幸せな親子

午前7時前、三朝木屋の湯殿に降りると、そこには先客がいた。
一人は40代前半と目される髪も眉毛も黒い男性。もう一人は80代後半と思われる髪の毛がなく眉毛も白い男性。
彼らは並んで湯船の中に腰を掛けて半身を湯に浸からせている。
「失礼します」と押し殺したような声で湯に浸かるが、これぞ天国、目を瞑って味わう。
いつもだとここから、ヘンタイカエル泳ぎ体操に移行するのだが、うめき声なんかも出てしまうから、人がいる前では流石にそれはできない。
泉温も高いので、自分も半身を湯上に出した。
若い方に、「お父上ですか?」と尋ねると、
「そうです。父です」と答えた。
「おいくつですか?」と尋ねると、父親が答えた。落ち着いてはっきりした声である。
「92になりました」
「どこからいらっしゃいましたか?」
「私どもは大阪です。三朝には10回ほどきたことがあります」
よく見るとこの人は、ただの老人ではなく、何と言うか宗教性も帯びたすっとして気高い面持ちの人なのである。以前に接した金光教や黒住教の信者の気配に似ているのである。
肌の色は白く透き通り、薄いピンク色である。
「車で来ましたか?」
「いえ、大阪からスーパーはくとの特急ですから、楽です。それに駅からは旅館の車が迎えにきます」
と答えた息子さんは、公務員ではなさそうだが、真面目そうな様相である。
会話が可能なムードと見て、感じていることをそのまま口にした。
「お羨ましいことです。お父様と息子さんの両方にとって羨ましいことです」
「・・・・・・・」
「親孝行できる息子さんも、親孝行してもらうお父さんもどちらも幸せです。羨ましいことです。私にはまだ母がいますが、温泉に一緒に入ることはできません」
「家内は今、嫁と女湯に入っております」
「何と、それはさらに幸せなことですね」
「ほんまに。良い嫁なんですわ」
「本当に羨ましいことです」
これ以上言うことはなかった。
やがて二人は、息子さんが片手に手すりを握った老人の反対の腕を支えつつ肩まで浸かった。
すぐに上がるが、風呂場から出る最後まで脱衣場に上がってからも付き添う姿が眺められた。
二人の姿が消えると、声を出さずにカエルになった。

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