告のように有名だから嫌疑をかけられるということはほぼないとしても、だからと言って私たちの日常に司法のことを考えずに暮らしていてよいのだろうか?

仮に私たちや私たちの大切な人が何かの嫌疑にかけられた時に、有罪でもないのに職や地位を失う可能性が高いこと、取り調べの間に供述を上手く誘導されたり意図しないことを書かれ自分に不利な資料がでっちあげられてしまうこと、ひいては裁判で冤罪ながら有罪になり多くのものを失うリスクなどを考えれば、明日は我が身と思えてこないだろうか?このままの現状で良いはずはない。

この事件や過去の冤罪事件の学びを風化させず、政治や行政を巻き込み検察の取り調べや勾留のプロセスを国民全体で議論し、あるべきプロセスを獲得していく努力をすべきだ。

また個人でもできることは、逮捕と裁判の違いや有罪が確定するまでの日本人としての理解や対応についても改めていくべきことだ。

自分自身やあなたの大切な人が司法との関わりが発生したときに、正しい対応をするためには、正しい知識と冷静な目を持たなければならない。

そういった意味でも、この一連のニュースからの学びは過去の類似事件からの動きをウォッチしつつ、メディアのみの情報に流されず、冷静な目で問題の本質を自分なりに捉えるというところではないだろうか。


日本人が豊かな人生を送るためにも、開かれた市民として自分たちで解決を促す、行動していくということが、これからの時代非常に重要だ。

私たちにできることを始めよう。

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