「誕生」という不思議なことについて

17歳で理系から文系に転じ、二浪して私大哲学科に進み、そして21歳の時、アフガン西北部の砂漠で死にかけた時、それまでの自分のどうしようもない甘さを悔いたと同時に、①命が保障されている②次の行動の選択が自由である、の両者が与えられればそれだけで男は充分「ラッキー!」と確信するようになって生きてきた。
大卒後も就職せずに、家庭教師のバイトに海外旅行文学的生活を連続と思いきや、どういうわけか26歳で結婚してしまい、30代で長男長女が生まれ、42歳でローンを組んで家を建て、ただただ家族を支えるためだけの家庭教師バイト生活人生に明け暮れることになってしまった。当然海外旅行にも行かれなくなった。
98年に最初の本『我が子は最低点法で勝つ!』を上梓し、この結果本はさほど売れなくとも、全国から受験についての問い合わせがくるようになり、西荻駅前に事務所を開いた。その後も出版活動は、受験から子育てへとテーマを移しながら、自分でも数えきれないくらい本を出した。何冊か「ベストセラー」も出た。しかし、出版の仕事だけでは生活できないので、受験指導教育相談の仕事は続けざるを得なかった。というより、一対一の個人指導が自分の「天職」であるらしいことがいよいよ明らかになっていくばかりだった。
カタカムナに出遭ったのは最初の本が出た直後のことである。私はこれを得ることにより、子どもたちの国語力を確実に伸ばすメソッドを完成し、この関係の本も多く書いた。自分の子どもたちにも幼児の段階でこれを仕込んだ。
月の遠近WAVEの利用の着想もこの頃だったが、これは他の人に引き継がれてさらに拡大している。
26歳の時点で、自分のように世を外れてテキトー、勝手に生きようとする者が長い人生を送れるはずがないと覚悟していたが、60を過ぎてもまだ生きているから不思議でもある。
さて、長々と書いたが、その「不思議」に加わることが昨日の朝起こった。
それは、このところずっと家に宿泊している息子の嫁が無事出産を終えたことである。
男の子である。
私は、自分の赤ん坊の時の写真の顔とこれが似ることに、喩えようのない不思議さを感じることを禁じ得ない。

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