国語学習正攻法について

夏休みがやってくる。
学校授業や課題から解放されて、自ら思いっきり自分の力を高めることができる期間がやってくる。
その中で、国語力を伸ばしたいと思う者は、記述解答訓練を旨とすることを心がけるべきである。
成績を上げたい→試験で得点したい→試験問題ができるようになりたい。
と思うのが普通で、結果的に多くの生徒は、たとえば通常の公開模試のような出題形式の国語テストで高得点することを目指して勉強することになる。しかし、実はそれでは本当の力がついたことにはならないのである。しかも公開テストには「悪問」も多い。「悪問」に高得点しようとしても時間の無駄。もちろん学校国語テストで高得点しようとしても、得点力ではなく国語力を伸ばすという点で見れば、無意味であることは明らかなことである。
私は小5〜中2までの国語レッスンでは、まず古典文音読により、日本語が正確に読み取れる力を培った上で、抽象構成法を教え、その上で筑駒、麻布、開成、武蔵などの記述問題をテキストにして指導する。
文章で質問されたことに、文章で解答する。この力がつけば、他の選択肢、穴埋め、抜き出しといった問題は、各校出題に合わせて研究・練習すればたやすく得点できるようになる。それどころか、他の教科の学習力も伸長し、全教科の成績が上がり始める。
―真の国語力は、国語記述解答訓練によってしか伸長されない。
これは「事実」であるのに、そのことをなおざりにした国語教育がそこら中に蔓延している。
それは、入学試験問題が、穴埋め、抜き出し、選択肢ばかりの出題になって、自分で考えて解答する記述問題が激減しているからである。その一方で、多くの私立中では、記述解答主体の入学試験を行う中高一貫公立中に落ちた生徒を狙って、第3回の試験などでは、小論や作文の試験だけで合否を決めるところも少なくなくなっている。
各校上から下まで本当は書ける生徒が欲しい。でも、そんな生徒は少ない。
このことは高校入試でも顕著に見られる。筑駒や開成といった難関高はもちろんのこと、特にレベルが高い早慶明治中央大などの附属高では、小論文能力や国語記述能力を問うところが多い。
そして、大学入試では、長年にわたり記述型の試験を行ってきた慶應が、じわじわと他を引き離して「トップ校」となっている。
東大京大などの国公立大を受験すれば、国語記述解答試験は必須である。公務員養成目的の国立大で、文書の扱いができるようにならない人間は不要である。だが、ほとんどの私立大では選択肢マーク試験である。
これは何を意味するかー大学新入生の大半が自分の考えを文章化できないまま大学に進学していることになる。
これは大学にとって「不幸」なことなのか、学生たちにとって「不幸」なことなのか。
ともあれ「大学」は、入学させても仕方がない者を入学させることによって存続を維持している教育機関であることになる。
結局受験生たちは、受験する学校の出題形式に沿った問題や、予備校の模試的な選択肢マーク試験で得点することが国語力であると思い込んで勉強するから、それではたとえそこでやや高得点することになっても、本当の国語力はついていないことになる。既成のマーク試験は、やけにできない者の「差別化」であり、本当の国語力を測るものではないことを肝に銘ずるべきである。
本当の国語力は、記述解答訓練でしか身につかない。自分の考えを言語化する能力。つまり文章が書けるようになることと同等である。記述ができるようになれば、抜き出しも、穴埋めも、選択肢も怖くない。
そしてその自発的訓練は、しっかり時間がある時に、良い記述問題をこなすことによって培われる。
もちろんこの背後に読書や他の教科の文章を読むことがあるであろうが、自らこのことに気づいてその学習を柱とする者は稀であろう。もちろんかつての私も気づかなかった。あとで考えれば当たり前のことであったが。
夏休み、本当の国語力をつけたいに者は、良問を出題する学校の入試問題で記述解答の学習をすることを強くお勧めする。「正攻法」はそれしかない。そして、「基礎」が固まれば、2学期からは受験校入試問題の徹底的な研究あるのみである。

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